ガリ勉優等生・山本博士の霊障事件手帖

淡雪みさ

FILE 1 落ち武者

挙手をする男と通り過ぎる猫



 降り続く雨が終わりかけていたはずの夏の蒸し暑さをぶり返していた。


 除霊理論Ⅰの授業は、担当教員の抑揚のない声によって粛々と進行していく。黒板には『中級以上の浮遊霊と悪霊の判別方法』と書かれている。正直私には意味のない授業だ。


 眠気を堪えて何とか起きている私の席は、窓際の最後尾。

 先生から見てあまり目立たない場所であるのをいいことに、一つ前の席からはずっと楽しげな話し声がしていた。


「俺さ、先月の除霊件数、五件だったんだよね。やっぱ現場でアクチュアルな経験積むのが、スキルアップには最適じゃん?」

「うわ、すご。そういやこないだ俺、シニア級の浮遊霊対応してさ。あれ完全にアウェアネス不足だとアクシデント起こるって思ったわ。ちな俺、先月六件」

「あの案件請けた俺と同じ班のやつ、みんなフォースフルな結界貼ってなかったから、俺四件だわ〜あいつらいなけりゃもっと除霊できたのになぁ。結界貼らないとかハイパーウルトラリスキーすぎじゃね?」


 意識の高い生徒たちによって交わされるカタカナ用語の応酬。除霊師志望の生徒たちは自分の実績をアピールしてマウントを取り合うのが日常らしい。

 彼らの目がキラキラしていて眩しかった。私は多分今、死んだ魚のような目をしているだろう。


 と、その時。

 先生が不意に振り向いてクラス全体に語りかけてきた。


「では、ここ、分かる人いるかな」

「――はい」


 廊下側の最前列。

 教室内によく通るしっかりとした声で自分の存在を強くアピールし、耳の横で肘を曲げずピーンと腕を伸ばす生徒がいる。

 私は頬杖をついたまま、視線だけをそちらに向けた。


 ……また挙手してるよ。


 教卓の向こうに立つ先生は少し困った様子で「……山本くん以外で」と彼から視線を逸らした。


 それもそのはず、あの山本博士やまもとひろしという男子生徒が挙手をするのは本日で既に十三度目だ。

 十回を超えた辺りから先生は山本博士を当てなくなったが、彼は気に留める様子もなく何かある度にその手を挙げる。

 模範生である山本博士は冷ややかな教室の空気を打ち破るように思い切った挙手を続ける。

 先生に当てられずとも挙手を続けるその姿勢。鋼のメンタルの持ち主であることは間違いない。


 この学校の生徒はやる気が有り余っている。

 私は彼らのようにはなれない。友達と切磋琢磨して難しいカタカナ語で自分をかっこよく見せたがる向上心も、真面目に勉強して授業中に何度も挙手する模範的な積極性もない。


 この除霊師を目指す学校で、私は多分、何者にもなれずに終わるのだろう。



 夏はまだ終わってくれない。蝉の声と教室の熱気と、やる気だけ空回りしてる前の席の連中が、なんだか全部、うるさかった。



 ◆



 チャイムが鳴り、生徒たちは昼食のために一斉に動き始めた。教室は半分くらい空っぽで、残った生徒たちはそれぞれの机で弁当を広げてお喋りをしている。


「ねえ、山本くんって眼鏡外すとカッコよくない? この前降霊術実習で眼鏡外してるとこ見ちゃったんだよね~すごいイケメンだった!」

「分かるぅ~。あのクソ真面目な性格じゃなけりゃねえ」

「ええ? そこがいいんじゃん」


 机同士を合わせて昼食を取っている女子生徒たちを前に、私は一人、購買で買った焼きそばパンと紙パックのレモンティーを机に並べ、もそもそと静かに食べていた。


 今日もクラスはあの優等生、山本博士の話題でもちきりだ。


 日本全国で発生する霊障への対応を担う除霊師。その除霊師を育成するための専門高等教育機関であり、県内有数の進学校でもあるのが我が霊冥高等学校だ。

 元はかつてこの地に封じられた強力な怨霊「白露院はくろいん」の影響で集まる霊たちを管理・対処するために建てられた学校である。


 そんな学校に除霊師を志して進学する生徒たちは言ってしまえばみんな特殊なのだが――その中でも山本博士は一際目立っている。


 学校内に現れた幽霊の除霊件数学年一位、勉強では全国模試一桁をキープ、数学オリンピックでもメダル組、部活でも全国大会に出場し記録を残したのだとか。

 幼い頃イギリスに住んでいたらしく英語もペラペラだ。なぜか中国語も喋れるらしい。本当になぜなんだ。


 とにかく山本博士という男は、同級生ながら私とは生きる次元の違う超人である。

 できすぎていて嫌味の一つでも言われそうなものだが、クラスで彼の悪口を聞いたことはほとんどない。


 おそらく彼がそれ相応の努力をしているからだろう。

 彼は何もしなくても元から天才な嫌味な奴というわけではなく、努力の天才だ。


 部活では誰よりも練習していると聞くし、かといって学校での勉強を疎かにしているわけでもなく、除霊師を目指すための鍛錬だって怠らない。授業は無遅刻無欠席、居眠り一つせず、毎度同様の高い意識と熱意で取り組んでいる。学校にも毎日朝一番に来て勉強しているらしい。


 あんなに一生懸命生きる気力、私にはない。

 周りが明確な目標を持つ中で、私には生きる目的のようなものがまるでない。

 そこそこに勉強して、そこそこの大学に入って、除霊師じゃなくて普通の仕事に就けたらいい。生きる上での高い志なんてない。頑張るのって疲れるし。


 机に肘をついたまま、なんとなく視線を窓の方へ向ける。そこにはいつもと変わらない景色が広がっていた。曇天。くすんだ緑の木々。校舎裏に続く石畳の通路。そして——


 ……猫?


 私はパンを口に入れたまま、一瞬だけ動きを止めた。窓の外、木の横を、のっそりと一匹の猫が歩いていた。ロシアンブルーのような見た目だ。しっぽを高く立てて、落ち着いた足取りで、やけに堂々と進んでいる。


 変だと思った。


 この学校は人口減少が進む山間の町に位置していて、深い森と霧に包まれている。外部の人間が近付かないのはもちろん、小動物が近付くことも滅多にない。

 怨霊を封じている影響で強い霊気が渦巻くこの学校の敷地内では、鳥も飛ばないし虫も少ない。霊的な濁りは生きたものを遠ざける。生き物は、敏感だから。


 それなのに、その猫は平然と敷地内を歩いていた。そしてちょうど旧校舎の裏手に差しかかるところで、ふとこちらに顔を向けた。


 鮮やかなエメラルドグリーンの瞳が、私を見たような気がした。いやそんなはずはと思いながらも、私は息を止める。


 猫は数秒じっとしていた後再び歩き出し、旧校舎の角を曲がって見えなくなった。



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