第3話 相棒と絶望

「そんなことがねえ」


着物の男は腕を組んで芝居めいた表情を浮かべると、こう呟いた。


「『青春アミーゴ』ってどんな曲だい?」


この男性は平成屈指のヒット曲を知らないのだろうか。若い人ならまだしも、彼なら私より少し年上程度のはずだ。流行に疎いのだろうか。


「同学年の相棒との友情の歌と僕は認識しています」


「へぇ」


男の横顔は、整っているにも関わらずどこかだらしない。


「君が歌った曲じゃないけれど、僕にも相棒がいたよ。世界に通用する男だった」


「ずいぶんグローバルな相棒をお持ちですね」


涙をぬぐって眼鏡を拭く私に、男はこう言った。


「自殺したけどね」


「え……」


理解が追い付かない私に、男は補足する。


「でも死ねなかった。それで、その後に更に大きな仕事をして、より世界で認められた」


話がどんどん飛躍している気がしたが、話し方に真実味があったので聞いてしまう。


「すごい相棒ですね」


「僕だってすごいんだけどね」


せっかくの男前なのに、こういう時に子供じみた顔をする人だなと改めて横顔を眺める。


「僕は思うんだけどね」


夕陽が男の横顔を照らす。


「人間の人生って、自殺するか、その前に寿命が来るかのどっちかだと思うんだ」


いきなり物騒な言葉が飛び出したので、私は少し男と距離を置く。


「ずいぶんな極論ですね」


「君はそんなにうまくいかないことがあって辛くないのかい?絶望したくならないかい?」


「辛い……辛いか……」


辛い、という感情についてそうしょっちゅう思いを巡らすわけではない。しかし、思ったことをこの男に話してみようと思った。初対面だが、他に話す人もいない。


「僕は何があっても生きるべきだと思いますね」


「それはなぜ?」


「だって……」


最初に浮かんだのは母と妹、そして、年々記憶があいまいになってきた父親だった。


「僕には大切な家族がいます。家族と有意義な時間を過ごし、少しでも喜んで貰えることが何よりなんです」


「でも、職場の女性に嫌われて首になったんだろ?知ったら悲しむじゃないか」


唇を嚙む。意地の悪い男だ。


「まあ、いいさ」


男は大きく伸びをした。


「男女は理屈じゃないからね。そんな杓子定規に考えていても分からないことばかりさ」


「僕は辛くはないんです」


砂場では小学校中学年ほどの少年二人が、サッカーボールを浮かせながら蹴りあっていた。


「ただ、疲れたっていうか。これ以上、何をどう励んでいけばいいか分からないんです」


いつの間にか、こちらがカウンセリングを受けているかのようになっている。不思議な男だ。


「さっきの話をもう一度していいかい?」


「人生は自殺か、予期せぬ死のいずれかかという話ですよね?」


「君は記憶力がいい。要約もできる。大した男だよ。きっと幸せだと思える日も来るんじゃないかな」


何の面識もない男と行きずりで話しているだけなのに、なぜだか打ち明けてしまう。私にしては珍しいことだ。


「いつまでも、その日は来ないかもしれない。でも、いつか来る、いつか来るって信じて待ち続けながら生きればいいじゃないか」


「いつ来るか分からないと、辛いですよ。何週走ればいいのか分からずにマラソンしているような気分です」


「君は結構、愉快な男じゃないか」


男が笑う。外は夏とはいえ、もうそろそろ暗くなっている。


「僕の伴走者になって欲しかったな」


ポツリと呟いた男はどこか寂し気で、その表情がよく似合った。


「俗にいうプロポーズですか?LGBTというか……」


男は大笑いすると、両手を左右に振った。


「兎に角、結婚ありきで女性に話すのはよくないぞ。君の悪いところだ」


「あなたに僕の何が分かるんですか」


「僕はね」


男は愉快そうに言った。


「日本で一番人の心を掴んだ男だったのさ」


「何で過去形なんですか」


そう言って横顔を見ると驚いた。男は涙目だったのだ。


「笑われてナンボだよ」


男はそう言った。


「そうやって人は強くなる」

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