22.ブレーキ
【晴大】
晴大は楓花と隣のクラスなので、集会などで整列するときは横の列になる──けれど、残念ながら晴大は楓花よりも後ろのほうになってしまい、楓花の視界には入れなかった。他の生徒たちの隙間から姿は見えるけれど、後ろからなので表情が全く分からない。唯一分かるのは、前後左右にいる生徒たちとは楽しそうに話しているので楓花は良いクラスメイトに囲まれているらしい、ということだけだ。
普段の休み時間に楓花を見かけることがあまりなかったので、晴大は体育館での集会をいつも楽しみにしていた。先生たちの話を聞いているのは非常につまらなかったので、楓花の後ろ姿と、たまに見える横顔をじっと眺めていた。
これからの一年間は今までと違って、高校受験に向けて忙しくなるので遊んでいる暇はないぞ、と学年主任が話すのを遠くに聞いていた。晴大は今のところ地元の公立高校に進学予定で、悠成から誘われて何となく受けた塾の模擬試験では志望校にはA判定が出ていた。極端に悪くならない限り、特に問題はない。
ざわざわ、という周りの生徒たちが立ち上がる音に気付かされて集会が終わることを知り、晴大も立ち上がって適当に礼をした。出入り口の近くにいる生徒たちから順番に出るので、晴大は少し待機していた。
「おーい渡利、さっき長瀬さん見てたやろ?」
「──はぁ?」
どこからともなく現れた丈志は集会中、晴大の様子を観察していたらしい。確かに晴大は楓花を見ていたけれど、それは舞台上にあるマイクとの間にいたから仕方なくだ、とそれらしい嘘をついた。
「あれから何か喋ったん?」
「いや? 用事ないし」
「ふぅん……あっ、そういえばさぁ、おまえ──一年とき失恋した子とはどうなん?」
「……どうやろな」
「え? マジ? まだ会ってくれてないん? えっ、ちょ、その子、何組?」
「言うか」
クラスメイトたちが出入り口に向かいだしたので、晴大もあとに続いた。丈志は違うところから入ったようで慌ててそちらへ走り、上靴を持って再び戻ってきた。
楓花の姿は既にどこかへ消えてしまっていた。教室へ戻る途中で楓花のクラスの前を通るけれど、すぐに授業が始まるのでわざわざ立ち止まって探す時間はないし、見つけたとして話すこともない。──と思いながら楓花のクラスの前を通ると、慌てて教室から飛び出してきた楓花とぶつかりそうになった。
「わっ──、ごめん……」
楓花はギリギリのところでブレーキをかけ、走って階段を下りていった。
「──なに慌ててんやろ」
晴大は他のクラスの生徒と一緒だったので適当に呟いて、そのまま自分の教室に入り、席に着いた。席替えはまだなので、ドアのすぐ隣だ。
「おい渡利、せっかくチャンスやったのに」
席に着くとすぐ、廊下からクラスメイトが走ってやってきた。
「……何の?」
「おまえ長瀬さんに告白しろよ」
「はぁ? なんでやねん」
「朝から噂なってるで」
「勝手なこと言うな。俺は──」
晴大には、ちゃんとした理由で好きな人がいる。だから周りの興味に付き合うつもりはない──たとえ相手が楓花だとしても、軽いノリで言いたくはなかった。
一学期の中間テストが近づいているので勉強に集中しないといけないはずが、晴大は授業中、楓花のことばかり考えてしまっていた。教室から飛び出してきた楓花と一瞬だけ目が合い、彼女は何かを言いたそうに、けれど言ってはいけないと飲み込んでいるように見えた。もしかすると楓花も、噂のことを聞いたのかもしれない。
【楓花】
集会が終わってから教室に戻り、授業の用意をしていると筆箱がないことに気がついた。昨日のうちに鞄に入れた記憶はあるし、中に入れたはずのシャーペンが一本だけ、制服の胸ポケットに入っていた。
「──あっ、放送室かも」
楓花は登校して教室に来る前に、いつも舞衣と一緒に放送当番で放送室に直行していた。他の部員たちは引退よりも先にいつの間にか幽霊部員になったので、ほとんど毎日、朝も昼も楓花と舞衣が当番をしていた。放送室で楓花は鞄を開けて筆箱を出し、何かを書いた。
「まだ時間あるし、取ってきたら?」
「うん……あと五分……行ってくるわ」
そして教室を飛び出すと、体育館から遅れて戻ってきた晴大とぶつかりそうになってしまった。ギリギリのところでブレーキをかけると、彼は特に気にせずに教室へ向かった。
始業式の日にクラスの女子生徒たちが話していたのは、〝晴大が楓花に告白する〟という勝手な噂だった。楓花が悠成からの告白を断ったので、悠成よりも人気な晴大からなら落ちるだろう、と晴大の周辺で盛り上がっているらしい。晴大は好きな人からバレンタインに何ももらえず失恋したと聞いていたし、もしかすると楓花なのでは、と言う人もいた。
楓花が〝晴大から好かれる理由がない〟と主張したのでクラスメイトたちは信じてくれたけれど、楓花のなかで晴大の存在は大きくなってしまっていた。だから晴大とぶつかりそうになって驚いてしまい、謝る以外に言葉が浮かばず、そのまま逃げてしまった。
もしも晴大から好かれているなら嬉しいけれど、彼が楓花に何か言ってきそうな気配は全くない。佐藤を通して呼び出されることも無くなったし、何か言いたそうな表情を見ることもなかった。そもそも楓花と晴大にはリコーダー以外の接点がなかったので、特に可愛いわけでもない──と自分では思っている──楓花と格好良すぎる晴大は全く釣り合わなかった。
放送室にぽつんと置いてあった筆箱を見つけ、楓花は急いで教室へ戻った。ほとんどの生徒が教室に入っていたので、廊下には誰もいない。三階まで階段を駆け上がり、息を切らしながら自分の席についた。
「楓花ちゃん、渡利君と、何もないよなぁ?」
「え? なにが?」
「実は付き合ってるとか……」
「ええっ? ないない。なんで?」
「さっき、楓花ちゃんが渡利君とぶつかりそうになったって」
「あ──うん」
「それ見てた隣のクラスの子が、二人とも普通すぎておかしい、って言いに来てて」
「何がおかしいんやろ……? 急いでたから走っただけやけど」
本当は、リコーダーの練習を勝手にやめたことを謝りたくもあったけれど、それは絶対に、他の生徒の前で言うわけにはいかなかった。本当は、悠成としていたように晴大とも仲良くしたかったけれど、もしものことを考えると勇気が出なかった。
楓花は中学を卒業するまで、晴大とは何の関係もない設定を貫くつもりだった。もしも晴大が何か言ってくれば変わるかもしれないけれど──、友人たちの前では数回話した程度だったし、万が一、晴大に好かれているとしてもリコーダー以外に接点がないので、晴大が外見で判断した設定も不自然で、大勢の目の前で告白されることはないと信じていた。
それでも楓花は、晴大の姿を見かけるとつい、目で追ってしまうようになった。
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