第3話 マスゴミと裏組織

 優駿出版という出版社に、雑誌「芸旬」

 という週刊誌があるが、その出版社は、元々競馬関係の記事が多かったことで、出版社をこの名前にしたのだが、今では、いろいろなところに手を伸ばし、出版業界でも、あまりいいウワサを聴かないところであったのだ。

 芸能界のゴシップであったり、政界をえぐる記事も多く、

「どこまで信憑性のある生地なのか?」

 ということが話題にはなったが、

「そもそも読者は、真実よりも、話題性を好む」

 ということで、あくまでも、

「興味を引くこと」

 というものを、

「面白おかしく報じる」

 ということに徹していた。

 以前は、こういう雑誌社も多かったが、なかなかここまで思い切ったことができるところは減ってきた。

 実際に、

「面白おかしく書き立てる」

 ということをしても、以前のように、

「雑誌が売れない」

 ということだったのだ。

 どんなに興味が湧くことを書いても、雑誌が売れないのであれば、出版社としても、困ったものだ。

 その原因というのは、出版社界において、売れるところは、

「その道にかけては、他に負けない」

 というものを持っているところであった。

 つまり、

「二番煎じでは売れない」

 ということであり、昔のように、

「ライバル会社」

 として、ゴシップネタで売っている出版社が、鎬を削るなどという時代ではなくなってきたということであろう。

 つまり、

「ナンバーワンが決まってしまえば、ナンバーツーも、どん尻も同じことだ」

 というものである。

 つまり、

「オールオアナッシング」

 満点でなければ、零点と変わりはないということであり、ライバルがいないかわりに、ナンバーワンが決定するまでが勝負ということだ。

 しかし、この優駿出版社というところは、それを分かっているのかいないのか、ゴシップ界では、すでにナンバーワンの会社がいるのに、その会社に対して敢然と挑戦していたのだ。

「どんな内容のゴシップであってもいい」

 というのが、社長の方針で、

「そもそも、こだわりを持っているから、ナンバーワンの相手に勝てないんだ」

 ということであった。

 ここの社長の考えは、

「出版業界というのが、ナンバーワンでなければいけないというのは迷信だ」

 ということで、その都市伝説については理解はしているが、そのうえで、

「なぜ、そうなってしまうのか?」

 ということを考えているのだった。

 そこでたどり着いた考えとしては、

「出版社は、こうでなければいけない」

 という、

「固定観念を捨て去らなければいけない」

 というのが、優駿出版の社長の考えであった。

 つまり、

「下手なプライドなんかいらない。なりふり構わず、なんでもやるということが大切なんだ」

 ということであった。

「なんでもやる」

 という勇気がないから、すぐにあきらめてしまい、追い付けないと勝手に思い込むことが、自分の成長を妨げていると考えるのだった。

 つまり、

「覚悟」

 というものが必要で、その覚悟というものは、

「体裁を繕っている間は、何もできない」

 ということになるのだろう。

 以前は、ライバルがしのぎを削ったもので、それこそ、

「囲み取材」

 などというものが横行していたではないか。

 その弊害も確かにあった。

 何といっても、昭和の末期くらいから、囲み取材の中に、暴漢が入り込んで、取材を受けている人を殺害するということがあり、それをそのつもりはなかったのに、まるで放送事故のような殺害現場が、生放送として、全国に放送されるということがあったではないか。

 ひょっとすると、

「囲み取材がなくなってきたのは、そんな事件を防ぐため」

 ということで、取材を受ける方も、取材をする方も、自粛から、実際に囲み取材への危機感が次第に高まっていき、

「囲み取材をしない」

 するとしても、

「最初からシナリオを作ったうえで」

 という、まるで、

「出来レース」

 のような形、あるいは、

「国会中継」

 のような、わざとらしさを演出することで、混乱を避けるということに徹したのかも知れない。

 そのために、

「あまりたくさんの取材陣が殺到しないようにしないといけない」

 と考えるようになり、その一番の方法とすれば、

「取材できる出版社を、できるだけ制限する」

 ということだ。

 そのため、

「裏の組織」

 というものが存在し、彼らによって、

「ナンバーワンが決定すれば、それ以上を生まないようにする」

 という方法が、水面下で進められるようになったのではないだろうか?

 それを、極秘裏に行うことで、まるで、

「今までにもあったかのように自然と、業界の常識」

 として芽生えさせるというものである。

 そんな、

「世の中の常識を作為的に作り上げる」

 という組織があっても、おかしくはない。

 実際に、

「気が付けば、さりげなく、業界の常識が変わっていた」

 ということは、当たり前のようにあったではないか。

 それを皆からの常識として、

「長い年月ということを理由にして、自然に変わっていったことを、罪悪ではない」

 という形にしてしまうことのプロが存在していれば、

「それこそが洗脳ではないか?」

 ということになり、考え方として、

「なるほど、新興宗教というものは、定期的に生まれてきて、問題を起こしては、しばらく鳴りを潜め、まだある時期が来れば、違う形で復活するんだ」

 と考えれば、その組織というのが、形を変えて、

「新興宗教」

 ということで、世の中に根付いているとして、あれだけ時代ごとに、

「大問題となって、最後は社会的に抹殺される」

 ということになるが、

「またしばらくして、ほとぼりがさめれば、性懲りもなく、湧いて出る」

 ということになるのだ。

 もっといえば、

「テロ組織」

 と呼ばれ、

「世界で一番安全で、治安がいい」

 と言われた東京を、

「迷信だ」

 と言わしめた、

「鉄道毒ガステロ」

 と言われた事件があったではないか。

 三十年近くが経った今でも、その後遺症に悩まされている人がいる中で、その正体が、

「新興宗教」

 によるもので、今では、その首謀者のほとんどは、

「処刑された」

 ということで、一応の段落を踏まえ、

「過去の事件」

 ということになった。

 しかし、確かにその時の新興宗教というのは、すでに、

「過去のもの」

 ということであるが、実際に似たような宗教団体というものは、それこそ、

「性懲りもなく湧いて出る」 

 というものであった。

 特に、最近では、

「政府の要人に取り入り、悪徳宗教と分かっていて、ずっと結びついていた」

 ということで問題になっているところがある。

 それは、

「元ソーリ暗殺事件」

 というものを調査しているうえで、クローズアップされたものだ。

 暗殺を、

「政治がらみのもの」

 という、

「テロ行為」

 だと思っていたが、犯人の告白から、動機は、

「元ソーリが、その宗教とかかわりがあり、その宗教団体のせいで、自分の家族が破壊されてしまった」

 ということからの復讐だったということである。

 実際のことは分からないが、犯人がそういう供述をしたことで、その宗教団体が、俄然クローズアップされたということである。

 もっとも、この団体は、この事件をきっかえに、大きな問題となったが、実際には、ずっと以前から、

「警察や、公安からマークされる団体」

 ということであった。

 特に、

「入信させた人と、その家族を引き裂く」

 という、宗教団体としては、

「ありがちな内容」

 ということであるが、その手口として、高価なツボを買わせるなどの、金銭的なものだっただけに、それは露骨な問題だった。

 つまり、昔から言われていた問題であり、それは一部の人の問題でしかなかったものが、湧いて出た時期が、ちょうど、

「宗教団体が問題になるタイミングの周期だった」

 ということで、

「本当は、昔から水面下で騒がれていることが周期的に表に出るだけで、絶えず問題が消えることはない」

 ということを物語っているということになるのである。

 そんな時代と同じように、水面下で世の中を捜査している連中も、

「一定の時期に表に出る」

 ということであり、

「ブームの操作」

 であったり、

「社会問題の操作」

 というものを行うことで、

「自分たちにとって都合のいい世の中を作っている」

 といってもいいかも知れない。

 それが、

「政府の裏機関」

 といってもいいだろう。

 特に政府というのが、昔であれば、

「少々騒がれても、何とかできるだけの力があった」

 という時代であればいいのだが、最近では、

「政府自体が弱い」

 つまり、

「その母体、骨組みが弱い」

 ということであるから、

「裏の組織」

 というのも、あまり大っぴらに動けないのだろう。

 だから、今の政治というのは、

「一つのことが解決しても、またすぐに、湧いて出る」

 ということで、

「まるでモグラたたきのようなものだ」

 ということになる。

 実際に、

「今のソーリが変わればいいんだ」

 ということで、

「トップの交代」

 というものを待ち望んでいて、実際にトップが変わると、すぐに、

「前のソーリの方がマシだった」

 ということになる。

 しかも、以前であれば、

「政権交代もやむなし」

 ということであったが、今は、

「政権交代なんてことをすれば、その瞬間に日本は終わりだ」

 とまで言われる時代になってきた。

 こうなると、

「今のソーリは最悪だが、他に変わるやつもいないし、今までの経験から、変わるとさらにひどくなるということから、トップを変えるのは怖い」

 ということで、そのまま続けているだけなのだ。

 それを、暗殺された元ソーリのように、

「歴代就任期間が一位」

 ということを誇りに思っているようだが、実際には、

「他にいない」

 というだけでソーリができていたということに気づいているのかいないのか。

 そもそも、

「就任期間が歴代一位ということが誇りだといっているのって、どうなんだ?」

 ということではないだろうか?

 どうせなら、

「何かの性格を打ち立てた」

 ということで有名なソーリということを政治家ならば目指すべきではないのだろうか?

 これでは、

「参加することに意義がある」

 というオリンピックと変わりはない。

 そもそも、

「オリンピックというのは、プロではない人たちの集まり」

 ということで、最近はプロの参加もあるが、基本的には、

「アマチュアの大海」

 ということである。

 それを、

「プロでなければいけないはずの政治家」

 というものが、

「参加する」

 ということでの、

「就任期間にこだわる」

 というのは、それだけ、政治家というものが落ちたということであろう。

 それが、

「プロスポーツにおける、試合出場」

 というのであれば、

「レギュラーを掴んで、継続した」

 ということで評価されるのは当然だろう。

 それだけの成果もあげているから、表舞台に出れるわけである。

「他になり手がいない」

 という、今の時代のソーリとはわけがちがうというわけだ。

 マスゴミもそれくらいのことは分かっているだろう。

 しかし、あまりそれらを話題にせず、

「政治家をディスりながらも、それが政治家を生かしている」

 ということになるのは、やはり、

「それだけ、他に誰もする人がいない」

 ということであり、それは、

「できる人がいない」

 ということとは、しょせん違っているといってもいいのではないだろうか?

 マスゴミが、勢いをなくしたのは、そのニュースソースとなる、政治家であったり、芸能人が、

「おとなしくなった」

 といえるからなのかも知れないが、そこに、どれだけ、

「裏組織」

 と言われる人たちが絡んでいるというのか、分かったものではない。

 ひょっとすると、

「弱くなった政府に変わって、、裏組織がのし上がっているのではないか?」

 とも考えられる。

「弱き君主は罪悪なり」

 と言われるが、まさにその通りではないだろうか?

 出版社ということでいえば、あれはいつ頃だっただろうか?

「そうだ、そろそろ20年が経とうとしている時期だ」

 ということで、21世紀になってから少ししてくらいの頃だっただろう。

 出版社に、当時としては、

「画期的な」

 といえる出版社が登場した。

 それこそ、

「時代がもたらしたブーム」

 といってもいいかも知れない。

 しかし、その時代においては、

「ブーム」

 というには、そんな甘いものではないと考えられていた。

 特にその時代というと、バブルが崩壊し、それまでのバブル期のような、

「事業を拡大すれば、どんどん儲かる」

 ということで、

「社員に限りがあるわけなので、社員はこき使う」

 という時代だった。

「24時間戦えますか」

 という宣伝文句のスタミナドリンクが売れ、さらに、

「企業戦士」

 と言われ、

「働くことが当たり前」

 の時代だった。

 それでも、文句を言わないのは、

「やればやっただけの給料がもらえるからだ」

 ということであった。

 社員に仕事をさせるには、それだけの報酬を与えなければいけないというのも、常識だったのだ。

 だが、バブルが崩壊すると、今度は、拡大した事業の採算が取れなくなり。結局、拡大した部分がすべて赤字、収入が激減し、拡大した分の支出はそのままということで、問題は、経費節減となり、リストラなどということでの、人員整理が当たり前になり、それでも耐えられない会社は、

「破綻するしかない」

 というところまで追い込まれた。

 そこで、

「大きな会社同士の合併」

 であったり、社員の給料を下げることで、経費節減のために、

「人員整理の一種」

 ということで、

「非正規雇用」

 というものが当たり前ということになってきた。

 だから、非正規雇用の人には、

「残業はさせられない」

 ということで、決まった給料ということになり、バブルの時代のように、

「金はあるが暇はない」

 という時代ではなく。

「金は入ってこないが、時間だけはある」

 ということで、考えられることとして、

「金を使わない趣味」

 ということを考えるようになるだろう。

 その中で、

「小説執筆」

 ということを考える人が爆発的に増えたのだ。

 それまでは、

「小説なんて、俺にはできない」

 と誰もが思うことで、どうせ金を使っても構わないのだからということで、バブルの時代は、

「金がかかってもいい趣味」

 ということを平気でしたいただろう。

 しかし、実際に、

「金のかからない趣味」

 として、

「小説執筆」

 を考えるようになると、それが、

「高尚な趣味」

 であるということに気が付いて、それに目を付けたのが、

「自費出版社系」

 と呼ばれる出版社であったのだ。


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