第四章19 闇の代表取締役ノア(大変結構)

「そのことだが。実は、私がここへ赴いたのは、貴方と交渉したかったからなのだ」


 太陽が傾き、髪は闇を吸ったかのような黒髪に、顔の造りは気が強そうだけれど表情は柔らかく自然なロズリーヌが戻って来た。ヴェルは途端に元の調子を取り戻す。


「交渉って何だよ?」


「私は貴方を宝石ドロボウだと突き出さない。その代わり、貴方は再び盗みを働かないことを誓い、罪を償うために教会に従事し、奉仕を行うようにというものだ」


 ヴェルは何を言っているんだという顔をした。


「誰がそんなことするか!」


「これは交渉だぞヴェル。私はいつでも貴方を捕まえることができる。どこへ隠れたって、見つけられる。捕まったら死刑だぞ」


 本心では、死刑に反対だから絶対に捕まらせたくない、と思っていることは黙っておく。何故ならこれは交渉だからだ。


「死にたくないだろう、ヴェル? あの子たちのためにも」


 ヴェルがふとロズリーヌの背後に視線を動かした。視線の先にいるのは子どもたちだろう。先ほどから気配がするのをロズリーヌは感じ取っていた。


 『女神の赤い首輪』を盗もうとした犯人がヴェルだという情報を得たロズリーヌは、マルティーニに指示を出してヴェルのことを調べ上げていた。そこで彼がノアに宝石を売って得たお金をすべて子どもたちのために使っていたことを知った。毎日お腹いっぱい食べさせ、綺麗な服と靴を買い与え、毛布を買って配っていたのである。ロズリーヌはそれを知ったとき、ヴェルは子どもたちのためなら何でも受け入れると思った。そして同時に……。


「俺はどうなってもいい。あいつらが生きていけるなら。この身体が動く限り、盗みまくってあいつらに食わせてやりたい……」


 自己犠牲的な考えを持つことにも、気づいていた。


(まだ子どもなのに)


 彼はロズリーヌと二歳しか違わない。けれど子どもは子ども。それも学びが足りず環境も不十分な所為で思考が偏りがちで、守ってくれる大人がいなくて失敗しても誰も助けてくれない崖っぷちの状態だ。


 そんな彼を助けずしてどうする。


「――身を挺して守りたいものを守る男は好きだ」


 にこりとロズリーヌが微笑めば、ヴェルは頬を染めた。しかし「だが」とロズリーヌが表情を引き締めると、ヴェルも表情を変えた。


「それでいいのか?」


「?」


 不思議そうな顔をするヴェルに、ロズリーヌはこれから起こりうる現実を突きつける。


「貴方は死んでも本望かもしれないが、貴方を失ったここの子どもたちはどうなる? 貴方に頼って生きてきた子たちが、突然貴方がいなくなってやっていけるとでも?」


「!」


 ヴェルは頭を殴られたような顔をした。


「で、でも……俺が宝石ドロボウをやめて奉仕なんかをするようになっても、こいつらは……」


「先ほどから何度も交渉だと言っているだろう? ノアから貴方は賢いと聞いている。ほら、交渉してごらん。私に条件を突きつけてみろ」


 口角を上げて挑戦的に笑ってみせる。ヴェルのような跳ね返りのある性格をしている者には、一方的に押さえつけて与えるだけではもったいない。


 案の定、ヴェルは訝しげな顔をしたが、次の瞬間には考える素振りをみせた。ロズリーヌは見たかった彼の姿を見られたことに安心し、彼が答えを出すのを待った。


 しばらくして、答えを導き出したヴェルがロズリーヌの前に立った。


「お、俺の人生全部やるから! あいつらの未来を救え!」


 自分を交渉材料にして犠牲にしながらも、ロズリーヌを見下ろし、命令口調で言ってのけるヴェル。自分はこういう人間なのだと全身で主張する姿に、ロズリーヌは至極満足してにっこりと笑った。


「大変結構」


 そしてロズリーヌはマルティーニに指示を出し、ヴェルの目の前に書類を掲げた。


「交渉成立の証に、書類にサインを」


 ヴェルは書いてある文字が読めないのか首をひねっていたが、自分の名前だけは書けるらしく、躊躇なく名前を書いた。


「これで貴方は私のものだ。私のためにその一生、捧げてもらうぞ」


 空に高く上がった太陽の光を受けて輝くロズリーヌの笑顔。


 ただ美しいだけのはずなのに、ヴェルには人生で一番忘れられない、とてつもなく恐ろしく、とてつもなく魅力的な笑顔となるのだった。

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