ショートショート集:ゆるぎない揺らぎ
くすみ
第1話:声のする店
男が毎日のように歩く通りに、一軒の店がある。
古びた曇りガラスのドアのその店の中は、外からはまったく見えない。
だが、そのドアの向こうからはいつも、賑やかな声が聞こえてくる。
楽しげな笑い声、誰かの話し声、グラスが軽くぶつかるような音。
「よっぽど繁盛してるんだな」
そう思いながら何度も通り過ぎたが、不思議なことに、誰かがその店に入ったり、
出ていく姿を一度も見たことがなかった。
別の日、男は試しに向かいのカフェに座ってコーヒーを飲みながら、店をじっと観察してみた。
一時間ほど眺めていたが、出入りはなし。
にもかかわらず、声は絶え間なく聞こえていた。
さらに別の日には、隣の理髪店で髪を切りながら様子を見てから、店を出た。
すると、例の店の中から「おめでとー!」「うわー、それ美味しそう!」という声が漏れ聞こえた。
だがその瞬間、店のドアの前には誰もいなかった。
夜遅くに通ってみたこともある。
シャッターは下りていない。灯りもついている。
それなのに、人の気配は感じられず、ただ、ずっと誰かの談笑が続いているだけだった。
男はついに、確かめずにはいられなくなった。
ある晩、店の前に立ち、息を呑んでドアに手をかけた。
ガラガラガラっ。
音を立てて開いたドアの先に、男は目を見開いた。
そこには、人の姿は一人もなかった。
棚も、テーブルも、椅子すらもない。
ただ、部屋の真ん中に、埃をかぶったラジカセがひとつ。
ぽつんと置かれているだけだった。
その瞬間。
「・・・あ、またひとり来た」
と、誰かの声がした。
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