人はかげろう

水形玲

花咲か爺さんのご恩

  人はかげろう                                                                       

                             水形玲    


 

  一



 そもそも私が書いていることに意味があるのか。印税になるのか。

 少なくともシャンプーなど使わない方がいいはずだ。無添加石けんなら安全性が確かめられている。

 悪霊(あくれい)と話す虚しさよ。

 第一、小説に絶賛が二つ付いたのは嬉しいのだけど、他には何も感想は書かれていないのだ。こんなものかな、と思った。上品にXで間接的な宣伝をしてきたが、売れる作家の条件は宣伝に力を入れる人であることのようだ。

 ……上品な間接的な宣伝でいいと思う。

 そもそも人生は何のためにあるんだ。

 楽園でアダムとエバに原罪が入り、父なる神様の最初の予定とは違う世界になってしまった。科学技術で店に食べ物があふれる楽園に近いものができてきたし、暴力を法律で禁止する動きも盛んになり、少しづつ少しづつ幸せな世界に変わってきた。インターネットで情報は即座に拡散される。大事なことはすぐ広まる。

 でも、あのたくさんの盗賊の城(身代金目的略取)は、なぜニュースにならないのだろう?



  二


 私は熱情の神と称せられるキリスト教の神と決別し、仏教の仏様、菩薩様、観音様を信じようと思った。仏教にもいろいろあるのだと思うけど、私は「念仏を唱えるだけで救われる」という教えを信じようと思った。

 仏教は超越者(神)を認めないので、押さえつけられる心配は少ない。

 人生の虚しさは仏教徒でなかったことから来ていたのか。

 ……まあ、わからないけど、とりあえず十日くらい信じてみよう。


 昨夜はアジの塩焼きと、ジャガイモと椎茸の味噌汁、そして麦ご飯を食べた。人生なんて意味ない。でもいつか即身成仏や至高体験を経験した。これからだってないとは限らないじゃないか。

 Tは汚されたらしい。父と文鳥のポックが逝去した。こんな世界に少しでも評価できるいいところがあるっていうの?

 プラス思考は嫌いだ。心はどんどん下を向く。それでいいじゃないの。

 でも、川野さんや久川さん、福田さん、鈴原さん、池野さんその他、私には絆でつながっている人がたくさんいる(ほぼ女性のみ)。

 毎日飲むコカコーラゼロ。一週間に一回飲む酒。一週間に一回食べるごちそう。

 私はお金を出して買ったそうしたものの代わりに、原稿を書いて印税と原稿料を受け取る。九桁入るようになった。川野さんとも再び会ったり通信したりできるようになって嬉しい。

 クロワッサンが好きになったのはいつだろう。クロワッサンに二百ミリリットルの牛乳を付けて買うのだ(昼)。そしてあれ。レーズンバターロール。あれも美味しい。

 最近「少女革命ウテナ」を観ている。王子様って結局誰なんだろう。やっぱり「アキハバラ電脳組」みたいに、自分の手に余る義務を引き受けたために自滅する人なのか。

 人生は虚しい、と私が言うのは、私が負の心を持っていることを意味する。他の人達は陽なのである。なぜ負ばかりが責められる? 負の心は簡単なことでは他人を責めないから、他人の欠点が目に付くのだろう。昨日久しぶりに川野さんと会って、しかもショートメールで話せた。寂しさも消える。

 召命型シャーマンは自分より霊格が低い霊に侵入され、中を荒らされてしまうのだ。高級霊の価値観は知性で、中級霊や低級霊のような「戦いにおける強さ」ではない。もちろん高級霊は原因体なので強いには違いないし、いつかは大人物として知れ渡る。クラピカみたいに「戦闘向きではない」。低級霊も、中級霊も、ドラゴンボールが好きだね…… 私も全王様は好きだけどね。「こんな世界、消えちゃえ!」って何度も思いましたね。でも、力不足で、世界消せなかった。

 もうシャーマニズムしか信じていない。

 こんなつまらない世界、何の意味があるんだ。川野さんはいる。筆下ろししてくれるかもしれない。世界は薄暗い。それでも時々小さな花火が上がるかもしれないじゃないか。それでいいじゃないか。そしてベランダで涼みながらスイカを食べるんだ。部屋に引っ込んだら、豚バラ大根など作ってみたり。

 ……でも、こうして部屋にこもると、コカコーラゼロ1.5リットルペットボトルとか、エッセルバニラアイスとか、ネットそれ自体とか、原稿を書く高揚感とか、楽しいことがいっぱいあるよ。

 それならポジティブだけど。楽しいことがいっぱいある。あすはあの店でローズヒップティーを買ってこなければ。

 それにしても、あのアーティスト売れまくりだね! 私をほめてくれてありがとうね!

 ……指を鳴らすと音が鳴る原理はそれが「キャビティ」、つまり気泡が潰れているからだというのだが、それならスクリューのキャビティみたいに指が破損したりしないのかな。専門家は大丈夫だと言っているけどね。

「幻聴に振り回されないように」=「目的本位」「恐怖突入」だと思った。それらが症状を改善するのだと思った。



  三


 川野さんが静岡へウナギを食べに行こうというのだ。

 車は彼女の車で、予算は、一万円くらいで行けるんじゃね? とのことだった。まあ余裕を持って十万円持っていこう。私は密かにゴムを用意していた。

「井川さん、もう経験したんでしょ」

 川野さんは言った。

「いや、まだ未経験だよ」

 私は答えた。

「あれっ? じゃあ筆おろししてあげないとね!」

 川野さんは笑ってそう言った。

 サービスエリアでシーザーサラダやナン、ホウレンソウカレーなどを買って食べた。空は快晴である。心の中で中村由利子の「賛歌」の末尾が流れる。ああ、俺はやっぱり生まれてきて良かったんだ!

 地元の品物を扱っている店があったから、そこで私達はヤマブドウのワインを買った。

「あ、薬持ってる?」

 川野さんは言った。

「持ってるよ」

 私は答えた。

 薬をただ(つまり、イタリアやフィンランドという精神医療大国を引き合いに出さずに、ということだが)否定した場合にそれなりの反発を受けることは知っていた。「ちゃんと持ってますよ、これは日本では努力義務だからね」と言って、薬袋を見せた。

 ホテルに着いて、何か脇にホワイトコーンが売られていたけど、生のトウモロコシもどうかと思い、すり抜けた。

 部屋に行って着替えを出し、置いてある浴衣も持つ。

「セックスなんてそんな特別なことじゃない。でも、すでに愛が生まれている場合には、そうでない場合より、難しいね」

「遊びならまだマシってこと?」

「そうそう」

 私にはカリフォルニアのシンシアもいた。愛は難しいと思う。

「まず温泉行こうよ。別々でも大丈夫でしょ?」

「僕の統合失調症は軽くなったからね」

 そして何ていうことのない、透明なお湯に浸かる。効能は書いてあるけど、硫黄の匂いがしないので、本当なのかなあと思いながら、人間の感覚能力の限界を覚えた。

 そして自動販売機でカロリーオフのスポーツドリンクを買い、部屋に戻る。

 川野さんは既にヤマブドウのワインを飲んでいた。そして「お先に」と言った。

「ひと昔前には、精神障碍者は強制断種を受けてた。優生保護法で。まだまだ精神障碍者の立場は十分じゃないけど、イタリアやフィンランドの水準に近づけていきたいね」

 私はゴムの箱を見せた。

「よし! いいね」

 そして私たちは顔がどうとかよりも、今までの人間関係の履歴が、つまり魂がものを言うセックスをした。

 私は真珠の雫を両手でゴムの中に縛り、くずかごに入れた。

「イってくれて良かった。魂とか言ってるけど、私から見ればやっぱり井川さんはハンサムなのよ」

 そう言って川野さんは実に真実な笑顔を見せた。いい人からコーラをもらったアフリカ人のような。

 そして二階で提供されたウナギの白焼き。塩を付けて食べたらふわっとした肉質に心地よく歯が当たる。

「美味しい! 今度東京都内でも食べてみようよ」

 私は言った。

「そうだね」

 川野さんは白焼きに塩を振りながら答えた。

「関係ないけど、僕はTRFが好きなんだ」

「ああ、エイベックス系ね」

「でも、ボーイミーツガールって言うんだ。……ボーイはライプウーマンに二度会った。でもその花を摘み取れなかったのは自分の情熱不足だから、仕方ないね。ましてガールなんて」

「ライプウーマンて何さ」

「熟女のこと」

「まあ、そういうの、伝説になってよかったじゃん。だって井川さんって村上春樹の小説の『免色渉』のモデルなんでしょ」

「村上先生には『モテるのにセックスをしない』井川律が疑問だったらしいんだね」

「それそれ。何でしなかったの」

「処女厨だったから」

「それだけ?」

「他にも理由はあったけど、まあ第一の理由はそれだね」

「井川さんはこれからいろんな女に愛を与える人にならなきゃいけないよ。経験を積むのよ」

「そっかー。遊女の反対って、何?」

「男娼?」

「ジゴロかな?」

「それってお金目的じゃん」



  四


それから朝七時頃また一回愛を営んだ。川野さんが「ずっとここにいても意味ないっしょ」と言うので、私達は部屋を片付けて、出ていった。

 唸るようなエンジン音に(近い将来自動運転が現実のものになればなあ……)と願いをかける。

 高速道路に入り、再度サービスエリアに入ったら「今度は質素なのがいい」とわがままを言った。ミネラルウォーターとおにぎり、サンドイッチを買った。物流に支えられた現代の日本人の豊かさである。

 そしてエンジン再スタート。人生の寂しさが消えたとしても、私達の深い関係はこの一回で多分終わりだ。誰に問われても「筆下ろしをしてもらったんです」と答えればいい。それなら割り合い平和である。

 川野さんが宇多田ヒカルのエヴァンゲリオンの歌をかけてくれた。

「あたし見た。エヴァ。シンジ君お父さんと戦ってたね。しかも、お父さん『力だけの戦いでは決着がつかない』とか言ってた」

 川野さんは嬉しそうに述べる。

「見事なハッピーエンドだったね」

 私は手放しでほめた。

 もう一度サービスエリアに寄って(もちろんトイレにも寄る)、じゃがりこか何か買って車に戻った。ずっと車に乗っているとようやく東京が見えた。二人は共通の秘密を持ったのだった。

 私は西友の近くで下ろしてもらった。川野さんは手を振る。私も手を振った。夕飯のために地下一階でししゃもとトマトを買った。嬉しい気持ちで一階へ戻ると、コカコーラゼロ1.5リットルペットボトルとフルーツパウンドケーキ、バターチキンカレーその他を無人レジで買った。ファミリーマートでうまい棒メンタイ味も買った。

 帰ると、まずコカコーラゼロを冷凍室に入れて冷やし、ローズヒップティーをコップについだ。そしてフルーツパウンドケーキとうまい棒を食べた

 原稿を書く。桐野先生は赤い色。登場人物はいつだって社会問題に怒り、解決を見出していく。しかし私の小説の主人公は青い色。ただ詩的なことを言うだけである。敵が「主人公という楽器」を演奏すると、それはそれで荒々しい魅力を持った響きになるから不思議である。

 私は多分律法を廃止するために来た。でなきゃネットがつまらないからだ。

 まあどうせ人生なんて意味ないでしょ。つらいことばかりで。

 五時四十分くらいになると、私は鮭の切り身でご飯を食べた。

 人生なんて意味ない。しかし私はキリストだから、私の受けた苦しみによって人々が救われる。


 夜中の三時半に目が覚めた。とりあえずコンビニに行こう。生きることに意味などないのだから。

 野菜・果物ジュース、チーズスナック、カルパス、サンドイッチ、ピザパン、エンドウ豆スナックを買ってきた。食べて飲んで、人生の虚しさをあらためて思う。

 でも本当は神とは牧師で、キリストがイケメンインテリであることに変わりはないが、牧師が神である以上、もう教会になど行ってはならない。牧師の卑しい心が心底嫌いなのである。

 しかし体が健康であること(今日はミョウガの味噌汁)に感謝しなければ。中村由利子さんが脳卒中の全身麻痺のリハビリをされている。そのことに比べたら私は随分楽ではないか。

 コモディイイダに行って、いくつもの食べ物を買ってきた。その中でひときわ目を引くのは、ナメコ。これを泡立てずに味噌汁にするのが難しい。ネットを見てもコツがよくわからなかった。練習して覚えるしかないのかもしれない。

 昼はグリーンカレー。とても美味しいものなので、多少値も張る。

 父なる神様ありがとうございます。「この世」の反対は「愛」と言っても間違いとまでは言い切れませんよね……



  五


 人生はなかなか大変だけど、今日私のフォトジェニックの力と、知性、そして論理(「召命型シャーマンは精神病ではない」)で、立派な発言ができたので、少し自信が付いた。

 グリーンカレーは辛いけどとても美味しい。

 フォトジェニックならやせたほうがいい。毎日のおやつは小さいものか中くらいのもの一つと、うまい棒一本。生きる意味があれば、恐怖から自由になれる。

 今日は訪問看護の方が来る。私は「イケオジ」であるらしく、二十代の女の人すら魅了する。主に二十代の女の人と付き合えばいいのではないか。

 次の日、何となくガストに行ってカキフライ定食など注文し、周りを見回して二十代の女がいないか確かめた。……いなかった。まあ人生これからだ。前半生が苦しみに満ちたものであったとしても、私はいまここにいる。

 何となくドリンクバーを注文してコカコーラゼロばかり飲んだ。私は誠実を旨とし、基本的には術策を弄することはない。

 この世界は脂の乗った鮭さえ育ててくれる。そう悪くはない。食物連鎖の頂点にいる私達人間は、自然に対しては誠実でありたい。世界が私達を育んだ。感謝したい。

 午後一時頃、私はレジで会計を済ませ、店を出ていった。そして駅改札まで歩き、カシラハラミ串一本を買った。駅前広場で鳩達に見られながらカシラハラミ串を食べた。

 西友やファミリーマートに行き、必要なものを千四百円分ほど買った。四月の空気は暖かい。帰途に就く。

 帰ってから、フルーツパウンドケーキとうまい棒チーズ味を食べ、アイスティーを飲んだ。そして原稿に向かった。

 最近編集者が付いた。これほど嬉しいことはない。編集者は野田さんという。女の人だ。

「まあ、最初はこんなもんよ。井川さんの実力はすごいから、最初の印税が低くても、いつか増えると思ってて」

 野田さんは言った。

 確かに百二十万円はあまりに少なすぎた。生活保護を抜ける事すらできない金額だ。

「私は料理人ヴィニエには自信を持っていたんですけどね」

「これから売れてきますよ」

 私はスパゲティを二人分茹でて、たらこクリームで和えて、半分を提供した。

 ああ、人生ってこんなものか。

 これから売れて来るって。

 私の心はだんだん青くなり、しかし気持ちは心が潰れた時に育つ「感覚」に行き、たらこスパゲティの妙味ばかり何度も何度も心の中で反芻した。

 感覚に訴えかけるTの顔写真。その美しい顔に私はキスするはずだった。しかし私は強迫性障害に縛られ、大分県の空港に飛ぶことができなかった。その後父が車の出火で逝去したり、文鳥のポックが逝去したりで、本当に嫌なことが立て続けに起こるから、耐えられないほどの苦しみに私の心はばらばらになった。

 まあそのあとしばらくすると私は自分がフォトジェニックであることや、自分の知性などに大きな自信を持つことができたので、霊聴に対する恐怖もなくなった。私はどうやら王子様だったらしいから、今は王様である。だから、もっともっと印税が欲しい、レストランでヒラメのムニエルなんか食べるために。

 金持ちになるのだから二十代の女の子と結婚したかった。一か月四十万円のお小遣いをあげるつもりである。

 人生の寂しさ。しかし私のところに誠実さを持った人が集まってくる。誠実をあげると誠実を返してくれることが多い。幸せである。



  六


 そしてまた日が昇る。四月でもまだ寒い。オールドファッションドドーナツを買ってきて食べている。原稿を書きながら。

 幸せになって書けなくなると、筆を荒らして無理やり書けるようにする。

 小学生だった頃、雪玉を転がしてかまくらを作り、その中で甘酒を飲んだことがあったっけ。人生には何か人情のようなものがあるから、冷たい分裂気質者でも要所要所でそれを頂いたり、出したりすることが必要であった。

 人生は何かが寂しく、恋も終わってしまう。(大恋愛は失敗しやすいと人は言う。)私は次は二十代の女の人と付き合うのだ。人生なんて意味がない。カリフォルニアのシンシアとは付き合いが中断した。残念だった。悲しくて仕方がなかった。しかし彼女はスパイだったので、日本の国防に関わる刑法上の重い罪になりそうだったから、私の方から「このお付き合いは続けることができません」と告げた。こうして合理的に説明がついているのに、なぜ悲しいか。

 次の恋を探そう。


 人生なんて何の意味があるのだ。

 しかし私は自分の心を鎮めなければいけない。

 私には友達がいるから。

「心理学小辞典」を開いてみた。仮現運動、ストックホルム症候群、ツァイガルニク効果……まさに椎名林檎さんの歌うように、この世界の存在は太陽、酸素、海、風、それだけで十分だったはずだ。人間がこの世界に発生してくる必要などなかった。人間にとってこの世界には生きる苦しみしかない。

 しかし、私の心が悲しむのは当然であった。たとえ相手がスパイでも、優しい心を通わせてくれたことに違いはない。今はその傷を癒すのだ。シンシアは大切な人だった。案外上司に命令されてスパイ行為をさせられていたのかもしれない。シンシア、君は僕にとって大切だったよ!

 そう、それが大事なのだ。シンシアは僕にとって大切だった。


 今日は風呂に入る日。私は二日に一回しか風呂に入らない(夏は別)。

 今日は何のおやつを食べようか。もう大きいお菓子を食べては駄目だ。

 シンシアは僕にとって大切だった。だから、マイナスではなく、シンシアとネットで話して心だけでも愛し合ったことはプラスなのだ。「何か変だ」と思ったから別れを告げたのだが、どうもやはり上司に命令されてスパイ行為を行なっていた線が濃厚である。そう考えるとなおさら私の心も落ち着いてくる。(父なる神様ありがとう)

 今日は精神障碍者通所施設のカトレアに通う日(水曜日)。

 カトレアには西友で買った七百ミリリットルのコカコーラゼロを持って行った。それを飲みながらXをやる。もう通わないシンシアとのお互いのフォローがまだつながっている。

 今日、帰る時、チーズタルトを買っていこう。

 池野さんが来てこう言った。

「エヴァンゲリオンの最後の、見た?」

「見た。信じられないハッピーエンドで、すごく良かった」

 私は答えた。

「すごかったですよね。お父さんとシンジ君が戦って」

「うん。そのあとのシーンで仲直りできたもんね」

 池野さんは手を振って、向こうの部屋に行ってしまった。

 私はガムを噛むのをやめて、人工甘味料や消臭・除菌スプレー、大量の水など、体に悪い物質に気を付けようと思うようになった。

 人生の虚しさが優勢となり、きっと何の意味もない未来が広がっているのだろうと、感覚で思った。しかし思考は「今後印税は多くなる」と思っていた。

 そして砂糖入りのジュースか百パーセントジュースを毎日一本飲み、小さいお菓子二個(または中くらいのお菓子一個)を食べ、朝昼は炭水化物中心だが、夕飯には多めの野菜を摂る。

 私は凡夫(ぼんぶ)となろうと思った。何もかも「自分だけ人と違っていたい」という思いの行く先の失敗であった。普通に生きていたら二十代で結婚して人並みの人生を送っていただろう。それが一番なのだ。



  七 


 昨日も今日も仕方なく過ぎていく。しかし神様とオークブルートみたいなのが両方こちらを見守っていて、ギリギリのところで生きている。今日食べたのはクロワッサン四個、飲んだのは牛乳。

 夕方、貝のお吸い物を作って飲んだ。主菜は肉野菜炒め。人生は何とか進んでいくけど、こういうのを「どうにかなる日々」と言うのかなあ……


 そして、私は普通になれば良いのだと思った。何もかも普通にしなくていい。少しづつ普通を増やせればいい。

 スパゲティは腹持ちが悪い。麺類全てに言えないことかと思う。ラーメンでお腹が空くと思ったことはないはずだ。

 わたしの失敗は多分、「やせるために糖分や炭水化物を減らしたら、糖耐能が低下し、どんなにダイエットしてもキリがない」という状況になったこと。普段から糖分や炭水化物はそこそこ摂っておいた方がいいのだと思った。

(でも私はこの糖耐能の仮説さえも疑った)

 オクラの味噌汁を作った。大変美味しい。主菜は子持ちししゃも。人生に地味な花が咲く。生活保護でどれだけ節約術を身に着けたとしても、印税が増えてくると結局成城石井に通っているのである。ああ、これが上流階級か…… 業界人も私のためなら笑うが、顔をこわばらせて「絶対服従しないぞ」みたいな人も中にはいる。私の顔もこわばってしまう。

 カトレアで文学活動をサポートしてくれたから、私はここまで来られたのだ。ノートPCに向かっていると西村由紀江の「モーニングコール」が流れた。曲そのものと曲名がよく合っている。そしてその次の曲は「セレナーデは夢のなかで」。伝説級の一曲である。

 そして宇多田ヒカルのビューティフルワールド。エヴァンゲリオン序の頃の希望とは違って破、Qは大荒れに荒れた。しかし完結編でちゃんとハッピーエンドに持っていける庵野秀明氏の技量が素晴らしい完結編であった。


 店で買ったショートブレッドを皿に載せて、熱いレモンティーを飲みながら食べる。私の兄嫁がスコットランド出身なので、実家にショートブレッドが置いてあったことがある。

 思い出と言えば、長兄が実家でペルツォフカを冷凍室に入れておいてさらさらと流れる半解凍状態にして飲ませてくれた、あのペルツォフカの風味。ペルツォフカも瓶ごとに結構味が違っていて、当たりと外れがある。それが感覚タイプにとっての生きるのが難しい「この世界」だ。私は自然崇拝(自然神)だから別に人格神など信じなかった。しかし難局に当たり、神様を信じないと助からないという機会に際して、神様(人格神)を大切にするようになった。

 私は何のために生きているのだろう。

 仕事をする喜びのため。

 毎日の美味しい夕食のため。

 眩しい夕焼けを見るため。

 咲き始めの白いツツジを見るため。

 また次の女と情事に耽るため。


「世界線」と言っている人はどちらかというと直感タイプの方だと思う。感覚タイプは世界線はなく、コンビニでタカラ缶酎ハイと塩バターパンが手に入れば上機嫌なのである。そしてそのタカラ缶酎ハイや塩バターパンの風味を味わっている瞬間にこそ、涅槃に居る。苦しみがなくなっている。

 あんまり世界に対してゴネると、いいものを用意してくれなくなるかもしれない。まあカルマの消化を一番に置いているのが内向感覚タイプだろう。多分蛍石のようにきれいなのだ。

 美しい鳥、文鳥。美しいというより、性格が純粋なんですよね。変わった外見も見ていると癖になる。

 そんなポックも逝去した。もう愛玩動物は飼わない。責任を背負いきれない。

 人生は何だか、ああいう「盗賊の城」に十三回くらい監禁されて、責め苦を味わわされたりすると、もう本当に、六年間の監禁と幻聴さんからの虐待とか、意味がわからなかった。ただ苦しみを受けることを人は不条理と呼びます。しかし、神様にとってはそれが単にマイナスなだけの体験ではないそうです。

 やれやれです。運勢もまた回復してきた。エンジェルナンバーも見られた。

 ああ、いよいよ大いなる死が待ち構えているのか。それとも、それは少しだけ裏切られるのだろうか。

 まあいい。もう充分です。世界さん、ありがとう。



  八


 人生。それが重くのしかかった時もあった。しかし祖師谷みやまというアキハバラ電脳組の真面目さんを思い出すと、私の中に生きる力が湧いてくる。彼女のような女の人と出会いたい。

 人生とは自分の強みや自信で生きていくものと思う。私の場合それは文学と学問なのである。

 原稿を書きながらユーチューブで浜崎あゆみを聞いている。もう、人生なんてとは思わない。私より小説を書くのが上手で、私より学問に通じている人はあまりいないと思う。

 私はリカバリーした。大丈夫だ。長い、長い人生の夜は私にとっての受難だったのだ。受難は私の魂を大きく成長させた。

 でももうそのおつとめは終わりなのである。これからは錦糸町にだって神保町にだって一人で行けそうだ。統合失調症には方向音痴があるけど、もうそれは消えたようである。

 永劫回帰、反復強迫は自分で終わらせるのだ。もう犯罪者の「駄目な奴は何をやっても駄目w」みたいな言い分は通らない。昨日がターニングポイントだったのだ。そもそも駄目じゃないし。

 要するにインテリと結婚すればいいのね。……いや、結婚の必要はないでしょ。一緒に住んでたら生活感が増えすぎてしまう。

 昼にハヤシライスを食べ、夕方にとろろそばを食べた。

 今日は栄養学を無視したに近い一日だった。でも、本能も大事である。本能が食べたいものをたくさん食べていると、「そろそろやばいぞ。これ以上食べると危険だ」というシグナルがちゃんと出てくる。そして私は「小松菜を食べなきゃ」という本能により、明日の買い物メモに、小松菜と書き入れる。


 本能だか何だか知らないが、何らかの欲がどうしても「百万部売れて一億五千万円稼ぎたい」と私を駆り立てようとするが、どのくらい売れるかなんて、そんな法則を私はほとんど知らない。一つ知っているのは、人間の苦悩も憂いも関係ないところで、ノリのいい小説を書いたら、たくさん売れた。百万部も超えそうだ。贅をあしらった純文学が一番良く売れるというわけではない。やはりノリのいいのが売れるのだ。これはいかなることであろうか。それがわからないから西友で買ってきたおかきを食べながら冷たい緑茶を飲む。そして原稿を書く。この毎日。ローテーション。Tと出会えたことは文学者の私にとって恋愛の原体験であり、でもその前に何よりも愛そのものの刻印であった。彼女と出会ってもう三十年になる。いつまでも消えない思い出。四月ももうそろそろ終わろうとしている。遠くで何かの鳥が寂しげに鳴いていた。そろそろ桃の季節であろうか。いや桃はまだだ。桃は七月、八月だ。

 人生なんてただアニメを見てXをやって仕事をして、そんなのを毎日毎日繰り返していくだけだが、そもそも川野さんと前の日曜にホテルへ行った。私には性的刺激が強すぎ、体が戦慄いてしまうのである。そうやって一人の女の愛人になっていくことが怖い。今回一回だけね、と私が言うと、川野さんは、でもしっかり二回目やったじゃん、と言って冷蔵庫のスパークリングワインを取り出し、グラスに注ぐ。そこにパストラミビーフがあればなおいいのに、と思っている私は感覚タイプである。魂の結び付きを大切にしたい川野さんは感情タイプだった。


 人生がどんなにつらかろうと、生業だけは高度にこなさなければならない。

 そう、今日帰り道で聞いた声はその人の人生が大変であることを表していた。その大変な人生二つが結び付くから恋が生まれる。まあいいじゃないですか、相手が川野さんでも。まあ二回目で切り上げればそれが一番だ。

 川野さんともう一回寝る必要はないんだ。人生は天才にとって過酷である。私は何もなければ楽勝なのに、その楽勝な人生にわざわざ困難を付け加える霊がいるんです。

 無洗米あきたこまち二キロなんてすぐなくなってしまう。かといって五キロは重い。いったい私は何のために生きているのか。啓蒙的な小説を書くためだ。まあ、人生なんてあと四十四年くらいすれば終わる。明日の黒糖フークレエはあきらめる。百パーセントジュースと黒糖フークレエでは糖分が多すぎるから。糖分は怖い。糖尿病の怖さならいつも伝え聞いている。



  九


 幸せだ。神は天にいまし、世はすべてこともなし。

 人生の大変さが減った感じがする。

 生まれてこなかった者こそ幸せ(ハイヤーム)。でも生まれ育ってしまったのだから、これからの人生も地味に生きなければ。

 だんだん意味がわからなくなった。

 問題は、カロリーオフのジュースを飲むか飲まないかということだ。私はいつも惰性によって生きた。大決断などではなく、何となく心地よい方へ流れるのだった。だったら飲んで良いのだ。

 そしてコンビニでショートブレッドを、ドラッグストアで箱ティシューを、コモディイイダで数々の飲食物を買った。その中には大きいイサキもあった。イサキをさばくのは大変だった。何より、うろこをはがすとあたりに飛び散るのが嫌だった。でも、その結果、大皿の上には二枚の焼いた切り身がある。

 相手が貴い自然界だから言う必要もないのだとは思うけど、自然さん、海の幸をありがとう。

 美味しいイサキの切り身を食べながら、桃の缶酎ハイ、発泡酒を飲んで、ああ、今週も生き残った、と満足感を、幻聴の奴に見せつける。

 そんなことを言っていると、井川律はヒールなのか、と思われても仕方がない。確かに私は口が悪いですよ。口が悪くならないと幻聴さんと戦えなかった。

 行動主義心理学は、「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」という主張をしている。ドラゴンボールもワンピースも、内面描写はほとんどない。その反対の、中身がぐしゃぐしゃー、みたいなのは、そもそも幻聴さんが作り上げて私の人生を失敗させたのではないのか。想念は必要ない?

 安部公房の「カンガルー・ノート」には、カメラで撮っているアメリカ人が出てくる。あまりこっちの方を見ないで、なるべく自然に振る舞って下さい、と言うのだ。アメリカは何かの証拠を取っているのだろうか。

 酒の回りがいい。強力精神安定剤はエチルアルコールと効果を強め合うというのだ。まあ、人生なんてこんなものかと(何が?)。酔っぱらってどうもいい酔いじゃない。

 コカコーラゼロがあるんだ、何を憂える必要があろうや。それにこの前ツタヤで注文したエヴァンゲリオン完結編のDVDも大変面白く、見事なハッピーエンドになっていることに感動した。いいじゃん!

 毎日ちいかわを見ている。……でも、そこまで行くとそろそろ彼女が欲しくなる。私が一番習熟していないことはセックスだ。

 外向型になるのは良くても、感覚タイプから直感タイプになるのはどうしてもできない。それなら私は外向感覚タイプになろう。

 でもなぜせっかく最高度に磨き上げた内向性を外向性に変えなければいけないのだろう。……それは、人生の前半は内向性を習熟したが、後半はきっと外向性を磨かなければならないのだと思う。まずはロマンスの習熟。「ラマン」も当時私は関係ない本のように突き放していた。太宰治の特殊性は、素人を口説けるのに赤線通いをして女の練習をしていたこと、井川律の特殊性は、イケメンインテリなのに女を口説かず、「僕はもてないんだ」と思い込み、五十一歳まで経験がなかったこと。

 何で女って四十五歳から五十歳くらいになると二人目の夫に乗り換えようとするんだろう。子供が大きくなったからだよね、きっと。

 人生の虚しさ。(何も変わっていない……)今日はおかずがない! 仕方がない、ポタージュライスにするか、そばを茹でるんだ。

 これまで生きてきた人生はやはり不可解である。なぜあんなにも難しかったのかが。召命型シャーマンはカミサマに選ばれてなるのであり、なろうと思ってなれるものではないのだそうだ。三次元の視点から見れば不幸なことでも、カミサマの視点から見れば幸せなことだったのだということである。

 例えば、プライドとは悔しいと思う能力である。どこか恥ずかしいくらいマイナスな部分があるからだ。しかし私には、誇りはあってもプライドはない。誇りは優越感と、普段から達成している上品さの報酬である。そして悔しいと思える何かなんてない。

 人生はつまらないものだ。でも、たまたまその辺に人生が置いてあるので、退屈な私はその人生とかいう出来の悪いおもちゃで遊ぼうとするのだ。そうしたらとりあえず年収二百七十万円くらい出てくるから、生活保護はやめた次第である。



  十


 五月。日の光は強く、爽やかな風も吹く。

 頓服のデパスをもはや常用と言ってもいいほど飲むと、だんだんデパスの血中濃度が高まり、不安は感じなくなってきている。

 カキのポン酢和えが食べたい。あんまり何でも食べるから、何でも食べ飽きているのだ。食べていないのはなか卯のうどんくらいだろうか。

 精神障碍者の人生が何なのかはわかった。簡素に組まれた神様ご使用のプログラムに操縦されながら、人生の終わりまで駆け抜けていくことだ。その中にご縁もあるといい。

 精神障碍者通所施設にクロワッサンと二百ミリリットルの牛乳を持ち込んで、食べて飲んだ。ここは荒れない通所施設だからいい。

 人生。そんな言葉は考え飽きた。

 後半生。神様にお任せします。精神障碍者は神様のプログラムがなければまともに生きていくことができません。

 今日は風呂に入りました。明日は入りません。夏ともなると毎日シャワーを浴びるかと思いますが。しかしそれも私の想像に過ぎません。差別主義者は障碍者差別をするが、そもそもレームの鼻は欠けていたのである。

 人生が少し楽しくなった。ずっとスマホの画面を見ている。

 俳優にならなくて良かった。芸能界で好きなのはアーティストだけだ。競争の激しい生き馬の目を抜く芸能界で争うほど、私は頑丈にできてはいないし、そんな悪趣味も持ち合わせてはいない。

 

 絹ごし豆腐にかつお節を振りかけて食べた。美味。長ネギは後味が良くないのでかつお節だけにした。そういえば言ってたなあ、統合失調症になりかけの頃、力士が列車の中で「馬鹿じゃん」とか。何が馬鹿だというのであろうか。まあ確かに私は木だ。木が歩くなんて変だよ。でも、色々な人達から大切に扱われたんだ。少なくとも幸せだ。

 でも諸々は妄想であり、「妄想が減ると症状も減る」とは主治医の先生のお言葉。そう、神様なんて宗教妄想だ。(楽になれば何だっていいじゃないの)

 前半生、つまらなかった。でもまあいいか、世の中には友達がいない人もいる。

 アキハバラ電脳組は「王子様のペルソナ(演技している自分)が極端だ」という話だった。ユングは「ペルソナの代償は高くつく」と言っている。女の人と付き合う時だって、夢心地になんてさせてはいけない。女の人が「何でわき毛中途半端に伸びてんの?」と言いながら笑うくらいが丁度いいのだ。

 きっと人生は素朴ムードを出せばうまくいくんだよ……

 太宰治とマリリン・モンローの失敗を見よ。どうしていいかわからず自殺したのだ。厚いペルソナが原因だ。

 印税が年平均二千万円くらいになってきて「あー人生素晴らしい」と思うようになり、川野さんと一緒に料亭に行って太刀魚のムニエルなど食べている自分達がいる。

 私は何なのか。小説家

 一体何者だ。

 それは他人に言ってもらおうよ。自分で言うことは確かではないんだから……


 スナップエンドウを買ってきて、ベーコンと共にフライパンで炒めて食べた。私の統合失調症の再発は、幻聴と同一化できない分激しい。私はあの卑しい幻聴と自分が別のものだと理解しているから、「自分も一緒になって迷惑行為をする」ということは、多分なかったのだ。幻聴が私の体を操っただけである(脳が誤作動を起こした)。

 何であれ、私はさっきハーゲンダッツ苺味を食べたし、今はコカコーラゼロを飲んでいる。

 中村由利子の曲を聴きながら原稿を書いている。道端のツツジは今が旬。白、赤紫、ピンク、まだらと色々な色に恵まれている。私はその中で白いツツジが最も美しいと思った。純白とはああいうのを言うのだ。私には既に何千万円という金がある。年平均は二千万円。最近十八歳の高校生に「井川律さんでしょ? ちょっと美味しいものを買ってホテル行きませんか?」と声をかけられた。なかなかかわいい顔の高校生だった。「オヤジずきなの?」と訊くと「そうです」と言って赤面した。我が世の春。

 ちゃんとショルダーバッグの中に持っていたゴム。キスして、ハグして、二回逝くことができた。彼女は処女だったのである。ただ、彼女自身がマスターベーションの習慣により自己開発していたせいか、出血しなかった。

「これからも私と寝てくれますか」

「どうかな。まあ私も男だし、何人か女の人をはべらせておいた方がいいのかもしれないね」

「そうですよ。アキハバラ電脳組の王子様とかって、男の夢を追いかけなかった人なんだと思うんです。言い方を変えれば、男社会の競争で勝てるのに勝とうとしなかった人」



  十一


 幻聴に振り回されないようにする。

 人生、つまらなかった。……そんなわけないじゃん、あんなかわいい処女とセックスできたのに。最高だったよ、あの体験は。

 人生の虚しさももうなくなって、プラスのサイクルを繰り返しているのがわかる。でも糖分は摂りすぎるとお尻から出血(毛細管?)するので、二百ミリリットルの百パーセントジュースを飲むならお菓子はうまい棒一本。ハーゲンダッツ苺を食べるなら百パーセントジュースは、なし。

 そのように栄養学も日々再構成している。

 今日の夕飯はベーコンと小松菜とホンシメジの炒め。ベーコンは少量の百四十円くらいのものを買った。ちょうどいい少量のベーコン。

 原稿を書く。

 そこにチャイムが鳴る。来たのは野田さんだった。

「夜のクリームシチュー作ってあげる。材料持ってきたから」

 この人は私の女房のつもりなのか。

「ありがとう。でも、たくさん作らないでね。食べきれないから」

「そこはちゃんと考慮しました」

 そして野田さんは座卓の上にまな板と包丁を出して、具材を切り始める。

 私は私でアクエリアスゼロを冷蔵庫から取り出して飲み、執筆作業を続ける。主食を麦ご飯お茶碗一杯にすればやせられることは検証済みだ。やせた体でするセックスの方が心地良い。

 そこにこの前の女の子(友里ちゃん)が電話をかけてきた。

「井川先生さまさまですよ。三万円もくれたからだいぶ財布が潤いましたよ」

 私はかつて文通だけをしていたTのことを思い出した。そしてそのTと友里ちゃんが重なった。

「どうかしました?」

「まあ僕は思い出を持ち過ぎたんだね。それもいいか」

 友里ちゃんはしばらく黙ってしまった。

「思い出を持ちすぎる……そんなの小説やドラマの中だけのことかと思ってた」

「そのうちわかるよ」

 私はインスタントコーヒーを買ってきたい気持ちになった。後で買って来よう。私は薄めの熱いコーヒーが好きだ。でもカフェインは嫌い。

「まあとにかく、また電話ちょうだい。ショートメールでもいいよ」

「わかりました」

 友里ちゃんは私に抱かれなければ人生そのものに、つまり愛こそすべてということに、気が付くのが遅れたかもしれなかった。 


 生きる虚しさが襲うので、あすヴィドフランスで塩バターパンを買おうかと思っている。人生の虚しさ。でも、川野さんも久川さんも福田さんも細野さんもいる。鈴原さんもいる。かなりいい人生だよ。最近私の生活に付け加わったものはインスタントコーヒー。薄いコーヒーの麗しい風味。

 まあ、一本六十キロカロリーしかない栄養ドリンクを飲むのもいい。

 ああ! やはり私は文学者に生まれついたのか。

 イクラおにぎりが実際には筋子おにぎりでしかないことに気付いた時には参った。でもまあ私も失言を全くしない人でもないのだし。

 少女革命ウテナでは、外車のオープンカーが「この世の果て」なのだ。もっとすごいものかと思っていたけど、俗世間とは往々にして「外車はすごい」という物の見方なのだ。子供から贈られた手作りのブレスレットがいい、と思っていたら、まあその人は、俗っぽい人ではないのだ。

 本当に大切なものとは何だろう。それは、魔界を抜けていれば「心」や「絆」なのである。私は友里ちゃんとの付き合いに難しさを感じた。好きだからこそ、親子ほども年の離れた彼女と一生添い遂げるのは不親切だと思った。



  十二


 そして私は経験を重ねた。二十代の女たちにより。まだ彼女たちは守りが甘い。ちょっとホテルに行って一緒にスパークリングワインでも飲みませんか? と言えば、簡単に落ちた。おつまみは何なんですか? と言うから、ローストビーフとクリームチーズと、それから、カットフルーツ、と答える。カットフルーツ? と訊き返すので、「果物のこと」と答える。あとおにぎり一個ずつね。そうですよね、おつまみだけじゃお腹空いちゃいますもんね。


 私には狼たちに対する恨みがあった。してみると、幻聴は狼の声なのか。

 毎回的確に私の彼女の純潔を奪うその確実性。

 もう、盗られない。何しろ私はハンサムなのだから。

 顔も知性も人並みな狼たちがイケメンインテリの私に太刀打ちできるわけもなかった。そして新しい時代が始まった。

 ガールハント。まさか自分にそんなことができるとは、と驚いた。何もかも川野さんが私に恋愛を教えてくれたおかげである。


 しかし私はもと「青ざめた文学青年」。ただ、他方で青い心は美しい心とされている。マリアの服も青だ。人生なんてなるようにしかなんねえよ。でも普通の食事を野菜中心にしたり、栄養バランスを重視したり、スクワットを二十回から三十回にすることはできた。でもスクワットって全然やせないんだよね…… 間食がいけないのはわかる。じゃあ、どうしたものかな。あれか、食べた後に飲むと炭水化物を分解してくれる酵素。でも、それじゃ満腹感がなさそうだね!

 まああれだろう。少年隊か何かの真似をするといいのだろう。じゃ、植物性シャンプーの「ボタニスト」使ってみようかな。いや、無添加石けんの方がいいと思う。

 まあ、生きるってことは難しいね。食欲との戦いだ。ていうかさ、もう結婚した方がいいと思う。エヴァンゲリオンの庵野秀明監督は結婚したら心は丸く、体は細くなったんだって。奥さんの野菜スープでやせたんだって。

 そうだな。そういう「ライフサイクル」「ライフイベント」が大事なのだろう。

 結婚……

 あんまりいい人に出会えないなあ……

 人生なんて何の意味もないのではないかと思えてくる。

 運勢とか、信じた私が馬鹿だった。

 そして何となく友里ちゃんと会ってセックスしている。

「井川さんはやせなくてもいいよ。そのままで。どうしてもやせられないんでしょ?」

「うん。食べたい衝動の方が勝っちゃう」

「井川さんは太った体より顔の良さが勝っちゃう」

 二人して苦笑いをした。

 私はジャガイモを炊飯器でふかし、冷ましてから包丁で砕いて、マヨネーズとバジルで和えた。

「ポテトサラダ」

 私は言った。

「美味しい! 普通に美味しい」

 友里ちゃんには大受けだった。

 私達、このままずるずる行きそうだね、と友里ちゃんは言った。

 大丈夫、いつか年取った僕と別れたくなる時が来る、と私は言った。

「現実主義者だねえ」

「そうだよ」

 友里ちゃんは泣いた。そして「私のこと小説の登場人物のモデルにしていいからね」とひとこと付け足すのだった。



  十三


 人生の過酷さが身に染みた。声の主によって混乱させられていた時に行なった万引きなんて、刑法39条の心神耗弱(責任は限定的)なのだから、そのように扱わなかった(精神科病院に連れて行って事実上身体拘束の体罰刑にした)社会が疎ましい。法定手続の保証により誰でも裁判が受けられるはずなのに。

 日本の気候も結構過酷だ。冬は寒く夏は暑い。

 人生はいいことなどないのだ、なんて言えなかった。友里ちゃんがいるから。五月。友里ちゃんと三省堂書店の仮店舗に行った。私は生化学の本を買った。友里ちゃんは「作物の原産地」という本を買った。

「早く本店ができるといいね」

 私は言った。

「そうだね」

 友里ちゃんは答えた。

「豚バラ大根作ってあげる」

「ありがとう」

 中村由利子さんがいま全身麻痺で、リハビリをされているというのだ。NHKの夜の台風情報で録音した「いい曲」の名前と作曲者名がいつかわかった。それは中村由利子さんの曲だったのである。

 人生なんて虚しい。人はかげろう。いつか消える命。でも友里ちゃんは私より二十年以上先まで生きる。

 人生なんて、とは言えなくなった。精神障害になるのは一定以上の小説の技術の持ち主、例えば夏目漱石のような人物である。そう思えば、私は技術の高い文学者だから精神障害なのだ。(いや、精神障害になるのは性格の癖が多い作家かも。普通、男は「大王」になろうとする)

 我が町平井に戻ってきて、西友で買い物をした。大根二分の一と豚バラ大根の素、ザーサイその他を買い、アパートに帰ってくる。友里ちゃんは手際よく豚バラ大根を作ってくれた。二人で食べると、私たち人間が獣の一種であることを認めざるを得なかった。


 ああ硫酸銅の空。私は悪へと変わった。しかしまあ私のような小物だから小悪であった。少女革命ウテナ。「世界の果て」が潰したいものは永遠、輝くもの、奇跡であるという。

 人生は寂しい。でもだからこそ少数の友がその分大切だった。そして孤独でも少数の重要な友に支えられた。

 今日はらーめん・大に来て正油ラーメンを食べている。特別美味しい店だ。チャーシューもニンニクも美味だ。スープを半分残して丼を上に置き、「ごちそうさま」と言って店を出る。緑の風が吹き抜ける。ゲーム専門店も豚骨ラーメンの店もなくなってしまった。今はお金持ちのためにタワーマンションが

建っている。鳩の目を見続けることでアイコンタクトをし、少しでも触れ合いたかった。



  十四


 エルダーフラワーの風味は、とても自己主張の少ない風味だった。

 人生なんて。

 ……いや、そんなにセンチメンタルになれる恋愛を十回くらいしてきたのは、我ながらすごいと思う。……では、今「人生なんて」と思っているのは誰との恋愛の残照なのか。まあ、あの紛争地域のスパイさんだと思うよ。普通こういうスパイは男が女に文案を書かせるものだと思う。女の人は大事でも男の方は全然大事じゃなかった。私もその地域とつながっていれば警察からスパイ扱いされてもおかしくないので、泣く泣くネット恋愛をやめたのでした。


 私は友里ちゃんが好きなので惰性で友里ちゃんとずっとずっと付き合った。

 ネタがない時は筆を荒らす。私の背後では野田さんが厳しく目を光らせている。

「分裂気質を大事にね。それは貴公子気質なんだから。幻聴が色々言ってくると思うけど、井川さんだけは人並みなそううつ気質にならないでね。ね、そううつ気質って大変なのよ。人並みだから生きる悩みがある」

 私は人生を捉え直した。特別な人生なんだ……

 私は「ジュース買ってきます」と言って自動販売機の前に行き、栄養ドリンクを買った。春爛漫というよりは暑い。部屋に戻ると野田さんはスケジュール帳を直していた。

「もうそろそろ昼なので、スパゲティでも食べませんか」

 私は言った。

「ああ、ありがとうございます。やっぱり井川さんは気前がいいですね」

 野田さんは満面の笑みを浮かべた。


 文鳥のポックとはもう七年ほど一緒にいたかった。そしてポックの成長を眺めていたかった。人生なんて悲しいことばかりだ。だから、そうならないように、運気を高めようとして皆と交流するのだ。

 掃除機のほこりを溜める所にごみがたくさん溜まっていたので、そのプラスチック製の円筒を外して中身を捨てた。

 私は草食系なのになぜか友里ちゃんを抱きたくなった。情欲を覚えたのである。でもいつかは私が歳を取りすぎて身を引くことになる。

 きのう夢を見た。リンドウが一面に咲いている草原に横たわり、私は実家の隣に住んでいた奥さんに騎乗位で乗られるのである。本当を言えばそういう激しい官能が一番いい恋愛なのかもしれない。

 残念ながら友里ちゃんとの恋愛はそういう百点の恋愛ではない。そうだな、いつか友里ちゃんとの恋愛から官能が抜けて別れる時が来ると思う。そうしたら、次は三十代の女とでも寝ればいい。

 昼になるといつものようにレトルトのグリーンカレーを食べて食欲を満足させた。買い物に行った。明日の昼のためにクロワッサンと牛乳を買った。今日の夕飯はハンバーグだ。そして小松菜の炒め。どうしようもなく、春の暖かさと高い空が、私に「ルンルン気分」を与えた。聖霊が宿っているのだろうか。(私は神を畏れます!)「自分が一番やりたいことをやればいいんだ」それならやっぱり小説だよ。一瞬、沖縄に行って職業シャーマンをやらなきゃいけないのかな、と思いかけた。でも、やっぱり一番好きなのは小説なんだよ。


 初夏の日の夕方、オレンジ色の夕日がマクドナルドや隣のビルに差して美しかった。改札前の焼き鳥屋(「日本一」)でカシラハラミ串を一本買って駅前広場で食べた。公衆トイレもきれいに改装されて良かった。……やっぱり平井だ。我が町平井。住めば都。



  十五


 この町になじんで来たから、「井川さんのいない平井は考えられない」と何人かは思ってくれているかもしれない。

 人生は天の国へ行く前の試練や受難の過程。試練は「耐えられない試練は与えられない」からいいけど、受難は耐えられない。まあ最終的に天の国に行ける可能性があるからいいけど、あと四十年もこんな所(原罪の宿った現世)にいなければいけないのかと思うと、……思い煩うなと聖書に書いてある。父なる神様、どうか私を幸せにしてください!

 人生なんてつらくて、里芋を炊飯器で茹でて塩を付けて食べた時も口の中をやけどしてしまった。

 でも、悪霊(あくれい)の影響でだいぶ不良っぽくなってきた。その不良っぽいのを減らそう。私はやはり真面目な方がいいのだ。

 友里ちゃんは「子供は産まない」と言って、私から離れようとした。その時私は身を切られるような分離の悲しみを覚えた。

 結果的に、互いに「昔の男」「昔の女」になって、相手をキープしておくことにした。

 でも天国って、ふわふわしちゃうようないい相手と結びついた状態でしょう。それこそ天にも上るような。物理的に「天の国」っていうものがあるのではなく。

 それなら分裂気質者が天に召されにくい理由は簡単にわかる。自分の顔の美しさの水準、知性の水準、人生観の高さの水準が、多くの女とは合わないのである。

 まあそんなものですよ。

 しかし私は愛された。(皆さんありがとう)

 今日は挽肉とバジルのハンバーグ。副菜はごぼうサラダ。

 まあ、何人もの女を渡り歩いていけばいいじゃないか。


 今日は黒糖フークレエを食べた。お茶はアイス緑茶。

 そして夕飯にサバの塩焼きと水菜サラダを食べた。

 現世の水準が低すぎるというのなら……天国に行けばいい。

 天国にはヴィーナスがいるかもしれない。

 アルテミスって言ったら近づくだけで弓矢で射られそうで怖い。でも現実の二十代の女にはまだ人生の恐ろしさを知らない処女も多い。バージンハンターになろうか。それもいいかもしれない……

 六月。東京では近年梅雨らしい梅雨がなくなった。人が雨降りを嫌ったためなのかな。

 この仕事、いい!

 梅と氷砂糖とホワイトリカー、酒用の瓶を買ってきて梅酒を作った。しばらくはキッチンの下の扉の向こうである。

 そうして毎日を過ごしていたら、カトレアの研修生の二十二歳の女の人と付き合えて、カトレアの近くの松乃屋で一緒にロースカツ定食を食べたりした。手が早くないのは私の弱店ではあるが、どうにかこうにか一緒にホテルに行って、ローストビーフやカッテージチーズ、梅おにぎり、ミックスナッツを一緒に食べて、ベッドへ。この子も自己開発されていて、出血はなかった。

 ひととおり終わって。

「Hってもう少しロマンチックなものかと思ってたけど、そうでもないんですね」

「僕の経験が少なくて、エロチックなルーチンワークまで行ってないせいだと思うよ」

「あ、でも、最初のキスとハグは素敵だった」

「そっか」

 苦笑いする私。研修生(井佐口さんといった)も笑った。

 ホテルを出て駅に行くと、二人とも手を振った。井佐口さんは駅のエスカレーターを昇っていく。

 今日の私は八十点。(女の人の扱いが上手くなりたい……)経験を積むしかなかった。

 それを川野さんに話したら、「今が一番楽しい時だねー」と言って微かに笑った。「今、十七歳だね」

「発達が遅れてしまった」

「気にしない、気にしない。これから何人でも抱ける。その中からベストな相手を探し出して、結婚すればいいんだよ」



  十六


 我が世の春。そして今は初夏。西友にはスイカが丸のまま三個ほど置いてあった。もし共学校へ通っていたら。まあ、いいか! 今は井佐口さんと別れるまでの楽しい時期で、悪魔のように次の出会いに考えを巡らせている時なんだから……

 かわさきみれいの「aqua」、西村由紀江の「dolce」、中村由利子の「賛歌」がとにかく好きだった。それはともかく、芸能人はオーラを出して霊にとり憑かれないよう、オーラが出ないための工夫(おどける)をしているようだ。ただ飯島愛にだけは霊が憑いていた。「アキハバラ電脳組」のクレイン・バーンシュタイク王子が花小金井ひばりちゃんの胸を締め付けたのは、彼が悲劇の人だったからだ。でも、王子様を知れば知るほど「王子様も普通に怒る普通の人でしかない」と気付き、彼女の恋は終わってしまった。

 小説家としての責任に気を付けて発言しなくてはならない。今は瞬時に外国にもメッセージが伝わるし、AIが翻訳もしてくれるのだから。でも、逆に確かな言葉や美しい言葉も瞬時に伝わる。作家の面目躍如である。

 人生はやはりまあいいもので、悲観しなくても良さそうだ。

 それはそうと、私は冷凍食品のシューストリングを買って、その他何点か食品、飲料を買って無人レジを通った。

 暑い六月。きっと私は九十五歳頃事もなく死んでゆく。今はその土台作りというわけだ。人生はいいもの。そして小説は終生私の良き友であろう。


 人生にようやく意味が生まれ、結局それはルネサンスであった。私の心が十字架から自由になり、奔放な恋に落ちるというしかるべき結末であった。

 井佐口さんとは半分離れ、何となくまだ男友達と女友達みたいにつながったまま、私は次の女を求めた。

 私はコモディイイダでプルコギ肉を買い、その他色々な食品を買った。その中には絹ごし豆腐も入っていた。これはかつお節を振りかけ、正油をひいて食べるのである。

 最近「少女革命ウテナ」を最終回まで見終わり、変わったアニメだとは思ったが、光のディオスの扱いが軽く、期待したのとは違っていた。アンシーが好きではないので、ウテナにとって一番大切な人物がアンシー、ということが頭ではわかっていても、心には入ってこなかった。ただ、結末は、アンシーが自分の意志で生きていく、誰かに従属するのではなく、というのは立派だけど、私のような精神障碍者には真似のできない芸当である。心に障碍を負っているのだから。

 また味付け肉を買おう、と思ってノートPCに向かい、原稿を書く。立派な原稿は書けても愚かな原稿は書けなかった。そのことがやがて一年あたり一億円を超える印税をもたらした。私は立派な人と呼ばれたが、「私の基盤は闇です。道徳ではありません」と雑誌の対談ではっきり言った。芥川龍之介や太宰治もそう言っておけば良かったのに。


 西友で味付けカルビ肉を買い、三つ葉を見つけたので一緒に炒めた。爽やかな味になった。

 適当に遊んでいたが、相手を頻繁に変えることは性病のもとだというのだ。ほどほどにしなきゃな、と思った。理想のヴィーナスのような人が今までいなかったわけじゃない。でも彼女は「一回だけね」と言ったのだ。「井川さんがイケメンじゃないって言いたいわけじゃない。でも、セックスはやっぱりたくさんの人と経験したいじゃない」と彼女は言ったのだった。「じゃあ、少なくとも僕は一番の男じゃないわけだ」と訊くと、「井川さんは頭のいい人だから、私とは全部は一致しないの」と答えたから、私はほっとした。

 その眩しい夜、「精神科のお薬が入っているんでしょう。お酒は少しにしようね。でないと酔いが回るんだって、同じ統合失調症の弟が言ってた」と浪川さんは言った。「例えば、このやせたお腹、これだけでも苦労したんだろうけど、私の理想は筋肉の付いたお腹なのよね。……でも、貴族みたいにお金持ちで、ただそれだけじゃなく実際に貴族みたいな気品がある人なんてそうそういるもんじゃないのよ」

 二人でホテルを出る時、時間差で出ていった。まず浪川流里さんが出ていった。次に私が出ていった。誰かが見ていても「うまい文章が思いつかないから缶詰になってました」と言えばいい。


 JRで我が町平井まで帰る時、浪川さんと味付けカルビ肉のことしか考えていなかった。人間はそんなものだ。性欲と食欲は二大欲求だ。でも、尊敬のような愛は性欲なのだろうか。西洋絵画のような裸身の美しさは尊敬を呼ぶだけだった。別れる時も手を大きく振った。自信が少な目の私には、彼女が私を対等に扱ってくれたことを理解するまでに少し時間が必要だった。



  十七


 泣けなきゃ、しなやかな強い木ではない。

 涙は明日の力になる。

 そういうことが大事だと思った。

 例えば演技論。

 不幸な家にはドラマがある。交流分析ではある種の不毛な対人関係のパターンを「ドラマ」と呼んでいる。「幸福はどれも似通っているが不幸はそれぞれ別の姿をしている」。

 だったら、そのそれぞれ別の姿をしている不幸を、芸能界に注目することで似通った幸せにできないか。だって幸せな人、みんな芸能界を生きるお手本にしているよ? アニメだけでは駄目だったんだ…… よく考えてもごらんよ、井川君。ゲームやアニメは不幸や敵と戦う話ばかり。普通にドラマを見ようよ…… 

 普通の歌の歌詞には「悲しみ」という言葉が多い。アニメの歌には「苦しみ」という言葉も出てくる。だって普通につらいのって苦しみじゃん! と思っていた。でもみんなにとっては悲しみらしいんです。それならそれに倣おうよ。

 悲しみは、例えばNさんやSさん、Hさんが統合失調症の末に亡くなったこと。苦しみは、泣けないあまりに苦しんでしまったこと。

 閻魔大王さんは現代的法体系にしたがって裁いているのではないのだ。まして大岡裁きでもない。閻魔大王さんには結構いじめられたけど、そんなの理不尽だ。

 私は、何が望みかというと――

 父は生前「三つの願いっていう小説を書いてみろ」と言っていた。

 書いたことはないけど、三つの願いそのものを書いてみるね。

①次の本も百万部くらい売れますように。

②つらい時にはちゃんと他の人達と同じように泣けますように。

③いいお嫁さんが見つかりますように。

 お父さん、こうだよ、僕の願い。霊界で幸せにね。


 生きていることそれ自体がつら過ぎて。ずっと意味がわからなかった。

 クラクションが鳴ってくる回数がすごいって言ったら病気だとか言われたり。不幸に不幸を積み重ねるつもり?

 まあ、人生なんてさ、高校だって共学校には行けなかったし、意味はないんだ。やせることもとても難しい。

 人生なんて意味ない。

 皆さん、これが私の本音ですよ。

 ジツニイヤナセカイデスネ!

 だから、私は世界を革命しようと思った。

 それは小説の書き方を大幅に変え、むしろ小説歴一ヶ月くらいの人になったつもりで書いてみる。(実際の小説歴は二十九年くらい)

 楽しいことって何だろう。

 味付けカルビ肉を食べること。発泡酒を飲むこと。インターネット。

 つらいことって何だろう。みんなと合わない不調和波動を発してしまうこと。

 明日は西友に味付けカルビ肉を買いに行く。

 まあ、こうして私の人生はどうにかこうにか前に進んできた。

 野菜中心、栄養バランス重視。

 今日は三つ葉を買ってきた。炒めて食べる。

 きっと大切な誰かが現れて……


 最近はローズヒップティーをよく飲んでいる。(水出しで)

 最後の濃い層が特別美味しい。

 きっとこれでいいんだ。

 この世界はほどほどに不幸せで、ほどほどに幸せだった。


(終)

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人はかげろう 水形玲 @minakata2502

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