第18話 対話と対峙

 翌朝、山に再び足音が近づいてきた。

 昨日と同じ青年――名をまだ名乗らぬままの若者だった。

 疲れが残った表情。だが、目の中には決意のようなものが宿っていた。


 剛は火の番をしながら、その気配を感じ取っていた。

 振り返らない。言葉もかけない。

 だが、青年は祠の前まで来ると、深く頭を下げた。


 「お願いがあります。

 一度だけでいい。剛さんと、立ち合ってみたいんです」


 その声に、剛はゆっくりと顔を上げた。

 そして、木刀を手に取り、無言で青年に一本を差し出した。


 青年は息を呑み、両手で受け取った。

 初めて触れる剛の木刀は、何の飾り気もなく、ただ重たかった。


 山の空気が静かになる。

 草木が風に揺れるたび、ふたりの間の“空白”が震えた。


 剛は構えなかった。

 ただ、木刀を下げたまま、祠の前に立った。

 青年は、正眼に構える。

 道場で身につけた型。力はある。呼吸も悪くない。


 だが、その次の一歩が、どうしても踏み出せなかった。


 距離は三歩。打ち込めば届く。

 だが、剛の前に立つと、空気が変わる。

 そこには“穴”のような空間があった。


 打ち込めば、自分が“崩れる”。

 そんな錯覚が、足元から這い上がってくる。


 「……なんで、ですか」

 青年が低く、苦しげに言った。


 「あなたは何もしていないのに、こっちは、動けない……!」


 剛は何も答えない。

 ただそこに“在る”。


 青年の呼吸が乱れる。

 剛が放つものは、構えでも、威圧でもない。

 ただの“気配”。

 しかしそれが、青年の内側の不安や弱さを、すべてあぶり出す。


 ようやく、青年が木刀を下ろした。

 「……すみません」

 「強さって、動きとか、速さとか、そういうものだと思ってました」


 剛は、ゆっくりと木刀を脇に置いた。

 「……それも、強さのひとつだ」


 初めて返した言葉に、青年は驚いたように目を見開いた。

 だが、剛はそれ以上は言わなかった。


 青年は木刀を返し、深く頭を下げた。

 「また、来てもいいですか」


 剛は頷かなかった。

 ただ、背を向けて火の番へ戻った。

 それが、この場所での肯定のしるしだった。


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