隣の席の子の名字が変わった。

sekimennbaba

後悔

 「小学生の頃で何か後悔した時ってあったか?」

 小学校からの長い付き合いの友人が久しぶりの飲みの席でそんな話題を振った。

 正直小学生の頃の記憶なんて物は殆ど残っていないもので、精々先生に厳しく怒られた衝撃だとか、初めて彼女ができたなんとなしの恋心だとか、楽しげな思い出なんかが殆どを占めるだろう。

 楽しかった記憶ではなく、なぜ後悔した事を聞くのかは酔いもあって定かではないが、実際ただの思いつきなのだろう。

 僕は酒の席で回らない頭を回して、友人の言葉に沿って後悔したことを探した。

 すぐに思い出したのは親への感謝だとか、進学の選択だとか、現実的で面白みもない回答で、それをどう面白おかしく話そうか考えていた。

 不意に、小学三年生の頃の隣の席の女の子の顔と名前が頭をよぎった。

 この話は後悔と言えるのだろうか?酒が回って安易に話すことを選ぼうとしていた。

 でも、記憶がぶり返すように蘇って話すのを辞めた。

 大事な記憶だという事をすっかり忘れかけていたのだ。内容もどこか欠けてしまっている。

 友人には悪いが、後悔という話題を適当な話題で流させてもらった。酔いの回った友人は気にした様子もなく別の話に身を寄せた。

 彼が酒に弱い事に少しだけ感謝した。

 時間も真夜中を過ぎよった友人を駅まで送って、徒歩圏内にある自宅に歩みを進めた。

 そうして今、僕はなんとなし追加の酒を煽って掛けた記憶を埋めようとしていた。



 「風鈴くん!おはよう!」

 少し低めの椅子に座り込んで年齢の割には小難しそうな本を気難しそうな顔で読んでいるであろう僕に、真っ直ぐに澄んだ明るい声で挨拶をしてくる女の子がいた。

 「おはよう、###さん」

 彼女はいつも朝に教室に来ると真っ先に僕に向かって声をかけてくる。正直、鬱陶しい事この上ない。

 最初の内は本に埋まる勢いで無視を続けていたが、少しの良心が彼女の言葉に耳を傾けてしまって、結局挨拶だけは返すようにしている。

 「ねえ!?聞いた?3組の横山くんと二組の春香ちゃん付き合ったんだって!」

 挨拶以外は反応しない。そう決めているんだ。僕は断固として彼女の話を無視し続ける。

 「やっぱり風鈴くんはつれないねえ」

 ###さんは呆れたような声をあげて僕に話しかけ続ける。

 どうしてこんなにもめげずに僕に話しかけるのか、正直興味はある。

 けど、何となしに彼女に喋りかけたら負けだって気がしてやっぱり聞いてない。

 「ねえ?付き合うってさ、どんなことだと思う?」

 ###さんのいつもの明るいトーンの声が珍しく少し下がったトーンでそんな事を聞いてきた。いや、独り言なのかもしれない。

 「聞いてる?風鈴くん、いい加減反応してくれてもいいんじゃない?」

 ###さんはどうしても僕に話しかけたいらしい。

 「私さ…付き合うってのが理解できないんだよね」

 それには僕も同意見だ。だが、話に反応するのはやっぱり負ける気がする。

 ただ、###さんはその話題をそれ以上膨らますことはなく、明るい口調に戻して元気に朝ご飯の話しをし始めた。

 僕はやっぱり###さんの話を聞いていないふりを続けた。


 この頃の記憶は曖昧だし正確性にも欠けるとは思うが、思っていたより鮮明に彼女の事を思い出すことができた。

 当時の彼女の名前は思い出せない。

 でも、変に大人ぶって友達がいなかった僕にとって、彼女はありがたい存在だったと今になって

思う。

 当時の僕は両親が二年生の頃に離婚して、僕の親権は父に渡った。

 父は元々教育は母に任せっきりで僕に何かしてくれたことは殆ど無かった。

 母と離婚してから、父は死に物狂いで僕の世話をしていた。男手一つで子どもを育てる大変さは今になって分かるものだろう。

 ただ、父の懸命な教育で僕は周りの子どもよりも少し成熟していた。大人びた、というより大人ぶった子ども、といった具合ではあったが。

 そんな状況もあって僕は少しやさぐれて、小学三年生にして友達がいなかった。


 「風鈴くん、おはよう」

 今日の###さんはいつもより元気がなかった。顔が見えるわけでもないし、声を聞いただけだが、雰囲気が暗いのは聞けば分かる。

 「今日ね…お母さんとお父さんが朝から喧嘩してたんだ。」

 お父さんとあ母さん…まだ家族全員が揃っているだけマシではないか。一体何がそれほど気を落とさせるんだろうか。

 「喧嘩をね…止めようとしたんだけど、失せろって言われちゃって」

 励ますべきか、負けるのかそんなしょうもない考えで###さんの話に耳を傾けた。本のページを捲るふりはもちろん欠かさない。

 「お母さんもお父さんもすっごく怖い顔しててさ…怖くなって家から飛び出して来ちゃったんだ」

 普段は楽しさの塊のように話すくせに、重たい彼女の様子に、僕は少し苛立たしさを感じていた。

 そんなつまらない話をして何になるというんだ。楽しい話ならまだしもこんな暗い話聞いていられない。

 「帰ってよ」

 僕は初めて挨拶以外の言葉を彼女に投げかけた。

 「うん…こんな話してごめんね」

 ###さんの顔は見えていないけれど、悲しそうな顔をしているのは感じられた。少しだけ後悔した。

 ###さんは席につかず、教室を出ていった。きっと保健室だと思う。


 僕は馬鹿なことをした、と今でも思う。

 ###さんはきっと話を聞いてほしかったんだ。少し考えれば分かることだろう、でも小学生の自己中な僕では分からなかった。

 それに、この頃の僕は本なんて読んでおらずページを捲っているだけだった。

 僕の興味は###さんの話にあったというのに。



 朝、###さんは僕に話しかけなかった。

 ###さんの明るい声で話す朝ご飯の話や散歩の話、今日はそれが一向に聞こえてこない。

 僕は本のページを捲る手を止めた。

 横に座る###さんの顔を見た。

 泣いているわけじゃなかった。怒っているわけでもなかった。話す話題を無くしたわけでもなかった。

 彼女の顔には…何も写っていなかった。

 僕は彼女に飽きられたんだろうか。そう思うと、勝手に口が開いていた。

 「###さん…僕…何かしたかな?」


 実に、実に的はずれな回答だったと思う。

 これが、僕の後悔だ。

 忘れていた記憶が鮮明に蘇ってくる。ばらばらになっていた記憶のピースが自動で組み合わさっていく。

 彼女の両親は離婚して###さんは###さんじゃ無くなっていた。

 もっと彼女の話を聞いて、真剣に相手を考えていれば彼女は転校しなかったのかな、なんて思う。

 転校するにしたって、もう少し明るい顔で行けたんじゃないかな、なんて思っている。

 僕は空気の弾ける気持ちのいい音を響かせながらビール缶を一本開けた。

 

 




 

 

 

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