桜ひとひら、君へ

@sakurasoushi

始まり

時を超え、巡り逢った二人の恋は、春の風にそっと揺れる花のように────。


令和に生きる少女・美波は、ある日突然、幕末の京へと時を越える。

理由も分からぬまま襲われた彼女を救ったのは、新選組一番組組長・沖田総司。

おどけた笑顔の裏に、哀しみと優しさを隠す彼。

やがて二人は、運命のいたずらに心をほどかれ、惹かれ合っていく。


だが、歴史は非情だった。

池田屋事件、沖田の病────美波が知る“未来”と、総司が生きる“今”が、残酷な現実として二人を引き裂こうとする。


それでも、美波は願った。

この時代に呼ばれた意味を、あなたの命を、未来へと繋ぐために。


「いつか、また桜の季節に────あなたに、会いたい」


桜の花が舞い散る中、二人が交わした約束。

それは、永遠に心に咲き続ける、切なくもあたたかい恋の記憶。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


第一章 見知らぬ空の下で


薄く霞んだ空。

頭の奥で、何かが鈍く響いていた。


────ここは、どこ?


目を開けると、そこは見たこともない土手だった。

聞こえるのは遠くの喧騒と駆け抜ける足音。

美波は、地面に倒れたまま戸惑っていた。


(さっきまで駅にいた……スマホも持ってた……なのに……)


身体を起こそうとした瞬間、背後から怒号が響いた。


「女だ!!何者だ、てめえ!」

「間者かもしれん、捕らえろ!」


複数の男達が、美波を囲んだ。


着ているのは羽織や着物。

鋭い視線と抜かれた刀。


恐怖が喉を締め上げる。

足が動かない。

叫ぼうにも声にならない。


(誰か────!)


そのとき、風を切る音がした。


「おやおや。夜道に女の子一人というのは、物騒ですよ?」


静かで、どこか楽しげな声。

その声の主の姿を目にした途端、男達の顔色が変わる。


「新選組……っ!」


新選、組……?


「さて、どうしますか?このまま逃げてもいいし、痛い目見たいと言うならお相手しますが」


次の瞬間、男達が捨て台詞を吐き捨て一目散に去っていく。


薄い藍の羽織。

長く整った睫毛と涼やかな目元。

口元に笑みを浮かべ、ふっと振り返った。


「大丈夫ですか?怪我は?」


「えっ……あ……」


声がうまく出ない。

目の前の光景が現実とは思えず、美波はただ首を振った。


青年はふっと笑うと、手を差し伸べた。


「良かった、それなら一安心。変わった服を着ていますが、どこから来たんですか?」


震える手で彼の手を取った時、ようやく美波は自分の身体の温かさを取り戻す。


「……分からないの……気がついたら、ここにいて……」



青年は少し目を細めた。


「とりあえず、ここにいては危険です。俺の知ってる場所に行きましょう」


「えっ……でも、私……」


「心配しなくていいですよ。俺、こう見えても女の子には優しいので」


落ち着いた、柔らかな声。

それだけで、気持ちが少し安堵した。


「ところで、お名前は?」


「美波、です」


「美波さんですね。僕は沖田総司。新選組一番組組長」


新選組……沖田総司……。


歴史の教科書でしか知らないその名に、美波の心が波立った。


(そんな……どうして……?)


刹那、ふわりと何かが掛けられた。

はっとして顔を上げると、それが彼の羽織りだと気付く。


見上げると、桜が舞っていた。

風に揺られ、はらはらと。

月明かりに照らされて、まるで光り輝くかのように。


なんて、綺麗なんだろう……。


彼に手を引かれ、美波はゆっくりと歩き出した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


第二章 壬生の風、やさしき剣


壬生の屯所────。

新選組の本拠地と呼ばれるその場所に、美波は案内された。


「ちょっと変わった子を拾っちゃいました。しばらく置いてあげてもいいですか?」


「総司、お前また勝手に……」


「でも、女の子一人で放っておくわけにもいかないでしょう?」


土方歳三、近藤勇。


教科書の中でしか知らなかった偉人達が、目の前で生きて動いていた。


最初は戸惑いしかなかったけれど。


けれど、沖田のさりげない気遣いや、壬生浪士達の不器用な優しさに、美波は少しずつ心をほぐされていった。


「はい、美波さん、お団子どうぞ。美味しいですよ」


「ありがとうございます。……ふふ、総司くん、甘いの好きなんだね」


「だって、疲れが取れますよ。ほら、あなたも食べて」


そう言って笑う。

でも……。


「っ……けほっ……こほっ……」


不意に顔を歪め、咳き込んだ。


「大丈夫!?」


慌てて覗き込んだ美波を、そっと手で牽制しながら、彼はゆっくりと深呼吸した。


「大丈夫です。ちょっと風邪が長引いているみたいで。……でも、心配してくれてありがとう」


その声はどこか無理をして明るさを保っているようで、美波は胸が痛む。


(この人の運命、私は……知ってる。だけど……)


この時代に来た理由も、帰る方法も分からない。


でも、彼のそばにいることで、少しずつ「ここ」が居場所になっていくのを感じていた。



ある日、沖田は美波に木刀を渡した。


「ちょっとだけ、教えてあげますね。剣術」


「えっ、私が? 無理だよ、そんなの」


「大丈夫。形だけでも、身を守れるようにしておきたいんです。……あなたがまた、危ない目に遭わないように」


その真剣な目に、美波の心は強く揺れた。


誰かの為に、本気で剣を振るうその背中は、とてもまっすぐで。


(この人の笑顔を、ずっと見ていたい)


そんな思いが、芽生え始めていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


第三章 静かな雨、寄り添う距離


春の終わり、雨の季節。

濡れた土の匂いと、しとしとと降り続く雨音が、壬生の空気を静かに染めていた。


縁側に並んで座り、外を眺める二人。

沖田は静かに息をつき、美波の隣で微笑んだ。


「雨、嫌いじゃないんです、俺」


「うん、私も。少し寂しいけど……落ち着く」


美波の言葉に、沖田は目を細める。


「あなたって……静かだけど、芯が強い女性ですよね」


「え?」


「最初に会った時、怖かったはずなのに……俺の手、ちゃんと握ってくれました」


美波は少し頬を赤らめ、視線を伏せた。


「怖かったよ……でも、あの時……助けてくれるって思ったの。信じたの」


ふ、と沖田は笑った。


「信じてくれてありがとう。あの時、君のこと……もっと知りたいって思ったんです」


雨音が、ふたりの沈黙を優しく包んだ。


日々を重ねるうちに、彼の言葉や表情のひとつひとつが、美波の心を温めていった。



ある時、沖田が咳き込んで倒れ込んだ夜。


「────総司くん!」


誰よりも早く駆け寄ったのは、美波だった。


皆が慌てる中、彼の背をさすり、近くの隊士に水を持ってきてくれるよう頼む。


「体調、悪かったのに、無理してたんだね。私がもっと早く気づいていれば……」


「あなたのせいじゃ、ありません。そんな事より……君の手、あったかいですね……」


そっと触れた沖田の手が、美波の指を優しく包み込む。


苦しげに呼吸を繰り返しながら、沖田はそれでも明るく振舞おうとする。


(私……この人を、守りたい)


控えめに、けれど確かに芽吹いた想いが、やがて行動を変えていく。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


第四章 池田屋の夜、咲いた決意


それは、ある夏の夜のことだった。


「尊王攘夷」の名の下に京の町が不穏さを増す中、沖田は言った。


「池田屋に潜伏している浪士達を討ちに行きます。あなたは屯所で待っていてください」


「……無事に、戻ってきてね」


微笑んで見送ったその背中に、胸が締めつけられる。


(史実では、総司くんは……あの夜に倒れる。肺を病んでいたのに、戦ったせいで……)


頭の中で、歴史の授業の記憶が警鐘を鳴らす。


(駄目……このままじゃ、彼は────)


その夜、美波は、恐れも戸惑いも全て飲み込んで、一人で池田屋へと走った。


剣の音、怒号、火の手。


その中に、探していた人物を見つける。

でも、何を思うよりも先に、体が動いた。


「やめて!!」


彼と敵の間に体を滑り込ませ、手にしていた木刀で斬撃を交わそうとする。


「きゃっ……」


勿論本物の真剣なんてそう簡単に受け止められるはずもなく、思いっきり尻もちをついた。


「馬鹿な女だ」


刀が振り上げられる。

体が、動かない……。


その瞬間、ぐっと体を引かれ、抱きしめられた。

同時に階段を駆け上がってきた足音が聞こえたかと思うと、間も置かず目の前の敵が倒れ込む。


どうやら、助かったみたいだ。


「美波、さん……どうして……ここに……」


「駄目……死なせたくないの……!」


溢れてくる涙を、必死で拭う。


「歴史が変わってもいい。あなたが生きててくれれば、それで……」


燃え上がる柱の下、彼の身体を抱き起こし、必死に引きずる。


咳き込み、意識が途切れそうになる沖田を、必死で支えながら────。


「あなたはまだ、死んじゃいけない……!」


そこにあるのは、ただひとつの想い。


この人を、生かしたい。


それだけだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


第五章 生きて、また君と歩くために


池田屋事件から三日。

沖田総司は、生きていた。


「奇跡だ……あれだけの咳発作の中で戦ったのに……」


「そばにいた女が……あの子が、助けたらしいな」


屯所の空気はざわめいていた。


そして、その奇跡の渦中にいる美波は、沖田の枕元でじっと寄り添っていた。


「……美波さん」


掠れた声で、沖田が美波の名を呼ぶ。


「目、覚めたの?」


「はい。あなたの声が、ずっと聞こえてた気がします。ありがとうございます。あなたに、助けられたんですね」


その言葉に、美波の瞳が揺れた。

嬉しさと、安堵と、もう一つ、別れの影。


(私……もう、この時代にいられない気がする)


助けた瞬間から、胸の奥に、何かが静かに告げていた。


「役目を果たした」と。



数日後、沖田の体が少し回復した頃。


「ねえ、美波さん。少し、外に出ませんか?ある場所に、君を連れて行きたいんです」


並んで歩く道。


辿り着いたのは────あの夜、初めて出会った場所だった。


「ここ……」


「はい。あの夜、君を見つけた場所。あの時、君が俺の手を取ってくれたこと、忘れられないんです」


沈黙の中、風が何かを運んでくる。

桜の花びらだった。


もうとっくに、その季節は終わってしまっているはずなのに……。


「……私、きっとね、あなたを助ける為に、この時代に来たんだと思う」


美波の目がまっすぐに沖田を見つめる。


「あなたが生きて、この先に進むことが、私の……“使命”だったのかもしれない」


沖田は、そっと微笑んだ。


「あなたがいなければ、俺はきっとあの日に死ぬはずだった。君に出会って、俺は変わりました。死ぬことなんて、怖くないと思ってた。でも今は、生きたい。あなたと、もっと話して、もっと笑いたい。……そう思うんです」


「私も……もっと、総司くんと一緒にいたい」


二人の手が、そっと重なる。


その瞬間────。


風が止み、世界が静かになる。

空気が震え、光が差し込んだ。


「……行くんですね」


沖田の声が、優しく響く。


「そう、みたい……」


涙がこぼれても、笑顔で頷く美波。


「……私ね、好きだった。総司くんの事が」


「春が来るたび、あなたを思い出すでしょう。……俺の胸に咲いた、唯一の花として」


桜が、花吹雪のように舞い上がる。

あるはずもない、桜。

それは幻なのだろうか。

光の中、美波の姿が少しずつ、薄れていく。


「いつか、また桜の季節に────あなたに、会いたい」


最後に見えたのは、微笑む彼の姿。


その眼差しが、まっすぐに「未来」を見つめていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


最終章 桜、また咲く頃に


春。

冷たい風が少しずつ和らぎ、街が色づき始める季節。


美波は、静かな気持ちで坂道を歩いていた。

コートの裾が風に揺れ、髪をなびかせるたび、遠い記憶が胸の奥で優しく囁く。


(あれは、夢だったのかな……)


────幕末。


混乱の京都。

剣を振るう音。

心まで照らしてくれるような明るい彼の声。


そして、舞い落ちる桜の中で、別れたあの日の光景。


戻ってきた時、美波の手には何も残っていなかった。


けれど、心の中には彼がいた。

彼の笑顔も、温もりも、最後に交わした言葉も。


何度も思い出しては、胸の奥が温かく、そして切なくなる。


「もう一度、会えたら」────。


そんな願いを、どれほど心に抱いただろう。

だけど、その願いが叶うことはない。


どんなに想っても、それはもう、幻想でしかない。



その日、美波はふとした思いつきで、近代資料展に立ち寄った。

会場には、幕末の手紙や日記、写真、遺品の数々が並んでいた。


何気なく歩いていたその時、目が留まった一通の手紙。

風にめくられるように、自然と視線が吸い寄せられた。


硝子のケースの中、少し黄ばんだ和紙に、たった一言だけ、こう記されていた。


「ありがとう あなたに出会えて、よかった」


筆跡の柔らかさ。

名前のないその言葉の送り主────。


でも、美波には分かった。


(総司くん……)


それは彼から、美波への最初で最後の手紙。


何十年、何百年という時を越えても、「想い」は、どこかでちゃんと届いているのだと、そう思えた。


外に出ると、空は淡く霞んでいて、街路樹の桜がほころび始めていた。


ひらひらと舞う花びら。

美波は立ち止まり、そっと空に手を伸ばす。


指先に、一枚の桜の花びらがふわりと舞い降りた。


(また、春が来たね。総司くん……)


彼がもういないと知りながら、それでも問いかけてしまうのは、想いがまだどこかで繋がっている気がするから。


風が吹く。

それはどこか懐かしくて、あたたかくて────。


まるであの日、別れ際に触れた彼の手のようだった。


「私も、生きていくよ。あなたに届くように」


そう、心の中でそっとつぶやいた。


桜が、春の空に舞っていた。


優しく、切なく、そして確かに、そこに“想い”を残して────。



《完》

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