第5話 煙が指し示す道標
大変だったよ。薬を持ってきたクッキーの女の人をなだめるのは。あの人ったら元に戻ったコーラを見るなり、“そんなことはありえませン! ”って騒ぎ出したんだもん。おかげであの町を出るのにすごい時間が掛かったよ。僕らは町を出て、湖を越えて、草原を進んでいる。傾き始めた夕日が、草をオレンジ色に染めていた。クリスは地面の石を蹴飛ばしながら、道をズカズカ歩いていく。
「見て、あれが魔王の城よ」
コーラが光の帯で、草原の先を指さす。草原の先は草木が一本も生えていない荒野があって、その中に真っ黒な城が佇んでいた。いかにもおとぎ話に出てきそうな、不気味な城だ。あの中に、魔王がいるのか。
「あそこに行けば、あなた達が帰れる方法が分かるかも知れないわ」
コーラは心なしか寂しげに呟く。そうか、僕たちが元の世界に戻ったら、コーラは独りぼっちになっちゃうのか。でも、そうなったらコーラは一体どうするんだろう。
「いいの? コーラは世界を救う人を導く必要があるんでしょ?」
「……いいのよ。私の使命はあなた達を導くこと。あなた達が元の世界に帰りたいならそれに従うわ」
覚えたてみたいな、ぎこちない笑顔を浮かべるコーラ。それを見ていると胸が締め付けられる。
「……お前、なんか変だぞ。石になって頭がおかしくなったのか?」
クリスが笑顔のコーラを気味悪そうに見る。やっぱりクリスも感じていたんだ。この頃コーラは何か変だ。宇宙人に見えないんだもん。
「わ、私、そんなに変なの?」
「ああ、前は勇者ごっこをするのに必死な仏頂面だったのに、今はただの女の人みたいだぞ」
コーラは頬を赤く染める。クリスはますますコーラを訝しむ。コーラは僕らとの旅の中で少し丸くなったのかな。体は星みたいに刺々しいけど。まあ、ちょっと変だけど仏頂面で付いてこられるよりは遙かにましだ。
「そうかしら?……だとしたら、それはあなた達のおかげね」
「はぁ? それ、どういうことだ?」
コーラに微笑まれて、赤面するクリス。クリスは訳を聞こうと、コーラに問い詰める。だけどコーラはニコニコしながら、答えようとしなかった。
「何でもないわ。さあ、行きましょう」
やっと出てきたコーラの答えに、クリスは不満げに鼻息を荒くする。二人のおかげ、か。ちょっと照れるな。僕は上機嫌に、草原の中を歩く。コーラが変われたのが僕たちのおかげなら、僕はクリスとコーラのおかげで、勇気を持てたんだ。元の世界に戻ったら、できれば僕もコーラと一緒にいたかった。この世界で一緒になれたコーラとね。
草原を抜けて荒野にさしかかったとき、風が僕らの体を吹き渡った。風は悪戯げに、僕らの髪を撫でる。魔王の城はもうすぐだ。
荒野の先には、大きな魔王の城がそびえ立つ。都会にあったビルみたいに大きな城だ。城の上空には黒雲が渦巻き、蝙蝠が飛んでいた。鉄の門は、来る人を歓迎しないように城の周りを囲んでいる。とてもじゃないけど友達の家に遊びに行く感覚で、尋ねに行くことなんてできないよ。
「よう、旅は進んでいるかい? お三方」
風と一緒に、荒野に一人の男の人が現れた。ルシアンだ。相変わらずボロボロのコートを着ていて、みすぼらしい格好だ。荒野にいると、その姿はさすらいのガンマンに見えたよ。クリスは眉間に皺を寄せて、ルシアンを睨み付ける。
「またお前か。今度は何をしに来た」
「そんなに怖い顔をしなさんなよ。オレはあんたらにちょいとばかしアドバイスをしてやろうと思って来たんだ」
拳を握り締めるクリスを、ルシアンは軽く制す。またアドバイスしてくれるのか。こんなに僕らにアドバイスばっかりして、彼は何者なんだろう。
「お前さん方、魔王の城に正門から行くつもりだろ? だったら止めた方がいいぜ。正門には二人の門番がいて、あっという間にやられちまうぞ」
ルシアンはそう言って、魔王の城の方を指さす。だけど、門には門番どころか人一人いなかった。本当なのかな、あんな所に門番がいるなんて。
「奴らは隠れていて、侵入者が来たら襲いかかってくるんだ。だから近道を使った方がいいぜ」
「その近道はどこにあるの?」
コーラの質問に、ルシアンはククッと笑う。そうか、見えないだけで門番はいるのか。ルシアンは荒野の端にある洞窟を指さした。モーガンがいたものより小さな洞窟だ。
「あれが近道だ。あそこから行けば、城に安全に入れるぜ」
ルシアンはそう言って、僕らの先を行く。そして、付いてくるように合図をした。僕とコーラは行こうとするけど、クリスはその場を動こうとしない。そのまま疑うような目つきでルシアンを睨み付けていた。
「どうしたの? クリス」
「……アンタはアイツの言ったことを信じるのか?」
クリスは不満げな顔で、僕に聞いてくる。ルシアンもそれに気づいたのか、クリスの方を見た。
「う、うん。クリスは行かないの?」
「どうもアイツは信用できない。何かとアタシ達につきまとってくるし、その度に助言してくるなんて、可笑しいぞ」
クリスは意地でもルシアンに着いていかないつもりだ。ルシアンはクリスの言葉を聞いて、可笑しそうに大笑いした。
「ハハハ、疑り深いじゃじゃ馬ガールだ。まあ、オレの助言を信じるも信じないもお前さん方次第だ。でもオレは元の世界に帰りたがっているお前さん方のためにアドバイスしているんだぜ」
ルシアンは疑われているのを意に介していないみたいだ。飄々としたまま、クリスに返す。それが気に入らなかったのか、クリスは眉をひそめる。
「でも、ルシアンのアドバイスのおかげで、僕たち今まで助かったんだよ。だから信じてもいいんじゃないかな」
「コイツは今までそうして、今度はアタシ達をはめるかも知れないんだぞ。簡単に信じていいのか?」
だんだん苛立たしげな口調になるクリス。それに合わせて、僕も意地でもクリスを説得したいと思った。言い負かさないと、クリスはきっと別行動を取る。ルシアンは黙ってその様子を見届けていた。まるで我が子の喧嘩を決着が付くまで見守る母親みたいだ。
「とにかく、このまま正門から言ったら、クリスは門番にやられちゃうよ」
「このままアイツの言うことを信じて罠に掛かるくらいなら、アタシは門番をぶっ飛ばして正面から入ってやる!」
声を張り上げるクリス。その様子は図書館の時の猛獣クリスが戻ってきたみたいだ。でも、僕も負けちゃいけない。クリスを死なせるわけにはいかないよ。突然怒鳴ったクリスに、コーラも困惑する。兄として、妹を止めないと。僕は大きく息を吸い込む。
「それじゃあ門番に負けちゃうよ! ルシアンについて行こう!」
「うるせぇっ! 実の兄でもねぇのに指図するな!!」
今までため込んでいたものを吐き出すように、クリスは咆哮する。その一言で、荒野に僅かに生えた草が震えた。やっぱり、クリスにとって僕は兄じゃなかったんだ。僕はそれ以上何も言えなかった。クリスも肩を震わせて、冷や汗をかいている。ショックだったよ。思わず涙目になるほどね。僕はクリスを死なせたくなかっただけなのに。しばらくの間、荒野に沈黙が走った。頼りになる妹だと思っていたのに、また猛獣に逆戻りだよ。
「今は喧嘩している場合じゃないわ。二人とも、行くわよ」
沈黙に耐えきれなかったのか、コーラが僕とクリスの間に割って入る。でも、僕は正直コーラの存在を感じられなくなるほど、落ち込んでいた。ここまでの旅が無駄になった気分だよ。もしかしたらクリスが心を開いてくれると思ったのに。僕は顔を上げられなかった。
「リアム、落ち込んでいられないわ。先を急ぐわよ」
コーラに急かされて、僕はよろめきながらもコーラに手を引かれる。でも、僕にはどうなっているのか分からなかった。
「クリスも、いいよね?」
「…………」
クリスはしばらく動かなかったけど、コーラに説得されて、渋々付いてくる。その時のクリスがどんな顔をしているのかは、見たくなかったし、クリスも見られたくなかったと思う。三人がやっと付いてきたからなのか、ルシアンは口の端を上げてため息をつく。
「喧嘩は終わったかい? じゃあ、行くぜ」
ルシアンは皮肉めいた笑みを浮かべる。それが珍しくて、嫌に目に付いた。荒野は広かったけど、僕は顔を上げてその景色を見ようとしなかった。顔を上げて視界にクリスの顔が入るのが怖かったんだ。
洞窟に入るまで、誰一人喋ろうとしなかった。ルシアンさえもだ。あんなにおしゃべりだった吸血鬼が喋らないと、本当に死人みたいに思えてくる。洞窟からは冷たい風が吹いてきた。モーガンの洞窟ほどじゃないけど、ここも少し湿っぽい。なぜか灰が混じった埃っぽい匂いがする。僕らはそのまま、薄暗い洞窟の中を歩いた。ルシアンの琥珀色の瞳が、洞窟の中で猫の目みたいに不気味に光っている。クリスの足取りが、警戒するみたいにゆっくりとしていた。付いては来てくれたけど、ルシアンを信用してはいないみたいだ。というより僕とコーラからも距離を置いている。なんだか心の距離も離れているみたいで、気分が沈む。
「ねえ、ルシアン。どうして私達を助けてくれるの?」
「昔、お前さんらと同じような奴らがいたんだ。そいつらもお前さん達と同じで、元の世界に帰るべく魔王の城に行こうとした」
いつもとは少し違って、真剣な口調のルシアン。僕らだけじゃなかったんだ。この世界に来たのは。
「その人達は、元の世界に帰れたの?」
「いや、途中で魔王の手下にやられちまった。城にたどり着けたのはたった一人だけだ」
ルシアンはそのまま話し続ける。気のせいか、その様子は何処か心苦しげだ。そして同時に、僕は変な胸騒ぎがするのを感じた。これ以上聞いてもいいのか不安になってくる。
「だからお前さん達を助けたいのさ。魔王の城に行こうとしているお前さん達を」
ルシアンはそう言うと、指をパチンと鳴らす。すると、ルシアンの周りには無数の火の玉が現れた。青白い火の玉は人の形になって、僕とコーラの体を掴んだ。僕は炎の腕の中でもがくけど、びくともしない。熱くはないけど、冷たい炎だ。
「これは一体……!」
「悪いな、お前さん方の冒険はここで終わりだ。お前さんらはこの先に行っても無駄死にするだけだぜ」
炎から出てくる煙を吸い込んで、僕の意識はだんだん霧がかってくる。そんな……。信用していたのに……。霞む視界にはルシアンの琥珀色に光る瞳が見える。最後の抵抗で、僕は手を伸ばす。
「リアム!!」
クリスが僕の手を取ろうと駆け寄ってくる。だけど、その姿も煙に隠された。息が苦しい。僕の頭の中は、絶望と困惑でいっぱいだった。全身の力が抜けていく。意識がなくなる直前に、ルシアンが何か言っているような気がした。
「あばよ、ちびっ子。お嬢ちゃんを泣かすんじゃねぇぞ」
――来てくれてありがとう。そういえば、名前を聞いていなかったわね――
約束した時間通りに、彼は来てくれた。丘で会ったときと同じように、彼はボロボロの黒いコートを着ている。彼は青白い頬を赤く染めて、私の家の玄関に入ることすらはばかっていた。
――ぼ、僕はオズワルド。君は、ここに一人で暮らしているの? ――
――うん、昔はお父さんもお母さんもいたけど、病気で二人とも死んじゃって、今は私一人で住んでいるの――
余計なことを聞いてしまったように、オズワルドは申し訳なさそうな顔をする。そんな顔しなくてもいいのよ。確かに、二人が死んじゃったときはすごく悲しかったわ。でも、いつまでもクヨクヨしてちゃいけないもの。私は笑って、オズワルドの手を取る。
――ねぇ、オズワルドのお父さんとお母さんもやっぱり魔法使いなの? ――
――……う、うん。だけど、お父さんもお母さんもこの町の人を嫌っているんだ。町の人は僕たちの一族を追放したからだって――
悲しげな顔のオズワルド。いつか、お父さんとお母さんがこんな話をしていた気がする。この町には昔、とても強い魔法使いがいて、町の人間を支配していたんだって。だけどある日、貴族の人が町にやってきて、その一族を町から追放したの。オズワルドがその一族だったなんて。でも、そんなことはいいの。オズワルドは私の親友よ。私はオズワルドの肩を優しく撫でる。
――そう……。あなたも大変だったのね――
――でも、いつかあの町で、僕が書いた本を読んでもらいたいんだ――
オズワルドはそう言って、手にした本を握り締める。丘で見たものと同じ本。本当に本が好きなんだ。本を持つオズワルドの目は一段と輝いていたんだもの。
――それも、あなたが書いた本なの? ――
――う、うん。好きなんだ、物語を書くのが――
照れくさそうに頬を掻くオズワルド。本には丁寧な字で、“小さな騎士の物語”と書いてあった。字は丁寧だったけど、絵は子供みたいにかわいらしい。
――ねぇ、ちょっと読んでもいいかな? ――
――うん、いいよ――
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