7匙目 助言はキャラメルラテを飲んだ後に

「キャラメルラテでよかったですか?」

「うん、ありがとう」


 バイトの遅刻はなんとか免れた。久しぶりにシフトのかぶった海遊ちゃんに珍しいですねなんて雑談をしているうちに客が増え始め、気付いたら店は大混雑となっていた。

 注文を取ってはドリンクを作り、注文を取ってはドリンクを作り。時計を見る暇もなくひたすら新商品のフラッペを作っていた記憶しかない。

 やっとのことで入れた休憩。何もやる気がなくて休憩室の机で突っ伏していると、海遊ちゃんができたてほやほやのキャラメルラテを作ってくれた。これが飲みたい気分ではあったが言った覚えはない。なんて察しの良い子なのだろう。


「さすが、招き猫の鮮先輩ですよね」

「何それ知らない。悪口?」

「んー、半々? 鮮先輩が入った途端にお客さんがめっちゃ入ってくるので売上が伸びてお店的には嬉しいな。でも、同じシフトに入るバイト的には忙しすぎて辛いな。みたいな」

「え、いつもこんなんじゃないの」

「もう少しましですよ。だから招き猫」


 この場合、一番辛いのは俺ではなかろうか。だっていつもこれくらい客が来て忙しいのだか。そう嘆けば海遊ちゃんは笑う。

 彼女の笑い声が響くだけで場の空気がワントーンどころかツートーンくらい明るくなった気がして、バスから引きずっていた憂鬱な気持ちが少し晴れた。


「ところで鮮先輩。甘露時先輩と喧嘩していますか?」

「……玉緒姉妹で俺たちの情報共有でもしてるの?」

「まさか。お姉ちゃんの口から鮮先輩の話は出ても甘露時先輩のカの字もありませんよ」

「嫌いすぎだろ」

「友達が少ない姉なので、貴重な友達過激派なんですよ」

「良い奴なのになあ」

「彼氏が途切れないというのが印象悪いんですよね。人から男を奪うとかはしないけど、警戒されても仕方がないというか」

「海遊ちゃんも男に人気なのに、どこで差がついているのか」

「見た目じゃないですか? ほら、私は男ウケとか彼氏の好みに染めるとかしないから」


 共通の人を話題に会話を弾ませる海遊ちゃんは俺の斜め前の席に座って、キャラメルラテと一緒に作ってきたのであろう新商品のフラッペを撮影していた。カスタマイズもしっかりしていて、バイトの特権を活用している。

 そんな海遊ちゃんに視線送りながら、受け取ったキャラメルラテに口をつける。コーヒーのほろ苦さの中にキャラメルとミルクのまろやかな甘みが絶妙に混ざっていて美味しい。美味しいのに、どこか物足りなさを覚えて唇を舐める。


「なんで喧嘩したと思ったのかって顔ですね」

「察しの良さもピカイチときたもんだ」

「一人旅を趣味にしているといろいろな場面に遭遇するもので」

「一人旅が趣味の女子高校生って字面が強すぎる」

「鮮先輩も留学する予定でしたよね」

「あー、まだ検討中だけど……そのつもり」

「さすがに、外国にはまだ行っていないので土産話を楽しみにしていますね」

「土産話でいいんだ」

「外国のお菓子にも興味があります」


 フラッペの撮影を終えた海遊ちゃんはプラスチックストローでカップの中をかき混ぜる。緑のプラスチックストローに添えられた丸爪は白く染まっており、休憩室の照明に反射してきらきら光っている。

 ストローの色もあって蒲公英の綿毛みたいだなあなんて思っていると、海遊ちゃんは人差し指をぴんと立ててすーっと宙をなぞる。綿毛のようにふわふわと揺れる白い爪を目で追いかけているうちに、ぱちっとカラメルのように透明感のある甘い目と視線がぶつかる。


「それで、質問の答えなんですけどね。鮮先輩が来る十分くらい前まで甘露時先輩がお店に来てたんですよ」

「あいつ、ここに来てたの!?」

「はい。緊張した様子で長いこと座っていましたよ」

「……具合が悪そうとかそういうのは」

「体調を崩している様子はなかったですね。ただ……」

「ただ?」

「今日は休講ですか? それともサボり? 鮮先輩に怒られちゃいますよって話しかけたら顔を真っ青にしていました」

「……」

「間違いなく怒られる。今度こそ嫌われるかも。でもこうでもしないと話ができない。なんて、心の声をだだ漏れにして帰っていきました」


 つまり、翔梨は具合が悪くなって大学を休んでいるのではなくサボりということになる。人に心配かけておいてなんだよそれ。眉間に皺を寄せてぼやく。

 そんな俺に海遊ちゃんはやっぱり喧嘩をしているんですねと眉をハの字に下げて笑う。しまった、これでは二人揃って後輩を困らせたことになると慌てて眉間の皺を伸ばす。


「鮮先輩と喧嘩したとなれば、精神的に体調が悪いんじゃないですか?」

「喧嘩というか、俺が一方的に怒っているだけなんだ」

「じゃあ、なおさら体調を崩しそうな話ですね。怒らせた嫌われたかもなんて気分が沈むどころの話じゃないでしょうし」

「そんなことないと思うけど。翔梨の隣にはいつも誰かいるし、俺かいなくても困らないだろうし」

「私から見たらそんなことあると思いますけどねぇ」


 そんなことあるんだよ。翔梨は俺と違ってどんな輪にも入っていけるし、誰とでも話に花を咲かせることができるし。俺がいなければいないで別の誰かといるんだよ。

 翔梨の家の洗面台を思い出し、さすがにそこまでのことは言えず口を閉ざす。そんな俺に海遊ちゃんは不思議そうに首を傾げる。

 明るい笑い声で晴れてきた気持ちが再び沈もうとしていた。今日一日で浮き沈みが激しく、これはいよいよまずいという自覚がある。なので、この流れで藁にも縋る思いなんて言ったら大変失礼だが、そんな気持ちで人間関係強者である友達の妹に意見を求めることを決意する。

 ……うん、藁に例えるのはやはりよくない。目の前にいるのはスクールカーストの頂点に立っているような一軍女子だ、しかも三軍にも好かれるようなタイプ。

 

「恥を忍んで相談したいんだけど」

「お姉ちゃんにはできない相談ですか?」

「できないというより、それが原因で毛嫌いしているというか」

「ふうん? お役に立てるか分かりませんが、人に話しているうちに整理がつくものもありますし、どうぞどうぞ」

「……、…………自分のことが好きなのかって聞いておいて、質問の答えを得られなかったのに以降問いかけてくることなく。ずるずると関係を継続する奴って何を考えていると思う?」

「うわあ」


 頬を引き攣らせて言葉に困っていた。海遊ちゃんにしては珍しい反応で、こんなろくでもない相談を持ちかけたことが申し訳なくなる。ただ、ほどよく事情を察してくれそうな頼みの綱が海遊ちゃんしかいないので許してほしい。

 海遊ちゃんは両腕を組んで悩ましげな声を上げる。返答を受けるまでの間を埋めるようにぬるくなったキャラメルラテに口をつける。

 しばらくして、海遊ちゃんは組んでいた腕を解く。そして、右手の人差し指、左手の人差し指と中指をぴんっと立てて俺に提示する。

 

「良いパターンと悪いパターン、どちらを聞きたいですか?」

「え、えー、じゃあ……悪いパターンから」

「悪いパターンで考えられるのは二つ。一つは友達のままでいたいから好意を見せないでくれ、もしくは自分にそういうものを求めないでくれという牽制」

「……もう一つは?」

「指摘されたあとも変わらず傍にいようとしているのだからよっぽど自分のことが好きなのだろうと調子に乗って都合の良い遊び相手にしている。こちらはクズなのでグーパンを一発かまして縁を切ることをオススメします」


 チベットスナギツネのような目をして一言を付け足す姿から凛々花と同じ遺伝子を感じた。系統は異なる姉妹だが、思考は似ているんだな。そういうことを考えて必死に気を紛らわせる。

 翔梨はそういう奴じゃない。そう言いたい。けど、来る者拒まず去る者追わず。そういう空気になれば簡単に手を出して爛れた関係にも発展するような男だ。否定ができない。

 ということは、俺の好意を知っていて……知っているからああいうことをするのだろうか。気軽にそういうことができる都合の良い友達。都合が良いなんて表現はしていないだろうけど、楽しいことと気持ちいいことを一緒にできて一石二鳥とは考えているかもしれない。

 そういうことなんだろうなあと表情を隠すように両手で顔を覆い、深い溜め息を吐く。


「良いパターンですが、こちらは相手が臆病者だからって話です」

「臆病者?」

「その場合、すれ違いを起こすと話がどんどん拗れて非常に厄介です。とっとと話し合いをして仲直りをした方がいいですよ」

「待って。臆病者についての具体的な解説は?」

「私の口からは言えません」


 ぴんと立てていた人差し指を唇の前で重ねて、バツ印をら作る。オレンジ色に塗られた睫毛で飾られた瞼を閉じて、そっぽを向く。どれだけ尋ねられてもそれ以上は答えるつもりはないということか。

 そこまで言ったなら話してくれたらいいのにと不貞腐れながら、キャラメルラテを飲み干す。

 

「ところで鮮先輩。私、一つ謝らないといけないことがありまして」

「その前置き怖すぎる。何をやらかしたの」

「鮮先輩と喧嘩しているなら早めに仲直りできるといいですね、留学も控えていますし。なんて甘露時先輩に言ってしまい」

「謝る必要ないような……あ」

「留学の件を甘露時先輩に話していないとは思っていなくて。というかその顔、話していないことを忘れていたって顔ですね」

「行くことを決めたら話そうかと思って」

「うわあ」


 顔の前で両手を合わせて謝罪をする海遊ちゃんの頬な再び引き攣る。この人、まじか。とでも言いたげな目から逃れるように顔を逸らす。

 隠そうと思って黙っていたわけではない。ただ、留学するか迷っていたから話題にしなかっただけだ。歯切れ悪くそう主張すれば海遊ちゃんは苦笑する。


「私の経験上、喧嘩とも言い難いすれ違いはまじで拗れるだけですよ。今日にでも腹を括って話し合いをした方がいいですよ」 

「海遊ちゃんでもそういうことあるんだ」

「私をなんだと思っているんですか」

「人間関係マスター」

「十七年しか生きていない小娘にその称号は重すぎ」


 他人とコミュニケーションを取ることが苦手な俺にとっては十分すぎる。そんな話をしながら空になったカップを持って立ち上がる。海遊ちゃんは時計を確認し、慌ててカップの蓋を取って残りのフラッペを飲み干す。

 急いだせいでクリームが白髭になっている。指摘すれば海遊ちゃんは少し恥ずかしそうに口元を拭った。こういう仕草は年下の女の子って感じがして安心する。


「甘露時先輩と私、根本的なところは似ているのでなんとなぁく分かるだけですよ」

「二人が似てる? まさか」

「人との関わり方においては多分同じようなことを考えていると思います」

「例えば?」

「人付き合いは広く浅く、自分から必要以上に深入りしない。でも、特別な人は囲いたくなる……みたいな?」


 こてんと首を傾げた海遊ちゃんは俺を見て、あーと悩ましげな声を出す。それから何かを一考し、ふむと一つ頷く。どうしたのだろうと海遊ちゃんと反対側に首を傾げてみせる。

 空にしたプラスチックカップに付着したフラッペのクリームを水洗いし、ゴミ箱に捨てる。それから海遊ちゃんは俺の方に振り返って再び人差し指をぴんっと立てる。今度は右手だけ。

 

「私を人間関係マスターなんて言っちゃう鮮先輩には難問だと思ったのでヒントをあげ」

「ください」

「まさかの食い気味」

「……俺も、このままじゃいけないとは思っているんだよ」

「ふうん」


 海遊ちゃんは立てた人差し指を唇の前にもっていき、この話をしたのは自分だと凛々花や翔梨には内緒にしているよう口止めをする。

 了承の意を込めて頷けば、海遊ちゃんはにっこり笑って口を開く。


「鮮先輩の交友関係が狭くなった原因は何か、真剣に考えるといいですよ」


 ヒントが難問すぎる。

 そう思ったが、さすがに口にすることはできなかった。

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