第16話 影の胎動、「justice」

グレイが主要なギルド連合から正式に離反し、アンジェロの扇動のもと、新たなギルドを結成したという噂は、瞬く間にアークライトの街全体に広まった。

その名は「justice」。

正義を標榜するそのギルド名とは裏腹に、彼らの行動は日に日に過激さを増し、プレイヤーたちの間に恐怖と混乱の影を落とし始めていた。

最初は、狩場での些細なトラブルや、難癖をつけてのPvPといった、小競り合い程度だった。

しかし、アンジェロという悪意ある知恵者が加わったことで、彼らの行動はより組織的かつ悪質になっていった。


「おい、そこのお前! この狩場は俺たちjusticeが管理してるんだ。通りたきゃ『協力金』を払ってもらおうか」

「ひっ…! や、やめてください!」

「ああ? 金がないなら、その装備でもいいぜ? 脱ぎな」


明らかに格下のプレイヤーや、初心者と見られるプレイヤーを狙い、脅迫してアイテムや装備を巻き上げる。

抵抗しようものなら、容赦なく複数人で襲いかかり、無力化して身ぐるみ剥いでいく。

さらに悪質なケースでは、わざとモンスターが多くいる危険地帯に追い込み、間接的に殺害するようなことまで行われ始めた。

PK(プレイヤーキル)そのものも、目撃情報が増え始める。


「東の平原で、またjusticeに襲われた奴が出たらしいぞ…今度は殺されたって…」

「マジかよ…デスペナルティなのに、平気で殺すのかよ、あいつら…」

「装備全部奪われて、レベルも下がって…もう立ち直れないって泣いてたぜ」

「レベル低い奴ばっかり狙うなんて、本当に卑怯だろ! なんでジニーさんたちはあいつらを放っておくんだ!」


街の酒場や広場では、justiceの蛮行に対する怒りと恐怖、そしてリーダーたちへの不満の声が渦巻いていた。

治安は目に見えて悪化し、プレイヤーたちは疑心暗鬼になり、かつての活気は失われつつあった。

justiceのメンバーは、グレイに当初から付き従っていた数名の仲間に加え、アンジェロが巧みな言葉で勧誘した者たちで構成されていた。

現状への不満、力への渇望、あるいは単なる快楽目的。様々な理由で集まった無法者たちは、アンジェロの指示のもと、徒党を組んで狩場やダンジョンの入り口、街の路地裏などで待ち伏せし、組織的な略奪と暴力を繰り返していた。

彼らにとって、デスペナルティはもはや抑止力ではなく、他者を支配するための脅迫手段となっていた。

ギルドの影の支配者であるアンジェロは、表向きはグレイを立てつつ、実際には彼を巧みに操り、ギルドの方向性を決定づけていた。

アジトと化した薄汚れた廃屋で、アンジェロはグレイに囁きかける。


「グレイ、順調だね。僕たちの力は着実に増している。他のプレイヤーたちは僕たちを恐れ始めているよ」

「…ああ。だが、これだけじゃ足りねぇ。俺は、もっと力が欲しい。あのルーカスを潰せるだけの力が!」

「焦らないで、グレイ。僕たちの真の目的を忘れないで。僕たちが探しているのは、このゲームに紛れ込んでいる『運営の犬』…スタッフだ。そいつを見つけ出し、T国に引き渡せば、僕たちには想像もできないほどの報酬と、安全な未来が約束される」

「…本当に、ルーカスがそうなのか?」

「可能性は極めて高いね。あの異常な強さと知識、そしてプレイヤーにしては知りすぎているシステムの知識…普通のプレイヤーじゃない。奴を捕まえれば、あるいは殺せば、僕たちの望みは叶う」


アンジェロは、そんな嘘を吹き込み、グレイとメンバーたちの憎悪と欲望をさらに燃え上がらせる。

彼らにとっては、颯太(ルーカス)こそが、自分たちの成功を阻む最大の障害であり、同時に、莫大な利益をもたらす可能性のある獲物でもあった。


「だから、今は力を蓄える時なんだ。邪魔な奴らから装備やアイテムを奪い、僕たちの戦力を強化する。他のプレイヤーたちを恐怖で支配し、僕たちに逆らえないようにする。そして、機が熟したら、あのルーカスを…!」

「…わかった。アンジェロ、お前の言う通りにする。だが、必ず奴を俺の手で…!」


グレイの緑色の瞳が、復讐心と野心にギラリと光る。

彼はもはや、アンジェロの操り人形と化していた。


「justice」の悪行は、当然ジニーをはじめとする他のギルドリーダーたちの耳にも詳細に届いていた。

ジニーはエリアコールで改めて全プレイヤーに警告を発し、単独行動の禁止、複数人での行動の徹底、不審者情報の共有などを呼びかけた。


「PKギルドjusticeの行動は断じて許されるものではありません。彼らの目的は、略奪と暴力によってプレイヤー間の信頼を破壊し、私たちを恐怖で支配し、混乱させることです。決して彼らの挑発に乗らないでください。彼らは、私たちが仲間割れすることを望んでいます。そして、もし被害に遭われた方は、決して泣き寝入りせず、すぐに私か、各ギルドリーダーに報告してください。必ず、解決策を見つけます」


ジニーは対策本部を設置し、有志のプレイヤーたちの協力を得て、justiceの活動状況、メンバー構成、アジトの場所などの情報収集を強化した。

討伐も当然視野に入れてはいるが、デスペナルティという重すぎる枷がある以上、プレイヤー同士の本格的な大規模戦闘は避けたい。

もし討伐に乗り出して、こちら側にも死者が出れば、それこそ敵の思う壺だ。

ジニーは、リーダーとして、苦渋の決断を迫られていた。

cloverのギルドハウスでも、justiceの話題は深刻さを増していた。メンバーたちの表情は暗い。


「許せない…! 同じ状況にいるプレイヤーなのに、どうしてそんな酷いことができるの! まるで、現実世界の犯罪者みたい…!」


紗奈が、目に涙を浮かべながら憤慨して言う。

彼女のような心優しいプレイヤーにとって、justiceの存在は理解しがたい悪そのものだった。


「弱い者いじめして、何が楽しいのかしらね。本当に最低だわ」


レベッカも普段の軽口はなりを潜め、顔を顰めて吐き捨てる。


「だが、連中も追い詰められてるんだろうな。このデスゲームで正気を保つのは難しい。だからといって、やっていいことと悪いことがあるが…」


イズルが、複雑な表情で腕を組みながら呟く。力でねじ伏せることは簡単ではない、という現実も理解している。


「同情の余地はありません。彼らは自ら道を踏み外した。もはや、他のプレイヤーにとって明確な脅威です」


ナギサはきっぱりと言い切った。

彼女の冷静な言葉は、感情的になりがちな場の空気を引き締める。

颯太は、黙って仲間たちの会話を聞いていた。

PKギルドの出現と台頭は、ある程度予想していたシナリオではあったが、そのスピードと悪質さは想定以上だった。

そして何より、彼らの明確なターゲットが自分である可能性が高いことが、颯太の行動を大きく制限していた。


(迂闊に目立つ行動は取れないな…しかし、このまま彼らを放置すれば、被害は拡大し、プレイヤー全体の士気は地に落ちる。いずれ、決着をつけなければならない時が来るだろう…)


颯太は、密かにjusticeのメンバー構成や行動パターン、そしてリーダーであるグレイと、影で糸を引くアンジェロについての情報を集め、対策を練る必要性を強く感じていた。

そんな中、cloverのギルドハウスの扉が勢いよく開き、数名のプレイヤーが転がり込むように駆け込んできた。

彼らの装備はボロボロで、顔には恐怖の色が浮かんでいる。

彼らは元々、グレイが離反する前に所属していたギルドのメンバーだったが、justiceの非道なやり方に反発し、脱走してきたのだという。


「頼む! 俺たちをcloverに入れてくれ!」

「justiceにいたら、俺たちまでPKに加担させられる…! もう耐えられないんだ!」

「あいつらは、もう人間じゃない…!」


彼らは床に膝をつき、震える声でcloverへの加入を懇願した。

颯太は、イズルやナギサと短い視線を交わし、頷き合った。彼らを見捨てることはできない。


「…わかりました。ようこそ、cloverへ。ここでは、誰も不当に傷つけられることはありません。ゆっくり休んでください」


颯太の静かな、しかし力強い言葉に、彼らは涙を流して安堵の表情を浮かべた。

しかし、この出来事は、当然justiceの耳にも入った。報告を受けたグレイは、怒りに顔を真っ赤にして絶叫した。


「あの裏切り者どもが…! しかも、受け入れたのはルーカスのギルドだと!? あの野郎、どこまでも俺をコケにしやがって…!」


グレイの颯太に対する憎悪は、もはや個人的な感情を超え、組織全体を巻き込むレベルへと燃え上がっていた。


「見てろよ、ルーカス…必ず、お前も、お前のギルドの奴らも、一人残らず叩き潰してやる…! 俺たちの『正義』の前に、ひれ伏させてやるんだ…!」


PKギルド「justice」の胎動は、もはや抑えきれない濁流となり、アークライトの世界全体に暗く、重い影を落とし始めていた。

颯太とcloverは、否応なく、その濁流の中心へと引きずり込まれようとしていた。

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