第8話 剣を交える前に、名を呼んだ
北の大地は寒かった。氷混じりの風が砂塵と雪を巻き上げ、剣と剣の音が遠くから響く。
「勇者様、お下がりください! あれは……!」
兵士の声が震える。視線の先――漆黒の鎧、たったひとり、歩いてくる影。
魔王。
その姿を見た瞬間、涼太は息を飲んだ。夢の中の“彼”と、寸分違わぬ顔立ち。迷いのない足取り。だが、剣は抜かれていない。
「……一人で来たのか」
涼太は呟いた。周囲の兵士たちは戦慄するが、魔王はただ手を挙げた。
「朝倉、涼太!」
名を、呼ばれた。
魔王は叫ぶでもなく、静かに、確かに。まるで、旧友に呼びかけるように。
涼太は歩み出る。剣を鞘に戻したまま。
「……やっぱり、お前だったんだな。夢の中の、あの……」
「お前も見てたんだな、同じ夢を」
氷の地面を挟んで、ふたりは対峙する。背後では魔族の軍も、王国の兵も、息を呑んで見守っていた。
「俺は……できれば、お前と戦いたくない」
魔王が言った。肩の力を抜いたまま、けれど目だけはまっすぐに。
「だけど、俺を殺さなきゃお前の世界は救えないって、そう言われた。……笑えるだろ?」
涼太は答えない。ただ、自分の鼓動が速くなっていくのを感じる。
(俺もだよ。俺も――お前を殺したくない)
「戦争は、始まってしまった。でも、まだ間に合うかもしれない。俺たちにできることが、あるなら」
涼太はようやく口を開いた。
「……もし、俺たちがここで戦わなかったら。どうなる?」
「それでも、お互いを止めようとする誰かは出てくるだろうな。でも……“勇者”と“魔王”が手を取り合えば、歴史は少しだけズレるかもしれない」
その言葉に、涼太の中で何かが決まった。
「なら、俺は――お前を信じる」
魔王は、目を見開いた後、わずかに笑った。
「いいのか? 勇者がそんなこと言ったら、処刑されるかもな」
「知らないよ。俺は俺の選択をする。大学でも、人生でも何ひとつ決められなかったけど、今だけは」
風が止む。時間が静止したような空気の中で、ふたりの距離がゆっくりと縮まる。
魔王は、手を差し出した。
「もう一度、名前を。ちゃんと、今度は」
涼太も手を伸ばす。
「朝倉涼太。勇者……だけど、ただの大学生」
「高木真人。魔王……だけど、本当は冴えないゲーマー」
手が、重なった。
その瞬間、空が轟いた。
――ふたりの手を包むように、空間が割れる。
世界が、何かを祝福するように。
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