その六 みんなでひとつになりましょう
清太は慣れた手つきで扉の施錠を外した。
桃香たちは暗く冷たい部屋を後にして、長い廊下をそそくさと走り抜ける。
「やけに静かだぜ」
「……ま、見つからなくてラッキーどん!」
「しっ……ジェイク、しずかにしてっ」
「ぐっ……桃香は気が強いど。そんなことでは、良いお嫁に――」
「ちがーうの!あっちのほうからこえがするの!」
モモカ、モモカ――……。
「パパがいるかもしれない!」
「何も聞こえねぇけど……進むしか道は無さそうだぜ」
三人はおそるおそる、廊下の先を進んだ。
そうして目の前に、大人の背丈ほどの両開きの扉。
その向こうから、信者たちの声が漏れてきた。
何かの呪文のような文句を、一斉に唱えている。
「……一体、何を話してんだ?」
「せっちゃん!扉をゆっくり開けて隙間を作るど!様子を見るどん!」
三人は縦に並んで、扉のわずかな隙間から覗いた。
* * *
そこは礼拝堂だった。
大勢の信者たちが、ひしめき合うようにして祭壇の方を向いている。
そして祭壇の上には、らざ郎の姿があった。
「あ、あいつは……どん!」
「パパ……!?」
「おい、桃香!まだお父さんって決まったわけじゃないだろ!?」
「せっちゃん、静かにどんっ!」
信者たちの祈りの言葉が響く。
『死よ、我らの傍に……生の糧とならんことを』
すると、祭壇上のらざ郎が両手を広げ、
「さあ、新たな人生を築くとき……我が子よ、こちらへ……」
らざ郎の呼び声に、信者が一人、祭壇の前までゆっくりと歩を進めた。
両手を合わせて祈りを唱えながら、深々と頭を垂れている。
「顔を上げるがよい、我が子よ……」
ゆっくり顔を上げる信者を、らざ郎は包み込むように抱きしめた。
その時だった。
らざ郎の二の腕、かつてアンデッドに噛まれたとされる傷痕から血が滲んで滴り落ちた。
そして傷痕が開いていく。
「神の愛を受け入れなさい――」
そこに現れたのは、赤く充血した巨大な瞳。
周囲を探るように視点を回している。
腕の中にいる信者に気がつくと、再びパチンと
その後、らざ郎の右肩が盛り上がっていく。
白いローブを破り、するすると柱状の肉塊が肩から飛び出してきた。
その先端に、鋭く尖った牙を持つ大きな口。
その口は信者の首元までゆっくりと伸びていき、愛する者を甘噛みするかのように、静かに噛み付いた。
噛まれた信者は両目をカッと開き、身を震わせる。
そうして、がくりと崩折れた。
『死よ!我らの傍に!』
礼拝堂にこだまする信者たちの声。
倒れた伏した信者は、白目をむいて痙攣し始めた。
『――生の糧とならんことを!』
しばらく痙攣していた信者は、口の端から濁った泡を吐き出すと、ピタリと動かなくなった。
そうして、すっくと立ち上がる。
青白い肌、すでにアンデッドになっていた。
「……も、桃香!」
清太は、目の前の光景に息を呑んでつぶやく。
「あんなもの、親父と呼ばないほうが良いぜ!」
絶句する桃香。
と、その時、
「おおっと、なんでぇお前さんたち!そんなところで何してんだい?」
三人の背後に、ひょうきんな男の声がこだました。
(まずい……気付かれた!)
三人はピタリと固まった。
「おや……本物の桃香ちゃんじゃねぇか、そんで
「えっ?おじさん、だれ――」
ドオオオオォォォ――……ンッ!!!!
突然、教会の裏手から爆発音。
「うわっ!」「ひゃっ!」「どんっ!」
驚いた三人は思わず扉を押してしまい、礼拝堂に転がり出てしまった。
* * *
「婆さんや」
「なんだよ、爺さん」
「すっかり夜じゃな」
「なんだい、ビビっちまったのかえ?」
「違うわい。辺りが薄暗くて困ったのう、という話だわい」
「ライトを付けたらアンデッドに気づかれるよ」
「……わかっとる!」
教会の塀を爆破して敷地内に侵入した後、田中三尉は老夫婦に対して、「重要な任務を任せる」といった。
「俺と村本軍曹はこれから、長岡らざ郎の捕縛、及び桃香ちゃんの救出に向かう。あんたたちは入口の門までジープを動かしておいてくれ。いつでも発進できるようにな」
「な、なんだと!わしらも行くぞい!」
張り切る洋司を宥めるように、田中三尉は優しく言った。
「……気持ちは分かる!だがな、相手はアンデッドを改造するような連中だ。ヤバいに決まってる。そんな奴らと戦闘になった場合、俺も軍曹も自分のことで手いっぱいだ。だから頼む。ジープを守っておいてくれ。俺達の最後の
洋司は笑わなかった。
「桃香のこと、頼んだよ」
みつ子は失笑しながら、田中三尉の肩を叩く。
「
ニヤリと笑って敬礼すると、田中三尉と村本軍曹は教会へ走っていった。
そして、二人は車中で待つことになったのである。
「田中三尉とやらも、中々のお調子者だね。無事に戻ってくるといいが」
「……本当に、大丈夫かの」
* * *
「「
らざ郎とその肩から生えた口は、礼拝堂に転がり込んでしまった子供たちをよそに、その後から入ってきた虎三郎に向かって言葉を投げかけた。
「何をしている?ときたもんだ。それはこっちの台詞だってのに」
虎三郎は憤然としてらざ郎に食ってかかる。
「せっかくの『アンデッドに噛まれたけど助かっちゃった』俺の名演技が台無しじゃねえかい!孤児じゃないお嬢ちゃんを連れてきたせいでな!」
そう言って、虎三郎は桃香の頭をぺしぺしと叩いた。
「なにすんの!」
桃香が怒鳴る。
清太とジェイクも腰が引けつつ、桃香の背後から
「おっとすまねぇ。洋司の大切な孫だってのにな……。それで、らざさんよ。俺は言われた通り、アンデッドに噛まれても平気だってところを見せてセクター内に安心を届けてやったんだよ。どうしてその計画をぶち壊す真似をしたのか、説明してもらおうじゃないの!」
「「……ぶち壊すつもりはなど毛頭ない。すべては神の意志によるのだ」」
「何を……神様神様ってよ!セクターの皆にアンデッドの仕掛けがバレちまった後じゃ、神様もとんだ間抜け野郎にしか見えねぇ!それもこれも、あんたが桃香ちゃんをさらっちまって、心配した家族が解放戦線を急かしたせいじゃねえのかい!」
らざ郎は自らの胸に手を置いた。
「「計画よりも大事なことがある。荒野で私たちを救った〈この者〉が、桃香を呼んでいたのだ。
「俺ぁ、とらさぶろうだ!『ざぶろう』じゃねえって何度言えば分かる!それに記憶喪失のおめえを助けたの俺よ!お前の飼ってる化け物じゃねえ、この名無しの権兵衛め!俺の名前をモジって使うなら、きちんと覚えやがれ『らざろう』さん――」
その時、
ダァ――……ン!
一発の銃声が礼拝堂に鳴り響いた。
信者たちがどよめいた。
らざ郎の額に、大きな穴が開いたのだ。
そこから一筋の煙。
らざ郎の目から精気がふっと消え、その場にばたりと倒れてしまった。
「きょ、教主様!」
信者たちが駆け寄ろうと祭壇に上る。
が、
「全員、動くなっ!」
桃香たちが入ってきた扉から、田中三尉と村本軍曹が入ってきた。
田中三尉はm1911(コルト)、村本軍曹はAK-74を構えている。
「ふう……ヤバい奴だとは思ったが、まさか本当に化け物だったとはな」
「あっ……」「どん……」
清太とジェイクが思わず声を上げた。
朝方、空き地を追い出してきた張本人が助けに来たのだ。
「おっと、そこにいるのは桃香ちゃんと少年たち!軍曹、彼女たちを保護を!」
「ハッ!」
「そして、虎三郎さんだっけか。あなたからはいろいろと話を聞かせてもらおう。拘留は免れないが、異論はないだろうな?」
虎三郎は田中三尉の言葉には答えず、額に手を置いて「……やれやれ」と途方に暮れている。
「おい、なんとか言ったらどうだ!お前もグルだったんだろ?」
田中三尉はそう言って
「グルなんて安っぽい仲じゃねえのよ。俺とそいつはぁ……しかし」
虎三郎は「ハア……」と重い溜息を吐く。
「お前さんたち、とんでもないことしてくれたぜ」
突然、頭に手を置いて神妙にしていた信者たちから、
「おおっ……」
と、感嘆の声が漏れてきた。
信者たちの視線の先に、仁王立ち姿のらざ郎。
田中三尉は慌てて拳銃を構えるが、驚きで言葉を失っていた。
(狙いを外したのか!?しかし、奴の額にはちゃんと銃痕が……)
「教主様、やはり……奇跡のお方だ!」
信者たちは、生き返ったらざ郎に駆け寄った。
ところが、らざ郎の背後から巨大な肉塊の柱が幾つも飛び出した。
その先端にある大きな口が、近寄ってきた信者たちに次々と嚙みついていく。
信者たちは『儀式』と同じ噛みつきだと思った。
しかし、らざ郎は信者の体を嚙みちぎり、肉を飲みこんでいった。
「き、教主さま!?」
「いや……皆逃げろ!」
信者たちは慌てて出入り口に殺到した。
らざ郎は白目をむいたまま、ただ背中から伸びた触手のような口だけが、大いに暴れまわっている。
「一体、こいつは何者なんだ……いや、今はどうだって良い!」
田中三尉は村本軍曹に向けて叫んだ。
「子供たちを最優先だ!何としても逃がすぞ!」
「ハッ!さあ皆、逃げましょう!」
桃香たちを急かすようにして、村本軍曹は裏口に続く扉に走らせる。
逃げ去る桃香たちを見たらざ郎の腕が、
「「「モ……モカ……!!!!」」」
と呻いた。
田中三尉は拳銃を構えて、威嚇する。
その横に虎三郎が立った。
「らざ郎の人格は恐らく死んじまったよ、三尉さんが撃ち殺しちまった……。あいつは『復活』したんじゃねえ。ただ、あの体を共有してただけだ。そんで今は、《神様》だけが体に残っちまったってわけだ」
「意味がよくわからんが……あの化け物を消滅すれば良いか?」
「できるかねぇ、『みんなでひとつになりましょう』って神様をよ」
化け物は、逃げ惑う信者たちを呑み込んでいき、巨大な姿に変貌していく……。
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