異世界発酵ライフ 〜チーズ職人として第二の人生始めます〜
フィリア
発酵の始まり
第一話 発酵、はじめました
魔法で炊いた飯が、こんなにも美味いとは思わなかった。
干し肉と塩、森で採ったきのこを煮込んだだけのスープに、パン代わりの芋。シンプルなのに、やたらとうまい。竈(かまど)じゃなくて、「火熱珠(ひねつだま)」っていう丸い魔法具でじわじわ温めてるだけなのに、芯までホクホクだ。
「これは……もうちょっと続けてみるか、こっちの生活」
40を目前にした会社員生活に区切りをつけた俺――津島陸也(つしまりくや)は、いま異世界の小さな村で、朝から羊の世話をし、昼にはパンを焼き、夜には手製のチーズを眺めながら酒を飲んでいる。
転移したのは偶然だった。ある朝の通勤電車、スマホを見ていたら、画面の中から手が伸びてきて、気づいたときにはこの世界の真っ白な平原に突っ立っていた。死んだわけでも、召喚されたわけでもないらしい。ただの事故。けれど、この世界には不思議と馴染めた。
なんたって、争いがない。魔王もいなけりゃ、勇者もいない。ただ、広い空と澄んだ空気、そして……放牧にぴったりな土地がある。
――そう、俺の今の目標は、「異世界でチーズを極める」ことだ。
⸻
最初は食っていくのに必死だった。だが、運良く「適応の加護」というスキルが発現したおかげで、言語も文化もすぐに慣れた。村の婆さんが「牛乳腐らせて放っといたら固まった」と笑いながら出してきた塊。それを味見したのが、すべての始まりだった。
「これ、もっと上手く作れたら、すげえんじゃないか?」
気がつけば、山羊を飼い、鍋を集め、村の古文書を読んで試行錯誤していた。今は毎週末、村の広場でチーズを売っている。まだ形も味も安定しないが、客は来てくれる。
「おお、陸也のチーズ、今週も食べにきたぞ!」
「先週の青カビのやつ、すっげえ酒に合った」
都会のストレスと終電、プレゼン地獄に追われていた自分が、今や「チーズの人」として村で顔を覚えられている。不思議なものだ。
でも、悪くない。
たまに寂しさもある。けれど、朝の霧をかき分けて羊と歩く静けさ。土を踏む音だけが響く午後の牧場。陽が落ちる前の台所で、発酵具合を見るこの穏やかな時間。どれも、東京の満員電車では手に入らなかったものだ。
そして、少しずつ広がる夢がある。
「いつか……このチーズを持って、旅に出たいな」
この世界には、まだ知らない材料や発酵技術があるらしい。匂いの強い牛乳、山でしか採れない草、温泉で育つ特殊菌……村に留まるには、もったいない。
――だからこそ今は、基礎を固める。
小屋を増築し、道具を整え、チーズの熟成法を研究する。そして、旅立つその日まで、村人と笑いながら、ゆっくり、じっくり、俺の「異世界チーズ人生」を熟成させていく。
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