第11話:記録と損失



「先輩って、何かにドキドキすること、あります?」


トウジがそう訊いたのは、偶然ではなかった。

あの夜、封筒を見つめていたレラの横顔が、

あまりにも“何も感じていない”ように見えたからだ。


彼女は少しだけ考えて、答えた。


「……昔はありました」



かつて、紙魚にいた頃。

レラには、誰にも開示されていない記録がひとつあった。


分類番号なし。

評価済みでも未検証。

その本は、上層が「読んではいけない」と明言していた。


理由は不明だった。

ページは破れておらず、挿絵も文章も、他と変わらないように見えた。

ただ、ひとつだけ記されていた注意文があった。


“記録者が読むと、記録者ではなくなる”



レラは、読んだ。


理由は単純だった。

読みたかったからだ。


「記録のため」とは言い訳だった。

ページをめくる指に、自分でも分かるほどの震えがあった。


でも──読み終えたあと、何も感じなかった。



数日後。

焚書の作業中、同僚がふざけてグラビアを広げたとき。

レラは何も思わなかった。

ページを見つめ、構図を分析し、トーンの印刷ズレを指摘した。


そのとき気づいた。

彼女の“感じる”という機能は、抜き取られていた。



「……失われたわけじゃないんです」


「ただ、“記録された場所”が変わっただけなんです」

「今の私は、感じる代わりに、すべてを記録してしまう」

「だから、トウジさん」


彼女は言葉を切った。


「あなたに、“私の代わりに記録してほしい”んです」



その声は、穏やかだった。

けれどトウジには、はっきりわかった。

これは命令ではない。

でも、断った瞬間、取り返しのつかない何かが壊れるという直感だけがあった。


彼女はページを差し出す。

手袋越しに持たれた本の角は、かすかに熱を持っていた。



記録か、感情か。

どちらかしか持てないとしたら、

人はどちらを選ぶべきなのか。


それが、彼女の中で今も焼けたままの問いだった。


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禁書管理課 -Eros Archive- あおいりゅう @AoiRyu_0wakobo

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