3匙目 暴言はチョコレートに包んで
静寂に包まれた学生ホールは集中をするのに適した環境でレポート作成が捗る。小腹が空けばすぐ近くにある購買でパンやお菓子を買えばいいのでありがたい。
切りのよいところで上書き保存をし、凝り固まった身体を解そうと手を上げて背中を伸ばす。反り返った背中に硬い背もたれが食い込む。肩甲骨あたりに入ってくれるとちょうどよく解せるんだけどな。そんなことを考えながら上下逆さまになった景色を眺めていると、ひょっこりと見慣れた顔が覗き込んできた。
「やっ」
「……びっくりした」
「えー、本当に? そう言いながら眉一つ動いてないけど」
「驚きすぎて表情が追いつかなかったんだよ」
「そういうことあるよね。隣いい?」
「いいけど、どうしたの。次の講義までまだ時間があるよ」
「家じゃ集中できないからここでレポート作っちゃおうかなって。鮮くんは?」
「早く着いたからレポート作成をやってた」
「早く着いたのは甘露時くんと一緒に通学したからかな~?」
俺が答える前に隣の席に座ってノートパソコンを出すあたり、はいもしくはイエスの回答以外聞くつもりなかったのだろう。昔からそういうところがある。パソコンの電源を入れて、起動するまでの間の雑談として遠慮なくぶっ込んでくる。そういうところ、高校時代から変わらないよな。
溜め息を吐いてそう返せば、高校時代からの女友達であるたた
「呆れた。あの沼男とまだ不毛な関係を続けているんだ」
「翔梨を思考実験で登場する同質形状の生成物扱いかよ」
「誰もスワンプマンの話はしていないから。本気の返しだったら鮮くんのコミュ力疑うよ」
「俺は友達の悪口を堂々と言う凜々花の神経を既に疑っているよ」
「沼男を誉め言葉じゃなくて悪口と捉えるあたり分かってるよね」
俺の返しに間髪入れずスワンプマンと挙げるあたりさすがだよな。そう言ったら瞼にラメをのせてきらきらとさせた目を吊り上げて怒るんだろう。そういう表情も可愛らしいと鼻の下を伸ばす奴を何人も見てきた。俺からすれば怒ると理屈責めで追い詰めてくるし、面倒臭いだけなんだがと言ったときの周りの反応ときたら。
怒らせると分かっている話題を深掘りするか、無視したい質問を自ら掘り下げるか。どちらを選んでも厄介なことになる二択を差し出してくるとは、さすが凜々花と感心してしまう。こうやって会話の主導権を握っていくのだろうな。
「好きな人とセフレ関係になるべきじゃないよ」
「耳タコ耳タコ」
「てことで、合コン行かない?」
「合コンに異性を誘うとかある?」
「鮮くんは顔だけはいいから人気あるんだよね~。連れていくって行ったら他の子がはりきって粒揃いの男を用意してくれる」
「俺を餌にするな……というか、凜々花って彼氏いたよな」
「どの彼氏のこと言ってる? 最近付き合っていた彼氏なら先週別れたけど」
聞いてくれるならいくらでも話すが、最後まで聞けよ。そんな圧力をにっこりとした笑顔から伝わってきて、そっと目を逸らす。この感じだといつものように振られたんだろうな。
聞くつもりがないことを態度から察した凜々花はレポートの作成を始める。まだ一文字も入力されていなくて真っ白な画面から、明日提出の課題なのに間に合うのだろうかと勝手に心配する。
「何か手伝おうか?」
「1600字以内のレポートならすぐ終わるよ。それよりも合コンに来てほしい」
「それは無理。出会いを求めていないのに行ったら相手に失礼だろ」
「ただの飲み会として軽い気持ちで来ればいいのに」
「それができたら苦労していないから。俺の気持ち、知ってるだろ」
翔梨に抱いた恋心を自覚したとき、俺は隠すことに決めた。そうしなければ友達でいることすらできないと思ったから。しかし、彼女にはもちろん友達にも甘い顔をする翔梨のせいで抑え込むにも限界があった。それもこれも誰にでもいい顔をする翔梨が悪いと何度舌打ちをしたことか。そうしているうちに恋多き女の凜々花に気付かれた。それはもう可哀想なものを見る目を向けられたときの辛さと言ったら。
男が途切れることなく、彼氏の好みに染まりやすい凜々花は同性に嫌われやすい。だからこそ、数少ない友達は大事にしていることは知っている。だから俺のことを思って翔梨への印象が悪いのも分かっている。男の傷は男で癒すものという発想で合コンに誘ってくれているのだろうけど……どんなタイミングで誘われても乗り気にはなれない。
「私さ、好きな人に振り向いてもらうために自分を磨いたり、アピールしたり、そういう片思いの醍醐味を楽しむのはいいと思うんだ」
「そういうのを醍醐味って言えるところがすごいよな」
「えへへ、ありがとう。それで、セフレって関係も完全に否定しないよ。それで埋められる心の隙間というのもあると思う。私は嫌だけど、人から見たら彼氏がころころ変わって男を取っかえ引っ変えしているようなものだろうし」
「あー、まあ。でも、凜々花は彼氏に一途だよな。染まりやすくて尽くしすぎるから重いって振られるだけで」
「元カレとの経験は全て自分をアップデートするための栄養となるのだよ」
「その考え方、どうやったら身につくんだよ……」
「人は何度も転んでは傷ついて、傷を治すと共に強くなるのだよ」
ふふんと鼻を鳴らして誇らしげにしているあたり、凜々花はそういう考え方ができる自分を肯定的に捉えているのだろう。別れる度に目元を腫らし、化粧で誤魔化す姿を何度も見ているだけに心から尊敬する。
それと比べて俺はどうだろう。臭いものには蓋をしてよく分からない爛れた関係を引きずっている。好意を隠して友達ヅラをしていた罰なのだろうか。
「関係を仕掛けてきたのは甘露時くんからだし、その点においては鮮くんに非はないよ」
「口に出てた?」
「出てた出てた。その癖直しなよ〜。それで関係拗らせたことが私にバレたんだから」
「あのときの凜々花の顔と言ったら、傑作だったよな。得体の知れないものを見るような目をしてた」
「普通に意味分かんないもん。好きなのか聞いておいて、質問をスルーされたら答えを聞くことをせずに手を出すとか。あの男、そのうち刺されるよ」
ツヤツヤのピンクに色付いた爪がリズミカルに跳ねる。先週まではシックなブラウン系で染められていたのは元カレの好みに合わせていたんだろうな。そんなことを考えて、レポート作成を再開する。
カタカタ、カタカタ。静寂に包まれて学生ホールに硬い音が響く。思い浮かんだ言葉を文章化し、文字として打ち出す作業に集中するにはちょうどいい音だ。
「翔梨が怪我をするのは嫌だな」
「自分も振り回されているのに心配するのは愛だよねぇ。良いことだとは思えないけど、そういう鮮くんを尊敬するよ」
「お互い恋愛観が違うから擦り合わせることも共感することもできないだろうな」
「それは確かに。私、自分を傷つける男はどれだけ好きだろうと許さないから」
「二股した男の金的を教室のど真ん中で蹴り上げたのは俺の中で伝説になっているからな」
「四年前の話じゃん。もうそろそろ忘れてよ〜」
「無理だな。あれ、カッケェと思ったもん」
忘れもしない高校生活初めての夏休みが明けた日のこと。
夏休み前にカップル成立かつ初のクラス内カップルと盛り上がっていたが、中学生の頃から付き合っている彼女がいると夏休み中に判明したらしい。つまり、凜々花の方が浮気相手となる。それに怒った彼女は登校して早々に彼氏の金的を蹴り飛ばし、蹲るそいつを軽蔑した目で見下ろして別れを告げた。夏休み前まで凜々花の印象はきゅるっとして男ウケが良くて女に嫌われる典型的なタイプだったので、クラスを震撼させた。主に男子生徒。
俺はというと、きゅるっと可愛い子ぶっているよりもそういう姿に好感を抱き、夏休み明けの席替えで隣になったこともあって話しかけるようになった。凜々花の伝説の始まりであり、俺たちが友達となるきっかけである。忘れる方が無理な話だ。
「しんどくなったら言ってね。鮮くんの代わりに私が蹴り飛ばしてあげるから」
「心強いな」
「冗談じゃなくて本気で言っているんだからね。鮮くんは男女の友情成立しない派の私と長く付き合って大事なお友達なんだから」
「女友達も少ないしな」
「寝取るとかそういうことはしていないんだけどね~」
口寂しくなったのか、凜々花は鞄からチョコレートを取り出す。鮮くんもどうぞと渡されたので遠慮なく受け取り、包み紙を左右から引っ張る。現れたチョコレートは四角くてアルファベットが掘られたもの。昔、翔梨の実家でよく食べていたことを思い出しながら口の中に放り込む。
思い出とともに口に入れたせいか、噛んでなくすのは惜しく、ころりころりと舌で転がす。少しづつ溶けていき、平ペったくなったところで噛んで飲み込む。
「合コンとかそういう話は隅に置いて、普通に飲み会として参加しない? 交友関係広げるのはいいことだもおも」
「随分と楽しそうだね。何の話?」
「うわ出た、沼男」
「え、思考実験の話で盛り上がっていたの?」
「二人してスワンプマンを思い浮かべるのはなんなの。流行りなの?」
俺と凜々花の間に長い腕が割り込んでくる。腕を辿れば、にっこりと笑顔を浮かべる翔梨が立っていた。いつもと変わらない笑顔なのにどことなく威圧感を覚え、俺は首を傾げる。威圧感が不快だったのか、それとも割り込んできたことに怒ったのか、凜々花は翔梨に聞こえるように舌打ちをする。
凜々花がそういう態度を取るのは今更なことなので、翔梨は気に留めることなく笑っている。
「睨んだところで可愛らしく見えるだけだよ」
「甘露時くんのぺらっぺらな誉め言葉に私がときめくと思う?」
「酷いなあ、本当に思っていることを言っているのに」
「だから質が悪いんでしょ。いったい何人の女の子を泣かせたのやら」
「玉緒さんと同じで俺は振られて別れるばかりだよ。だから泣きたいのはこっちなんだけどなあ」
「ねえ、鮮くん。やっぱり甘露時くんって性格悪いと思うんだ」
「五十歩百歩」
どっちもいい性格をしているよ。そう指摘すれば翔梨は力強く頷き、凜々花は不満そうに頬を膨らませる。
頬を膨らませるなんて子どもっぽい仕草も可愛らしく見えるので、いいなあと思った。凜々花みたいに怒っていても愛嬌のある子だったら、周りの目を気にすることなく好意を抱いている相手に触れることができたんだろうな。頬杖をついてノートパソコンを片付けている凜々花を観察していると、ちゅるんとしたグレーが可愛いのだと熱弁していたカラコンが入った目と合う。
「そんなに見つめられると照れちゃうよ」
「凜々花みたいな子を可愛いって言うんだろうなあと思って」
「え、なになに。そこまで褒められると冗談抜きで照れる」
「見ていて本当にそう思っただけ」
「そうなの? あれだったら私に惚れてもい」
「……そうだ、玉緒さん。男は追いかけられているときよりも追っている方が大事にすると思うよ。尽くしすぎもほどほどにね」
「わあ、甘露時くんが言うと重みがあるね~」
「あはは。そう思ってくれるなら余計なことは言わないでほしいなあ」
「えー、余計なことって何のことかなあ。具体的に言ってくれないとわかんなぁい」
二人の間に火花が散っているように見える。どちらも笑顔を浮かべているだけに少し怖い。こういうときは触れないに限ると、俺はパソコンの画面に目を向ける。そうしている間も、二人は柔らかな声色で棘のある言葉の応酬を重ねていた。
しばらくして、先に根を上げたのは凜々花の方だった。何を言い合っていたのか、途中から翔梨の大きな手によって耳を塞がれていた俺には分からなかった。ただ、根を上げたわりに清々しい顔をしているので言いたいことは全部言ってやったという感じなのだろう。凜々花は教科書とノートパソコンが入ったキャンバストートを肩に掛けて立ち上がる。
「私、先に教室に行ってるね」
「おー」
「さっきの話、考えておいてよ」
「ん、分かった」
そう言い残して凜々花が去っていくと、翔梨は空いた椅子に座る。わざわざ凜々花がどくのを待たず、俺の反対隣の席に座ればよかったのに。そう思ったけれど、なんとなく口にしにくかったので黙っておく。俺と凜々花の間に割り込んだみたいだな、なんて余計なことまで付け足したら翔梨がどういう返事をするのか想像するのが怖かったのだ。
俺がそんなことを考えているなんて知ることのない翔梨は凜々花がくれたチョコをもう一粒食べようと伸ばした俺の手を掴む。吃驚して動きを止めると、指の間にごつごつとした太い指を滑り込ませ、そのまま握ってくる。いつもより力が強くて、少し痛い。
「翔梨、痛い」
「……さっきの話って何」
「飲み会に来ないかって誘われたんだよ」
「合コンの間違いじゃなくて?」
「あー、まあ」
「……行くの?」
「普通の飲み会としてなら行こうかなって。大学に入ってからあんまそういうのに顔を出していないし」
「ほぼ毎日俺といるもんね」
「そうだな」
痛みを訴えれば翔梨は手を緩める。しかし、俺の手を放すつもりはないようで、握る力に強弱をつけて遊び始める。
手が熱くなってきた。これは翔梨の体温が移ったせいだ。それ以上でもそれ以下でもない。そう自分に言い聞かせて、翔梨から目を逸らす。それが不満だったのか、翔梨は俺の手を引き寄せる。何か悪戯でもするつもりなのかと放置していると、指先に柔らかいものを押し付けられる。何を触らされているんだと横目で確認し、俺は絶句する。
「お、ま……!」
「ただの飲み会なら俺も参加させてもらおうかな」
「いや、そこじゃなくて……というか、凜々花が嫌がるだろ」
「それもそうだね。俺、玉緒さんに嫌われてるし」
「調子乗ってると蹴り飛ばされるぞ」
「伝説の急所蹴り?」
「そ。しかも、人の多い学生ホールのど真ん中で」
「それは怖いなあ」
いっそのこと蹴り飛ばされてしまえ。刺されるよりはずっとマシだろ。
なんて、物騒なことは言えず。翔梨に口付けられた指先を丸めることしかできなかった。
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