第22話:転んだ先に杖
物が落ちそうなら、彼は先に床に置いた。
誰かに怒られそうなときは、自分から先に謝ってしまった。
割れそうな食器は、いつ割れてもいいように少し雑に扱った。
ミスや遅れ、失敗が生じそうなときは少しあえてそうしていた。
けれど、どれも致命的な失敗ではない。
誰もが「ちょっと抜けてるな」「まあ、いつものことか」と笑って済ませる程度のものばかり。
誰も本当に責めはしなかった。
責めるほどのことじゃなかったから。
けれど、それがずっと気になっていた人がいた。
職場の同期で、きっちりした性格の女性だった。
「・・・ねえ、それ、わざとだよね?」
彼は振り返らず、「なにが?」とだけ答えた。
「全部。ちょっとだけ遅れてくるとか、書き間違えるとか。少し失敗するの」
彼は少し黙って、それから静かに笑った。
「・・・よく見てるね、君」
彼女も笑わなかった。
そしてもう一度だけ、真正面から尋ねた。
「どうして?」
彼は少し考えるように空を仰いで、それからゆっくり言った。
「失敗するのって、怖いじゃん。ミスして怒られるのとか、誰かに失望されるのとか。でも・・・それが最初からあるものだったら、そんなに怖くないんだよ。だから、わざと失敗しておく。小さく、目立たないように。ああ、こうなるって知ってた。そんなふうに、自分を慣らすんだ」
彼女は言葉を失った。
それが冗談でも、ふざけでもないことが分かったから。
彼は照れたように笑った。
「変でしょ?」
「・・・変、だけど」
「だけど?」
「なんか、ちょっと分かる」
ふたりはそれ以上、何も言わなかった。
けれどその日、彼は少しだけマグカップを丁寧に置いた。
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