あなたの隣の変わった話
若草八雲
米を撒く
前の職場は街中にあったので、通勤途中で百貨店が並ぶ中心街を通っていた。
開店前の店の前を通って出勤し、閉店した店の前を通って帰路につく。休日は自宅で寝ているだけの毎日だったので、開店中の百貨店はテレビでしかみたことがない。それも、休日の地元密着型番組に映る催事場での催し物の映像ばかり。
だから、あの百貨店が実際にどんなテナントが入っているのか、客層や店員の様子、屋上付近に入っているらしい飲食店のことも何一つわかることがない。
けれども、催事場の特集で外観が映るとき、必ず入口の横に変わった服装の人影があったことは覚えている。
黒い和服をきて、先に丸い輪っかがついた杖を持っていて、首には何か下げている。何を下げているのかは画面が遠いからよくわからなかった。洋服で行き交う通行人の中でその人影だけがどの季節にも同じ服で入口横に立っている。
何よりもその人影が変なのは頭だ。画面に映る通行人の二倍か三倍の大きさで髪はなくて四角いのだ。
出くわしたら足を止めてしまうと思うのだが、通行人はその人影の横を通り過ぎていた。彼……彼女? まあ彼としておく。画面の誰もが彼はそこにいないかのように歩くから、百貨店が置いた人形か、あるいは画面にしか映らないトリックアート? みたいなものだと思っていた。
人形なら通勤時にそこにあるんじゃないか? そう思ったのは、働き始めて2年くらい経ったころだ。
でも、朝方に百貨店の前を探しても和服の人形なんてどこにもない。帰宅時だって同じだ。みえる範囲でショーウインドウを覗きこんでもテレビで見た人影はなかったし、店の裏手にもそれらしいものはなかった。
その頃は昼間がとても忙しかったから、朝と帰り以外は百貨店へ行く時間がなくて、結局その人影の正体はわからなかった。
そのあとは転職して、4、5年街を離れていたのだが、去年の冬、父が倒れたと聞いて実家のあるこの街に戻ってきた。
一大事だと帰ってきてみれば、納屋の掃除をしているときに屋根に上って落ちたのだという。年の割に丈夫だったからか、怪我は右脚の骨折だけ。全治3ヶ月でリハビリを経れば元通り歩けるようになるらしい。
整形外科の病室で頭を掻きながら私を迎えた父と、見舞いのタイミングが重なりばつが悪そうな姉をみて、私は何だか気が抜けてしまい会社を辞めた。貯金はあるし、少しなら暮らしていける。父の介護なんて考えているわけではないが、孝行したいときに親はいないともいうしタイミングなのだと思った。
そのまま半年、近くの喫茶店でアルバイトをしながら資格の勉強をしている。
ところで話は逸れたが、5年前、私がテレビで観ていた百貨店は地元を離れているうちに閉店し、老朽化を理由に建て直されていた。今は複合商業施設として再開発の目玉のひとつになっているらしく、ガラス張りの現代風な建物にお洒落なブランドショップや地元土産の店などがひしめき合っているのだという。施設紹介の番組でもそこだけが都心のようで非日常にわくわくする。
百貨店の入口だったところは大きく吹き抜けの広場になっていて、あの頃画面に映っていた和服の人物はどこにも見当たらない。特に関わりはないが、なんだか少し寂しい気持ちになった。
あの頃と違って、今の私には若干の余裕がある。喫茶店のシフトが昼からの日を使って、商業施設に出向いてみよう。そう思い立ったのが先週のことだ。
昔のように街が眠っている朝一で出かける必要はなかったが、長年の習慣で朝は早い。結局、商業施設の開店1時間前には街に出てしまっていた。それでも昔より2時間以上遅い。5年経ったからなのか時間帯が変わったからなのか、商業施設の周りは出勤途中の人々で賑わっていて驚いた。
施設目の前の交差点に並び、スーツ姿の男女の間で信号が変わるのを待っていると自分が世間からはみ出してしまったような気持ちになる。それもまた非日常の一瞬だと胸を高鳴らせたところで、“彼”をみた。
横断歩道の向こう側。商業施設入口に面した歩道、ガードレールの端に直立不動の人影が見えた。春先でまだ少し寒いのにアロハシャツを着てサンダルを履いている。右手には枡を持ち姿勢よく立っているからか、周りよりも背が高くみえる。
何よりも目立つのは頭だ。アロハシャツの上には成人男性の顔の2倍近い大きさの青いゴム長靴が生えている。爪先が前に来ているせいでまるでアヒルの嘴のようだ。
ゴム長靴の被り物なんてみたこともないし聞いたことがない。私の視線は彼に釘付けになっていた。長靴に目があるのかはわからないが、彼も私を見ていたと思う。横断歩道を挟んで二人、私と彼は向き合ってしまった。何しろ、周りの通行人は皆、スマートフォンや新聞、文庫本などに目を落とし、俯いていたのだから。
信号が変わり、青になると、全員が何事もないかのように横断歩道を渡り、各々の職場へと出かけていく。私と長靴顔の彼だけがその場から動かずにいた。
彼は、右手に持っていた枡に時折手を入れて何かをつまみ、隣を通り過ぎる人々に振りまいていた。何かをかけられているにも拘わらず、通行人は彼を無視して通り過ぎる。百貨店の入口にいた和装の人物と同じだ。
いるはずなのにいないことになっている。
そもそも、本当にそうなのだろうか。
私がいると思っていただけで、和装の人物も長靴顔の男もいないのではないか。だって長靴の顔をしているのだ。そんな人物がいるわけない。
そう思い直して横断歩道を渡ろうと思った。けれども、変わりかけの信号を駆けてきた男性の肩からこぼれ落ちたものをみて、私は考えを変えた。
地面に落ちた黄色がかった米粒。長靴男は通行人に米を撒いている。意図は分からない。ただ、そこにいる。
その日、私は商業施設には行かずに家に帰った。以来、未だにあの商業施設には足を運んでいない。
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