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それを自覚したのは、お母さまから話を聞いたときからだった。
この家では、私が私であることは尊重されない。
高遠家の長女であり、男子のいないこの家を相続していくため、必要な能力を持つ男性を婿入りさせるための道具でしかないのだ。
昔からそうだ。
だから、私はお母さまやお父さまと一緒にいろんな社交場に出かけたし、お話をするスキルも身につけてきた。
だから、学校だけが私が私でいられる唯一の場所だった。
友達の
「――では、次に出資についてお話させていただきたい」
「ええ。今、主要生産として置く名古屋の一部工場の委譲契約からでもよろしくて?」
「わかりました。では我が社の方で締結した――」
私の意見などは聞かず、勝手に話が進んでいく。
お母さまは強い。弱々しく見える私と、見た目こそ歳を取っただけであまり変わらないのに、その言葉一つひとつにハッキリとした意思がある。
私の性格はきっとお父さま似なのだろう。
元々、男子が生まれにくい家系ゆえにお父さまも婿入りで高遠家にやってきた。その経緯を見るに名家出身だということはわかるけれど、お母さまに比べると覇気がない。優しい、とひと言で表すこともできる。ただそれは、お父さまがこの社交場で理路整然と発言できるかという点においては、あまり信用ならない評価だ。
優しいがゆえに相手に寄り添ってしまう。
我を通せない奥手なところを継いでしまった私は、お母さまにとって貧乏くじだったのだろう。だからこうして私を拉致まがいにお見合い相手の家に連れてきて、勝手に段取りを決めている。
豪奢な絨毯が敷かれた応接室で向かい合う二脚のソファのひとつに座る私は、ふと視線に気づいて前を見た。
そこには、私と同じく親同士の話し合いに苦笑を浮かべる男の子の姿がある。
彼は、佐々木くん。佐々木
峰近さんと佐藤くんの幼なじみ。
私が憧れた関係を持つふたりと一緒にいた、あの佐々木くんだった。
あまり話したことはないし、話の輪に入ってくることはない。でも、峰近さんは事あるごとに佐藤くんと共に彼の名を出しては、選ぶべきじゃない男の子だって口を酸っぱくして言ってくれた。
あれは、もしかしてこのときのための警告だったのだろうか。
「?」
親に気づかれないように下を指さす佐々木くんの合図に合わせて、ブレザーのポケットに入れたスマートフォンが震える。
そっと取り出して画面を見ると、そこには佐々木くんからのメッセージがあった。
『ごめんね、佐藤じゃなくて』
え、と思わず声が出そうになって、慌てて落としそうになったスマホを太ももに挟む。
「……何、どうしたの、つむぎ」
「い、いえっ、なんでも」
「そう? ああ、でもあれね。浩一郎くんとお友達だったのは幸いよね。学校では仲がいいのよね? ほら、さ、さ……」
「……佐藤くん、ですか?」
「そう、その佐藤くんとも浩一郎くんは仲良しだっていうじゃない。近しい人が結婚相手になることはあんまりないのよ? 嬉しいでしょ?」
「え、ええ……そう、ですね」
曖昧に頷くしかないけれど、笑みだけは欠かせない。
お母さまに向けた笑顔を、次いで佐々木くんへと向ける。さっきまで苦笑していた彼も、今はとっても好青年な表情になっていて、ちょっとだけ凜々しい。
「僕も嬉しいですよ。つむぎさんとは学校で仲良くさせてもらっていたので、こんな機会が訪れるなんて」
「あら、そうなの? じゃあ、相思相愛ってこと?」
「い、いえっ――」
「ええ、本当に。よかったです、僕も」
お母さまの言葉を否定しようと口が出たところで、佐々木くんが被せてくれる。
とても嬉しそうな顔をしてお母さまを見る彼の表情に曇りはない。本当にそう思っているのだと理解してしまうような、今まで知らない佐々木くんの側面を見た気がしてしまう。
「この子は恥ずかしがり屋だから、それじゃあこの社会でよろしくできないでしょう。だから連れ回してきたんですけど、やはり男手は必要なのよね。その点、浩一郎くんは素晴らしいわ。もうこの歳で経営のお勉強をされているんでしょう?」
「ええ、まあ。父の跡を継ぐのは兄ですけど、僕も経営には興味はあったので」
お母さまは上機嫌だ。
佐々木くんも特別うまいことを言っていないのに、さりとて相手が求めていることを的確に言葉にしている。お母さまはそのたびに「すごいわ」「よかった」と喜びと安堵を行き来しているから、厄介な男の子だ。
こんなにもお話ができるのに、なんであまり話の輪に加わってくれなかったんだろう。
この縁談が前々から決まっていて、事前に知っていたとしたら。それで友達になったというのなら、あんまりな対応じゃないか。
佐々木くんは言った。
「僕のことはひとまず。気に入っていただいて光栄です。ただ、今はその後のお話の途中でしたでしょう。どうぞ、お邪魔をしました」
「え、ええ。そうね。ありがとう。話が脱線してごめんなさいね」
「いえ。あ、そうだ。お話が長くなるようでしたら、少しつむぎさんと席を外しても?」
「問題ないわ。ですよね?」
「ええ」
佐々木くんのお父さまに了解を取るお母さまに会釈を返し、佐々木くんは私を手招く。
「今日来るって聞いてたから、焼き菓子を用意したんだ。好きかな?」
「……好ましい、とは思っています」
「なら、よかった」
私はソファを立ち上がって、お母さまと佐々木くんのお父さまに頭を下げる。
そうして応接間の扉を開けて待っていた佐々木くんの案内のもと、部屋を出た。
❒
「いつから、知っていたんですか?」
あまりにも話を簡単に受け入れていた佐々木くんは、自分の部屋に着くなり首元を締めるネクタイを緩めた。
四脚椅子が囲む丸テーブルと、キングサイズのベッドが置かれただけの質素な部屋は、時折一人暮らしを夢見て眺めていたモデルルームよりもこざっぱりしている。
テーブル横には、ティーセットを載せたカートと、クッキーがお皿に載っていた。
「まあ、座ってよ」
「聞いていることに答えていただければ」
「そんなに語勢の強い高遠さんを初めて見たよ。お母さんの血かな」
つい、と思ったときには遅かった。
お母さまは嫌いじゃない。けれど、その高圧的で家のためになんでもしようとするその非情さは、あまりよく思っていない。
頭に上りすぎた血を下げるように、私は息を吐く。
「ごめんなさい。取り乱しました」
「いいよ。僕も箝口令を敷かれていた身だから。謝るべきは僕の方だ」
そう言って、佐々木くんは自身が座ると決めたベッド側の椅子の向かいを、私に勧める。
「では、お茶は私が」
「これは僕の趣味でね。気軽に腰を落ち着けていてよ。もっとも、難しいだろうけどさ」
軽い口調で言う佐々木くんは、ティーポットを手に取ってティーカップを用意していく。
「お湯ではなく、もう紅茶を注ぐんですね」
「趣味とは言うけど、長く付き合わせる気はないんだ」
ほら、と彼はソーサラーに載せたカップを私の前に差し出す。
紅玉色の水面からは、アッサムの香りが漂っていた。
「僕と話すのは疲れるでしょ」
「いえ、そんなことは。私は佐々木くんともお話したいと思ってましたから」
「それがこんなことになってごめんね。僕も無理だとは言ったんだけど、会社の意向では逆らえなくて」
社長子息が負うのは、親の手駒としての役割だ。
私が高遠の血のために生きているのと同じように、その手腕でもって会社を大きくする、併合してでもその名を遺し続けるためのトレード品として、出資側に送り出される。
要は、彼はその経営者として育てた手腕を売られた、ということだろう。
「僕の家は一代で成り上がったようなものだから。これからも業界で勢力を伸ばすのなら、高遠の力が必要だった。簡単なことだけど、難しいよね。でも、わかってほしい」
「いえ……」
そんなことは心得ている。
「わからなくはないから、今、私は……」
「困ってる。だよね。さぁ、冷める前にどうぞ」
自分のを淹れ終え、向かいの席に着いた佐々木くんは笑みを向ける。
彼の趣味だと言った紅茶の香りは強い。
私は、薄く湯気立つ紅茶へと口をつけた。
「美味しい、です」
「砂糖はいる?」
「ええ、ではひとつだけ」
「いいよ。こちらのクッキーもどうぞ」
角砂糖のポットに、皿に並べられたアイシングクッキーが手前に置かれる。なんだか餌付けされているような気分であんまりよくないけれど、それでも今は従った。
「……おいしい、です」
口元を押さえつつ、私は感想を口にする。
その様子をなぜか楽しそうに――それこそ峰近さんたちと同じ笑みで、佐々木くんは私を見つめてくる。
「……なんですか?」
「警戒しないでよ。ただ、美味しそうに食べている姿がいいな、って思っただけだから」
そう言うと、佐々木くんはようやく自分で淹れた紅茶に口をつけた。
「将十にも見せたかったよ、その顔」
「なっ」
「その顔もいいね」
「い、いい加減にしないと、私だって怒りますよ?」
「怒られてもいい。それだけのことをしたんだ。罪は
思わず立ち上がろうとした私に、その言葉はあんまりだ。
「……まるで、私が悪者のように言っていませんか?」
「高遠さんが違う家に生まれていたなら、僕は心から佐藤との仲を祝福できたよ。政略結婚なんて本来、するようなものじゃないからね」
「それとこれとは違います。あと、佐藤くんは、関係ないです」
「ほんとうに?」
いや。
彼を意識していたのは事実で、彼との将来を描いたことがないといえば、嘘になる。
白状してもいい。
佐藤くんに褒められたあの瞬間から、私は恋に落ちていたのだ、と思う。
淡く儚い、私にとっての初恋は、佐藤くんだった。
そう。
それだけだ。
私は息を吸って、うなずき返す。
「気丈だね」
「でなければいけないと母に言いつけられているので」
「でも学校での天然な高遠さんの方がいいと僕は思うよ」
「だ、だからっ」
「少なくとも、佐藤だって、峰近だって。酒井さんもそうだ」
少しだけパーマのかかった長めの髪に両手を通し、佐々木くんは天井を仰ぐ。
「ねえ、高遠さん」
「なんですか?」
両手で顔を覆って、くぐもった声を出す彼は息がしづらそうだった。
「高遠さんが素直になったら、僕が手を引くと言ったらどうする?」
「なんですか、それ」
「いいから答えて」
「答えるも何も、佐々木くんの一存で決められもしないでしょう?」
会社の未来を決めることだ。
高遠グループの出資を取りやめて安寧を切るのは、理にかなっていない。
「うん、僕はね」
でもね、と佐々木くんは言う。
「君のお父さんはそうでもないんだよ」
お父さま……?
そこで出てくる名前に、私は戸惑いかけて――理解した。
私の家で、高遠家で、お父さまは一番弱い。
でもその一方で、グループの全決定権はお父さまの手に委ねられていた。
交渉や実務はお母さま、その最終決定権はお父さまによって裁定される。それは、お父さまにもちゃんと経営者としての腕があって、お母さまよりも全体を見る力が優れていると会長であるお祖父さまが判断されたからだ。
そのお父さまが、私と佐々木くんの家の婚姻を決めかねているの?
「どういうことか、聞いてもいいですか?」
私は急くように佐々木くんに詰め寄る。
「まあ、落ち着いて」
「落ち着いていられると思っているんですか? だって、それは……っ」
優雅なティータイムは五分と経たずに終わってしまった。
落ちた夕陽を追って、夜の星々が窓から望む空を彩り始めている。
時刻はいつの間にか一九時を過ぎていた。
「ああ、そうだよ」
テーブルに乗り出す私の肩を押して、佐々木くんは言った。
「高遠さんのお父さんは、君に自由を与えたいと思っているみたいだ」
「なぜ?」
「それを僕に聞くのかい? 直接聞いた方がいいよ」
「でも知っているんでしょう?」
「知ってる。でも話せないことはある」
紅茶を一口飲む佐々木くんは、こんなときでも優雅だ。
私はこんなにも取り乱しかけているのに、この場の優位は完全に奪われている。
これでは彼の思うとおりに事が進むことになる。
交渉事で感情を出すな。出せば呑まれる。
何度となく言われた言葉を、私は守れない。
私は、つい手が伸びていた。
「話して」
「ここまで女の子に迫られたのは初めてだよ」
「その初体験の記念に、口を割ってくれると嬉しいです」
「センシティブな言葉も使うんだね、高遠さんは」
「ええ、時折」
何かの役に立つとは思わないのに、一生懸命に語彙を覚えた甲斐があった。
こんな場面で使うことになるなんて思わなかったけれど。
じゃあヒントだ、と佐々木くんは言う。
「君は人形じゃ、ないだろう?」
高遠家の血を残すための役割として育てられてきた。
それが意味することは知っている。
だから、否定することも正解だった。
でも。
「私は、一人の人間です。高遠つむぎです」
「即答できるならいい。ああ、本当に僕の役割は本当にひどい噛ませ犬だ」
思いっきり彼の胸ぐらを握っていたはずの手が、簡単に引き剥がされる。
そうして佐々木くんは、はあ、とため息を漏らす。
「僕は酒井さんのが好みなんだ。ポニーテールが似合う子がいい」
私の髪を眺めて、うーんと唸る彼は、とてもじゃないが嫌な気分になる。
「高遠さんもポニーテールにならない? きっと似合うと思う」
「今日は本当に饒舌ですね、佐々木くん。嫌ですけど」
「はは、僕の本心が知れて好きになってほしいな」
「無理です」
でも。
「友達にはなれそうだと思います」
「それが聞けただけで、僕の役割に意味が持てるよ」
佐々木くんは、ポケットから取り出すスマホを指さした。
そこには、連絡先が書いてあった。
見覚えのある数字群は、お父さまの連絡先だ。
「電話してごらん。あとはそれで解決する」
「佐々木くんは?」
「僕の問題も一挙に解決する。僕がただ高遠グループの傘下に入るだけだから」
政略結婚で無理矢理に経営陣と肩を並べるよりは、その身ひとつでのし上がった方がより権力に箔がつく。
彼はきっとできるだろう。
なら、私は家に背く――お母さまに刃向かう準備をしないといけない。
『――話したんだね』
電話をかけると、二回のコール音の後、お父さまが出た。
開口一番、かかってくる内容を知っていたような口ぶりは次の言葉まで決まっていた。
『それじゃあ、ママに代わってくれるかな』
いつになく頼りになりそうなお父さま。嬉しいのに、なぜだか心は警戒している。
お父さまも高遠の人間だから――その予感は、残念なことに外れてくれはしなかった。
純情マリオネットに糸はない ぱん @hazuki_pun
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