スプラウト

きみのマリ

スプラウト

 小学校から今まで、ずっと同じクラスだった。性格はまるで違うけれど仲はいい。学校ではほとんど行動を共にしている。特に約束をした覚えはないが、なんとなく毎朝いっしょに登校している。

 友だち? そりゃあ、まあ、うん。カテゴライズするのなら、それが最も適当な表現なのだろう。けど、何か物足りない気もする。

 じゃあ、親友かと聞かれたら、うーん、どうだろうね、とお互い顔を見合わせて笑う。

 唯太ゆいたとは、そういう関係だった。



 ──チリンチリンチリン!

 午前六時三十分、外から自転車のベルの音が三回響いた。俺はエナメルのスポーツバッグを肩に掛けて、部屋を出る。


がく!」

「いたぁっ!」


 玄関で靴を履いていると、背中をバシッと叩かれた。屈んでいたので危うくバランスを崩しかけた。

 顔だけ振り返れば、早朝からハツラツとした母親がやっぱりそこにいた。


「いったいな、なに!?」

「なに? じゃないよ、水筒忘れてる! ぼーっとしてんじゃないよ、もう!」

「あー、はいはいすいませんでした! ありがとうございます! いちいち叩かなくたっていいじゃん!」

「岳、あんたね! 今年受験生なんだからね? 昨日も話したけど、部活ばっかりでま~た成績下がったら……」

「あああわかったからもー! いってきます!」


 受け取った水筒を乱暴にバッグに突っ込んで、逃げるように家を出て行く。中学で部活に打ち込むようになってから、母とは毎日こんな感じだ。早朝から騒がしいにもほどがある。

 家の門の前には一台の自転車が止まっていた。そのカゴには、俺と同じエナメルのスポーツバッグが入っている。


「ウッス」

「ウッス~」


 サドルに跨っている唯太が、ひょいと片手を挙げたのをおざなりに返す。俺はいつものように自転車の荷台へ跨り、それを目視した唯太が片足で軽く地面を蹴った。ペダルを踏む。軌道にのった車体がふわりと走り出す。まだ少しだけ肌寒い朝の風が心地いい。


「どしたの? それ」


 俺の家がある住宅地を過ぎると、目の前の背中から声が届いた。それ、とまだ微妙に覚め切っていない頭で反芻し、ああ、と思い当たる。

 利き手で左の頬に触れる。指先には肌ではなく、湿布の感触。


「家庭内ぼーりょく」

「……お母さん?」

「もー、なんなのあのオカン……キングコングかっつーの。俺ガチで泣いたからね、引っぱたかれたとき。顔面変形したらどうしてくれんのって……」

秋吉あきよしなにしたの?」

「俺!? なんもしてないし! ちょっと成績下がっただけで過敏反応なんだよも~」

「あー、厳しいよね、秋吉んとこ」


 抑揚のない調子で唯太が言う。同情のかけらもないような傍観的な声だ。

 小学校からの幼なじみである唯太こと、鈴木すずき唯太は、まあ小学校からともなれば我が家の事情にはそれなりに精通しているので、俺が母親と喧嘩して翌日頬に湿布を貼っていようが、最早日常茶飯事としか受け取りようがないのである。


「まあ、期待されてるってことじゃない」

「いやだからって引っぱたくことなくない!? 唯太ぁ、オカントレードしようよ~。うちのオカン、唯太のことお気に入りだから。『唯太くんてほんっといい子だよねぇ! あたし大好き!』つってるからいつも」

「んー、気持ちだけ受けとっとく……」


 いつもと変わらない通学路。なんでもないような会話をしながら、唯太の「期待」という言葉が少しだけ、重たく感じた。

 俺の実家は診療所だ。祖父も父親も医者で、ついでに言うなら口うるさい母親だって看護師で、そんな環境に一人っ子長男として生まれた俺も、将来は医者になる予定である。小学校の卒業文集にだってル●ィの下手なイラストを添えて「将来医者に、おれはなる!」と書いた(もし俺の身に何かあって夕方のニュースであれ読まれたらだいぶ恥ずかしいな、とたまに後悔する)。

 一方、唯太のところはそういったレールみたいなものは感じられず、遊びに行くたびに安らぐ空間というか、なんというか。お父さんもお母さんもうるさくないしやさしいしで、家とはえらい違い。そんでもって、一つ下のかわいい妹までいるし。


「いいな~、俺も妹ほしかった~」

「なんの話?」


 幼なじみの俺と唯太。クラスも部活も同じで、特に約束をした覚えはないが、なんとなく毎朝いっしょに登校している。

 仲はいい。性格も環境も、違うけど。



 最近、唯太のことをひどく羨ましいと思う瞬間がある。


「おい! なにやってんだ、秋吉!」


 ダンッ、と床に体を打ちつけた音が、体育館に派手に響いた。

 いつものシュート練の最中だった。ジャンプをする際に足がもつれてゴール下で派手に転んだ俺へ、顧問の怒号が飛んでくる。朝練中の運動部の声でそれなりに騒がしかった体育館内のボリュームがスッと下がった。

 男子バスケ部の顧問は基本朝練には顔を出さないのだが、この日はたまたま、だ。運が悪い。

 部員たちが各々練習を再開する中、渋い顔をした顧問に手招きされる。俺は数秒、自分の足を見つめて、立ち上がった。


「秋吉、おまえ最近動き鈍いぞ。なんだ、調子悪いのか?」

「……いや、大丈夫っす」

「練習だからってあんまそういうの多いと、本番で他の部員の足引っ張ることになるんだからな。引き締めてけよ、おまえには期待してんだから」


 背中を叩かれる。今朝母親に叩かれた、同じ場所を。

 ウス、と返事をしたところで、チャイムが鳴った。顧問が「おまえら授業遅れんなよー!」とバスケ部以外の生徒にも届くように声を張り、体育館から出ていった。

 散らばったボールは一年生が片付けてくれる。なんとなくその場で屈伸運動をしていたら、視界の端に近づいてくる姿をとらえた。

 ふっと影が落ちてきて、目を上げる。


「大丈夫?」


 聞きなれた抑揚のない声に、笑って、頷いた。


「あれ? 唯太、なんかでかくなった?」


 朝練を終えて、同学年の数人で教室へ向かう途中、一人が唯太を見て口にした。続けざまに、ああーとか、たしかにとか、同意の声が飛び交う。

 俺も唯太を見た。唯太のくせ毛の黒髪がほんの少し、見上げる位置にあった。


「唯太、何センチだっけ? 身長」


 俺が訊ねると、百七十五、と返ってきたので思わず目を剥く。


「え!? 先月の測定んときそんなあったっけ!?」

「こないだ保健室掃除だったとき、試しに測ったら百七十五だった」

「マジで……小六んときはいっしょだったのに……」

「ぶはっ、小六って、だいぶ昔じゃん!」

「つーか秋吉は俺といっしょぐらいじゃね?」

「えー、千葉っち何センチ?」

「百六十五」

「俺のが高い!」

「マジで? いくつ?」

「百六十六」

「一センチじゃねーかよ!」


 笑い合う空気のまま、それぞれの教室に入っていく。

 俺の後ろをついてくる唯太に振り向いて、ほんの少し――じゃないなこれ、うん。ふつうに、見上げた。


「唯太の裏切り者……」

「給食の牛乳、俺のあげようか?」

「いらんわ! 唯太のバカ!」


 中学生なんて成長期真っ只中だ。昨日同じだった身長も、気がつけばたやすく追い抜かれている。

 唯太は、中学に上がってから成長期の恩恵があからさまに施されている。身長はすでに成人の平均を越えているし、声も低いし、筋肉もついている。いつのまにか唯太は俺よりもずっと体格がいい。気がついたら努力だけではどうにもならない差があって、俺は今、唯太を見上げている。

 ああ、なんでだろう。


「秋吉?」

「……え、ごめんなに? 聞いてなかった」

「……大丈夫?」

「はは、なにが?」

「ん、いや、大丈夫ならいいんだけど」


 ため息が出そうだ。


 背中が痛い。足がもつれる。体が重い。

 胸にずっと違和感のようなものがあって、何に対してと問われれば――理想と現実、だろうか。

 いつもの抑揚のない調子で「付き合うことになった」と聞いたとき、最近感じていた違和感のようなものが俺の中でたしかに音を立てた。体育館で転んで、体を床に打ちつけたときのあの音に、似ている気がした。


「……マジで?」

「んー」

「んー、て」

 

 夕暮れ時の帰り道でのことだった。

 唯太の漕ぐ自転車の後ろで苦笑しながら、「いつかはこうなる」と思っていた自分より、「まさかこうなるとは」と思っていた自分のほうが随分勝っていたことに、俺は少なからずショックを受けた。

 今年になってから同じクラスの女子に、唯太のことで相談されていた。

 俺の好きな俳優の女の子にちょっと似ていて、かわいいな、と思っていた子だった。だからといってそんなことを言う必要はなかったし、そもそもとても言えなかったので、「唯太、今カノジョいないよ」と、俺の知っているたしかな情報を彼女におしえてあげたのだった。

 だから、いつかこうなることなんて、想像できたはずなのに。


「昨日『付き合って』って言われてさ、俺、うんって言っちゃった」

「言っちゃったって。なに、やなの?」

「そういうわけじゃないけど……なんか、びっくりしてさ。ほとんど話したことないし、それに」

「なんすか~」

「それに、秋吉のが仲よかったじゃん。あの子」

「……そんなことないでしょ」


 喉が引き攣れるように、うまく声が出せなかった。唯太に、聞こえただろうか。

 まあいいか、べつに、聞こえなくても――。

 最近、俺は唯太のことがひどく羨ましかった。どこがといえば、もうなんていうか、ぜんぶだ。環境も身長も体格も、その視野の広さも。ぜんぶ。「唯太はいいよな」なんてセリフが、なんでもない会話のたびに何度口からこぼれそうになったか、もうわからなかった。

 勉強は嫌いじゃない。努力することも、たぶん得意なほうだ。バスケは、というより体を思いっきり動かせるスポーツが好きで、だから母親と喧嘩しながらもやっている。

 唯太のことが好きなあの子のことも、顔が好みなだけで、なのに、なんでかな。羨ましい、唯太が。目の前の、俺よりもずっと大きな背中が──。


「唯太」

「んー」

「もういいや。明日からチャリ乗せてくれなくて」


 唯太がこちらを振り返る。時間が止まったかのようにめずらしく車の往来がない横断歩道の前で、自転車が止まった。

 俺は荷台から降りた。


「なんか疲れる。最近、唯太といると」


 小学校からの幼なじみで、仲はよかった。誰よりも。だって今まで喧嘩をした記憶すらなかった。それは唯太が、俺よりずっと大人だからだ。

 でも、同じだと思っていたのだ、俺は。

 開いた差が見上げるくらいになって、ようやく気がついたのだ。


「唯太、前に俺に『期待されてる』って言ったよな。なに? 期待って。……馬鹿じゃねーの。俺なんか、期待されるほどたいした人間じゃねぇよ」


 唯太と違って、俺なんか。

 唯太はずっと黙っている。果たして俺の声が聞こえているのかどうか。それなら聞こえていないほうがいい。こんな、ただの八つ当たり。

 ああ、また差が開く。そもそも差って、なんだ。いつから俺はそんなことを気にするようになっていたのだろう。


 (カッコ悪いなー、俺)


 周りの期待に潰されたふうを装って唯太に八当たって、でもほんとうに自分自身に期待していたのは、俺だったのだ。

 その日、はじめてお互い「じゃあまた明日」を言わずに別れた。

 翌朝の午前六時三十分、外から自転車のベルの音は鳴らなかった。



 案外時間は単純に過ぎていく。

 クラスメイトや部活のやつらに、「おまえらまさか喧嘩してんの?」となぜか恐々としながら訊かれ、それに対して「べつに喧嘩してない、喋ってないだけ」とだけ返した。いやそれ喧嘩じゃん、という言葉は、めんどうなので無視した。

 唯太と話さなくても時間は過ぎる。まあ当たり前か、と思う。ただちょっと、隙間のような時間が余ったので、俺はそれをバスケの練習にあてた。

 淡々と、でもがむしゃらに練習する俺に部員はもう何も訊かなくなっていたし、顧問は以前転んだ俺に自分が喝を入れたためだと思っているのか満足気だし、母親とは、喧嘩が増えた。取ったばかりなのに、また頬に湿布を貼る羽目になった。


 部活が終わった帰り道、あの横断歩道のところで、唯太を見かけた。

 距離が遠いからきっと俺には気づいていない。唯太は、カノジョと二人でいた。いつものあの自転車はなく、どうやら徒歩のようだった。

 撮ってやろう、と悪戯心でスマホを構えた俺は、しかしすぐにハッとしてやめた。


「……あーあ」


 馬鹿じゃねーの、俺。


 六月。引退試合が間近に迫り、部内の空気もそこはかとなく緊張感が漂っていた。

 今日は、部活で試合形式の練習があった。


(引退か……)


 高校に上がっても唯太はバスケやるのかな、とぼんやりと考える。

 俺は、どうだろうか。母親うるさいしな。バスケは好きだけど、成績キープできるかわからないしな。


「よろしくお願いしゃーす!」


 相手チームと想定された俺の向こう側の列に、唯太がいた。

 なあ、唯太。高校でもやる? バスケ。

 胸のうちで問うてみる。聞こえるはずもないのに、馬鹿だと思う。

 唯太、俺さ、医者になんかなれるのかな。バスケも、成績を気にしながらこれからも続けたいのかな。なんかもう、わからない──。

 背中の痛みはとっくにないのに、痛みがとれた途端、足元をすくわれる。

 グキッ、という鈍い音が聞こえた気がした。

 おかしい、走っていたはずだった。パスされたボールを取って、ドリブルで、ジャンプして、それで、着地した。はずだった。接触もしていないのに、倒れた。

 立てない、と思った直後、左の足首に激痛が走った。あまりに痛くて、そのままうずくまってしまう。

 動けない。え、俺なにしてんの? まだ試合途中だろ。

 なあ、ほんとうに、なにしてんだよ俺──。

 うずくまったまま、もう完全に動けなくなった。意識まで朦朧としてきた中、視界の端に、走って近づいてくる姿をとらえた。


「──秋吉!」


 そんなでっかい声、はじめて聞いた。

 なんて思ったら笑えた。



 靭帯断裂、と抑揚のない声が言う。


「痛そう」

「痛いよ~、足とれたかと思った」

「マジで?」


 マジで、と返す。

 亀にも追い抜かされそうな速度で歩きながら、慣れない松葉杖がうっとうしい。

 俺の歩調に合わせてのろのろと歩く唯太は、両肩にそれぞれエナメルのスポーツバッグを掛けている。自分のものと、俺のものだ。

 七月の夕方はまだ真昼のように明るい。

 俺は、久しぶりに唯太といっしょに帰っていた。放課後、「部活ないし暇だし、荷物持つよ」と俺の席までやってきた唯太が、言ったのだった。

 その場にいたクラスの誰かが「終戦だな」とか、意味不明なことを囁いたのが聞こえた。

 終戦て。べつに戦ってないんだけど。


「どしたの?」


 突然吹き出した俺を、唯太がいつもの無表情で見る。どしたの? と、その口調があまりにもいつもと変わらないから、余計に可笑しくなる。一人で笑う俺のことを、唯太はただただ不思議そうに眺めていた。

 一頻り笑ったあと、はー、と長く息を吐き出した。


「唯太、ごめん」


 八つ当たりして、足も怪我して、結果試合にも出れずにそのまま引退。

 俺、ダサいよね。苦笑しながら、坂道に差しかかる。

 ふつうに歩いていたときはたいした坂じゃないと気にしたことはなかったのに、松葉杖だと思いのほかキツい。汗が一筋、こめかみを伝った。


「秋吉」


 無意識に下げていた目を上げる。


「いいよ、急がなくて」


 俺はちょっと目を丸くして、笑って、頷いた。それから、思う。あーあ、勝てないな、と。この後に及んでまだそんなことを考えてしまう俺は、きっとこれからも、唯太には勝てないんだろうな。


「唯太のそういうとこ、かっこいいよね」

「え?」

「だから嫉妬した、俺」

「…………」


 どこか懐かしいような蝉の鳴き声が、俺たちの間に流れる。そろそろ蜩が鳴いてもよさそうな時間帯なのに、まだ十分に日があるからだろう。

 夏はいつまでも明るくて、表情を隠せなくてときどき困る。


「……小学校のさ、卒業文集おぼえてる?」


 蝉時雨の沈黙を先に破ったのは、めずらしく唯太だった。


「あー、将来の夢?」

「そう。それ書くとき、俺はすごい迷ってたんだけど、秋吉に聞いたら全然ふつうに笑ってさ、『医者になるよ、俺』って言ったんだよ」

「あはは……。よくおぼえてんね」


 おぼえてるよ、とはっきり輪郭をもった声で、唯太が答えた。


「おぼえてるよ。ていうか、忘れないと思う。俺の中では印象的だったんだ。他にもメジャーいくとか芸人になるとか書いてたやついっぱいいたけど……なんだろ『ああ、秋吉はなるって言ったらなるんだろうな』って、そのとき思ったんだよな」


 言葉を探るようにゆっくりと、めずらしくはっきりと語る唯太の横顔を、俺はなんだか見られなくなって少しうつむいて歩いた。

 再び訪れた沈黙を、今度は破ったのは俺だった。


「……唯太。俺さ、高校ではバスケ部入らない」


 ギプスで固定された自分の片足を見下ろす。


「リハビリすれば復帰できるって言われたし、だからべつにこれが原因ってわけじゃないけど。でも、もう部活入ってさ、毎朝早く学校行って練習して、試合とかも、そういうのは、やらないかな」


 言いながら、たしかに胸が透いていくのを感じていた。

 唯太には俺が無理しているように聞こえるだろうか。でも、違うんだ。自分でも驚くほど自然な気持ちだった。一人であんなに迷っていたのが嘘みたいに。

 唯太が話したあの頃の卒業文集に書くような気持ちで、自然に、俺が決めたことだ。


「唯太は? 高校でもバスケ部やる?」


 唯太は、少しだけ考えるような仕草で首を傾げたが、それにしてはあっさりと、やらないかな、とだけ答えた。


「なんで! 続ければいいじゃん! 唯太身長あるし、上手いんだからさぁ」

「えー、でも、秋吉は入らないんでしょ?」

「えっ?」

「え? だって俺、そもそも秋吉に『唯太もバスケ部入ろうよ!』って誘われたから入ったんだし」


 そうだったっけ。言われてみれば、たしかにそんなような記憶がよみがえってきた。

 とはいえ、べつに俺がいなくても入ればいいのに。もったいない。俺はなんだかまた可笑しくなって笑った。


「ははっ! 唯太って~、意外と主体性がないよね!」

「……秋吉は笑顔で失言が多いよね。あ、そうだ、いちおう報告があったんだった」

「え、なになに?」

「別れた」


 無表情で淡々と、別れた、と口にした唯太だけど、俺はそれが何のことだかわからなくて、意味を理解するのに数秒かかった。

 妙な間のあとに、恐る恐る、マジで? と聞くと、数秒前と寸分たがわない表情と声色で、マジで、と返ってきた。


「マジで!?」

「マジだってば」

「……フったの? フラれたの?」

「フラれた」

「えええなんで!?」

「なんか、間がもたないって。こんなに喋らないやつだと思わなかったって」


 沈黙、サードシーズン。

 ──チリンチリン!

 坂の途中で立ち止まった俺たちの横を、一台の自転車が走っていった。

 それが過ぎた頃、何かの合図みたいに、俺はもう声をあげて笑い出してしまった。身をよじりたいのに、松葉杖だからできない。苦しい。腹痛い。

 涙を流してヒーヒー笑う俺を、唯太が傍観的にただ見ている気配があった。


「……そんな可笑しい?」

「おっ、可笑しいわ! はははっ、ちょっ、く、苦しい! 死んじゃう! はは、ゆ、唯太見てないで助けて!」

「じゃあ秋吉のカバンここ置いとくね」

「ちょっとおおお!」


 十五年間生きてきて今日が一番笑ったかもしれない。

 ようやく笑いが引いた頃にそう言ったら、唯太は淡々とよかったね、と答えて、踵を返して歩き出した。俺は慌ててそのあとを追う。だけど唯太は早足でどんどん坂を上がっていってしまう。

 もしかして怒ったかな、と焦る。せっかくまた話せるようになったのに、これはまずい。俺は松葉杖を動かして、唯太に追いつこうと坂を上がる。

 汗が流れる。滴が一つ、アスファルトに落ちるのを見た。蝉の鳴き声。息が切れて、いつのまにか肩が上下していた。

 顔を上げる。坂の上で、唯太が立ち止まっていた。それを見た俺は、また松葉杖を動かした。

 なんとか坂を登りきると、


「お疲れ」


 唯太が笑って、俺に言った。

 ちくしょう他人事だと思って。憎らしく思いながら、俺も笑って、向けられた掌を掌で打った。

 パンッ、と試合に勝利したあと体育館でよく聞いた音が響いた、坂の上。


「唯太、俺もう疲れたからあとおぶって……」

「諦めたらそこで試合終了だよ」


 どうやらまだ道は長いらしい。

 俺たちは並んで、また歩き出す。

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スプラウト きみのマリ @kimi_mari

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