空の裁縫屋

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空の裁縫屋


ある町の外れに、小さな屋根裏の工房がありました。

その店には看板もなく、誰が働いているのかも、誰が訪れるのかも分かりません。けれど、ある夜から「空を縫う音がする」と噂になったのです。


チク、チク、チク――。


それはまるで、古いミシンの音。

でも誰も、その家に灯りがともるのを見たことがありません。


ある日、少年・ユイは風に吹かれて、その工房の前まで来てしまいました。

ドアには鍵がなく、ふわりと開いてしまいます。

中は埃ひとつない空間。色とりどりの糸が天井から垂れていて、まるで空に浮かぶ星の道のようでした。


奥の机に、ひとりの仕立て屋が座っていました。

性別も年齢も分からない、不思議な存在。顔はぼんやりしていて、光の加減で少しずつ違って見えるのです。


「いらっしゃい、ユイくん」

「……僕の名前、どうして?」


「君の空が、ほころびかけていたから。手紙が届いたんだよ。空からね」


仕立て屋は、机の上に布のようなものを広げました。

それは、淡く揺れる光の布。よく見ると、小さな雲や月の欠片、眠れなかった夜の夢が織り込まれていました。


「これが……僕の空?」


「そう。誰にも見えないけれど、人にはみんな、それぞれの“空”がついてるんだ。

悲しい日には曇り、嬉しい日は青く澄んでる。だけど、ときどき、破けたり、ほどけたりもするんだよ」


ユイはその布を、息をのんで見つめました。

仕立て屋は、銀色の糸を取り出して、静かに空を縫いはじめました。


チク、チク、チク。

その音は、心臓の鼓動みたいに、優しく響きます。


「直ったら、どうなるの?」


「少し軽くなるよ。空が。君の心も、ちょっとだけ飛べるようになる。

けれどまた傷んだらおいで。空は、生き物だから」


ユイはうなずいて、礼を言って店を出ました。

外に出ると、風がひとつ、肩をなでていきました。

見上げると、自分の頭上にだけ、ほんのり光る糸の縫い目がありました。誰にも見えないけれど、それはたしかにそこにある。


そして工房の中ではまた、チク、チクと音がしていました。


誰かの空が、縫われている音でした。

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空の裁縫屋 sui @uni003

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