旅のおともは犬にまかせて(一話完結・短編集)

なるみやくみ

第1話 枝垂れ桜

ミキが私を車に乗せて旅に出たのは、彼女の兄、コウタが死んでしまってしばらくしてからだった。

コウタの死は突然のことでミキは酷くショックを受けていた。

どんな風に励ましていいのか、私は困り果てた。

そばにいる以外は、顔を舐めるくらいしか私にできることはなかった。

私もコウタのことはそれなりに知っていた。

ミキと仲が良い兄上。

好きな食べ物は卵焼きとイカの塩辛。

私が食べたがると「ちょっとだけな」といいながら食べさせてくれようとしたが、そばにいたミキがいつも怒って止めるので、食べさせてはもらえなかった。

右足の親指にほくろがあって私がその辺りをつつくと「くすぐったい」といいながら喜んでいた。

「あんな男、さっさと捨ててしまえば良かったのよね」

あんな男とは、コウタのことではない。

ミキが付き合っていたろくでもない男だ。

私はその男が嫌いだった。その男はミキがいるときは愛想が良いが、一緒にいるのが私だけになると別人のような振る舞いをする。

その男はミキの友人とも関係を持っていたらしい。

コウタが死んでしまった直後に発覚したことだった。

コウタの死にショックを受けていたミキを余計に苦しめた。

一方でミキの職場の人は兄を亡くしたミキをとても気遣ってくれた。

ミキは父親を10歳のときに亡くし、母親を16歳のときに亡くした。

そして23歳で兄を亡くすことになった。

コウタはミキにとってこの世に残った血の繋がった最後の家族だったのだ。

職場の人もそれを知っていた。

今なら仕事も落ち着いているし、少しまとまった休みをとっても良いと言ってくれたらしい。

それでミキは旅行に行くことにした。

平日勤務の仕事なので、平日5日間続けて休みをとって土日の休みを合わせて9日間。

どうせなら私をいろんなところに連れて行ってあげたいと言ってくれ、勤務先が車を貸してくれて一緒に旅をすることになった。

旅は4日目に入っていた。昨夜までの3泊は犬もOKなホテルに泊まりながら、のんびりと過ごした。

ミキが川辺にある公園の横の駐車場に車を停めて、私を後部座席から助手席に移動させた。

「ねえ、お昼いつもので良い?」

いつものしか選択肢がないのは私は知っている。

それなのにミキはこんな風に私に確認する。

「ごめんごめん、いつものしかないの、許して」

返事をしないでいるとミキが苦笑いしながらいう。

私はいつもので十分満足なんだけど、ミキが無理してピエロを演じているように見えて、見ていられなかった。

ミキが運転席から後部座席に手を伸ばし、私のご飯とご飯用の大きな皿を大きなバッグから取り出す。

大きな皿のほうが私がご飯をこぼさずに済むと思っているらしく、家で食べるときよりわざわざ大きな皿を用意したらしい。

あまり関係ないのだけど。

「今日は暖かいわね」

ミキがいいながら助手席の上にご飯を入れた大きな皿を置こうとする。

私はドアのほうに少し寄って、皿を置けるスペースをつくった。

助手席のシートには汚れないようにカバーが取り付けられている。

「は〜い、おまたせ〜」

猫撫声というのかしら、ミキは最近になってこんな声を出すようになった。

やはり無理をしているようにしか思えなくて見ていられないというのか聞いていられないというのか。

私は犬だし。

それで悲しさや寂しさが紛れているのなら良いのだけど。

私は夢中でご飯を食べるふりをした。

そうするといつもミキが嬉しそうだから。


お昼ごはんを食べ終わると、ミキは私を連れて公園に向かった。

公園の外からも見えていたが、桜がきれいに咲いている。

枝垂れ桜という桜らしい。枝が柔らかく垂れて、頭を垂れているようにも桜の花が滝のように流れているようにも見える。

「わあ、やっぱり写真で見るよりきれいね。なんだか包みこんでくれるみたい」

ミキが目を見開いて、両手を左右に広げながら、身体全体で何かを受け止めるように言った。

リュックからカメラを取り出し、枝垂れ桜に向ける。

職場で使っているカメラを特別に借りてきたらしい。

「良い写真が撮れたらカレンダーにしてくれるって」と、旅に出る前に嬉しそうに言っていた。

「ねえ?あなたも桜と一緒に撮る?」

ミキがしゃがんで私の背中を撫でながらいう。

私は返事をするように鳴いてみせた。

「あなたもこの桜気に入ったのね」

桜の木の下のベンチに、私に繋がったリードを固定した。

「いい感じ!」

カメラを覗きながらミキが声を弾ませていう。

角度を変えながら何枚も写真を撮った。

「よかったら、ワンちゃんと一緒に撮ってあげましょうか」

年配の女性がミキに声をかけてきた。

ミキが一瞬少し困った顔をしたように見えた。

前から思っていたけど、ミキは写真を撮るのは好きだけど撮られるのは苦手なのかもしれない。

私はミキの代わりに返事をするように鳴いてみせた。

ミキがこちらを見て、一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに笑顔に変わった。

「お願いします!」

年配の女性にカメラを渡すと、女性はカメラを見て驚いたようだった。

「よく見たら高そうなカメラね。もしかして写真を撮るのがお仕事なの?」

「いいえ、違うんです。これは職場で借りたもので…小さな印刷会社に勤めているんですけど、お客さんに写真を撮るところから頼まれることがあるので、割といいカメラを置いてるんです」

「でもこんなカメラを使いこなせるなんてすごいわね。自分から引き受けたのに私で大丈夫かしら」

女性はカメラを見ながら少し戸惑った顔をした。

「大丈夫です。ここを押したらいいだけです。あとはいろいろ自動でしてくれるので」

「最近のカメラはすごいわねえ」

ミキが私を抱き上げて桜の横に立つ。

私の右手がミキの右手に掴まれて、カメラに向かって手を振るように上げさせられた。

私はこんなポーズをさせられたら恥ずかしいのだけど、ミキはとても楽しそうだった。

「ありがとうございました!」

ポーズを変えながら何枚も写真を撮ってもらって、ミキが女性にお礼を言った。

私も礼を言うように鳴いてみせた。

女性が私に返事をするように私を見ながら笑っていた。

「この辺りに住んでいらっしゃるんですか?」

ミキがカメラを受け取りながら女性に尋ねた。

「ええ。私も昔、犬を飼っていてね。その頃ここを散歩コースにしていたの。犬は死んでしまったんだけど、この桜を見たくて今でもこの時期になると時々来るの」

「ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまって」

「あら、いいのよ。あの子のことはいい思い出だから」

「そうなんですか?」

「確かに思い出すと悲しくなることもあるけどね。同時に楽しくもなるの、不思議よね」

ミキが黙り込んでしまった。

父親や母親、コウタのことを思い出しているのかもしれない。

「あら、どうしたの?何か辛いことでもあったの?」

ミキが父親や母親、コウタのことを話しはじめた。

少し涙を浮かべている。

「父や母は亡くなって何年も経つのに今でも思い出すと辛くて…ごめんなさい、初めて会った人にこんな話…」

「いいのよ…」

女性は少し困った様子だったが、声はとても優しかった。

「何年も生きてると辛い別れを経験することになるわよね。私も親を亡くしたし、友人も何人もなくしたし、夫も亡くしたわ。」

「ご主人も?」

「私は息子がいるんだけどね、夫が亡くなった事故の時、息子も危険な状態だったの」

「息子さんが…」

「私は先に亡くなった夫に怒ったわ。この子を連れて行ったら許さないって。あの事故は夫の責任ではなかったのに、夫が息子を連れて行くつもりなんじゃないかと本気で思っていたの」

けして楽しくはない話のはずなのに女性は微笑んでいるように見えた。

「息子は少し障害が残ってしまったけれど、走れない程度で他は特別問題なくて、今は元気に過ごしているわ」

「そうなんですね…良かった」

ミキが安堵したようにつぶやいた。

「息子も私も、これから何があるかわからない。でも、いいこともあれば悪いこともある。悪いことが続いたら、次はいいことがあるかもしれない。そう思いながら生きることにしているわ」

「そうですよね…落ち込んでいてもしょうがないですし」

ミキがつぶやいた。励まされているというより、半ば何かを諦めているようにも見える反応だった。

「亡くなった人のことを思い出すと悲しくなるから、その人の存在ごと忘れてしまおうと思ったこともあるけど、楽しい思い出も忘れることになってしまうでしょう。それはもったいないと思って。両親や夫の話を命日以外にも息子と頻繁にすることにしているの。話しながら息子がこんな楽しい話を忘れてしまうのはもったいないって笑うのよ」

そこまで話して女性は突然申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんなさい…あなたにはご両親やお兄さんの話を一緒にできる人はいないのよね…」

何故かミキの顔が先ほどよりも明るくなったように見えた。

「いえ、両親や兄のことを知らない人でも聞いてくれる人はいます、あなたみたいに」

「そうね…知らない人の楽しい話を聞くのも楽しいものよね」

「それに私にはこの子もいるし」

ミキがしゃがんで私の頭を撫でた。

「そうね…私も犬に話を聞いてもらったことがあったわ。時々私の話を理解しているのかと思うような反応をする時があって驚いたものよ」

ミキが女性の言葉に驚いて何かに気づいたような顔をして私の顔を見つめた。

「この子もです」

「不思議よね。わかる子にはわかるのかもしれないわね」

ミキが私を抱き上げて抱きしめ、何度も頭や背中を撫でながら私に顔を擦り付けた。

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