第四章12 闇の代表取締役ノア(こんなことがあるなんて……)

 二人の乗った馬車は何度も停止しながらトリオール邸を離れ、街中へと移動した。


 トリオール邸は皇族や貴族の中でも伝統的な上流者たちの館が立ち並ぶ区域とは離れた場所に建っている。ちょうど、宝石ドロボウが狙いやすい状況だ。


 馬車は渋滞で停まり、動き、動いてはまた停まりを繰り返している。けれどもまだどの馬車からも悲鳴が上がっていないのは、ランタンで煌々と馬車の内外を照らしているからだろう。いつも闇の中で静まり返っている街は、馬車の灯のおかげで眠りから覚めたようだった。


 だが、それも束の間のことだった。ほとんど同時に、ランタンの光が消えていったのである。あまりにも馬車が動かないものだから、ランタンの蝋燭が燃え尽きてしまったのだ。


 街は宵闇の中に沈黙するかと思われた。


 しかし。まばらに光が灯り始める。それぞれの馬車のランタンに、新しく蝋燭が入れられたのだ。


 もちろんロズリーヌとマルティーニが乗っている馬車のランタンの灯も消えていた。けれど、もたついているふりをして、外のランタンにも中のランタンにも、新しい灯は入れなかった。


 そのためロズリーヌとマルティーニの乗った馬車の辺りは真っ暗闇だった。かろうじて入る銀の月光に、二人の顔らしきものが白くぼんやりと浮かび上がっている。


 しばらくそのままじっとしていると。


パリン!


 馬車の窓が割られた!


 ロズリーヌはすかさず自身の胸元に手を伸ばした。誰かの腕とぶつかる。その腕を躊躇なく掴むと、思ったよりも細かった。


「くそっ!」


 中低音の声が悪態を吐く中、ロズリーヌは【導き】の力を発動させた。その人物の胸元にあたる部分に黄金の砂時計が現れる。


 馬車に侵入した人物はロズリーヌの手を振り払って扉を蹴破り、外へ飛び出した。


 黒い影を追いかけて、ロズリーヌとマルティーニも飛び出す。


 しかし、すでにそれらしき影は消えていた。辺りを見回しても黄金の砂時計は見当たらない。


「こんなに早く、一体全体どこへ!? まさか、【魔力】で消えた!?」


 驚くマルティーニの隣で、ロズリーヌは静かに神経を研ぎ澄ませ、集中していた。


ゴトッ


 何かの音が間近で聞こえた。


 まさかと思ってドレスが汚れることも構わずに屈み、這いつくばって馬車の下を覗くと、馬車の下にはマンホールがあった。


「此処だ! マルティーニ! 馬車を持ち上げろ!」


「かしこまりました!」


 マルティーニが二つ返事で軽々と御者ごと馬車を持ち上げる。


「後からついて来い!」


 ロズリーヌはドレスを身体に巻き付け、マンホールを開けて狭く真っ暗な穴に迷わず飛び込んだ。


 地下水道に繋がる穴は、人一人通るのでやっと。ロズリーヌはドレスを汚しながら狭い穴の中を下っていき、やがて底までたどり着いた。


 地下水道はロズリーヌの身長なら身を屈めなくても通れるくらい充分な大きさの穴倉だった。けれど明りが無いので左右が分からず、ランタンを持って来なかったことを悔やんでいると。


カツン


 音が聞こえて、ロズリーヌはその方向へ顔を向けた。


 黄金の砂時計が角を曲がっていくのが見える。今はそれだけが頼りだった。


 ロズリーヌは躊躇することなく、黄金の砂時計が消えた方向へつま先を向けた。


 黄金の砂時計を持つ者は暗くて何も見えないはずの地下水道を把握しているようだった。距離は縮まるばかりか、暗闇に慣れないロズリーヌが覚束ない足取りでふらふらしている間にどんどん開いていったが、黄金の砂時計のおかげでかろうじて向かう先だけは見失わなかった。


 果てしなく続くのではないかと思われるほどの暗闇。酷い匂い。蝙蝠が羽ばたき顔にぶつかっても、ロズリーヌは決してめげることなく地下水道を進んでいった。


 すると。


 突然、目を眩しい光が突き刺した。


 思わず目を瞑り、慣れてきた頃に開いて――。


「うそ……なんだ、これ……」


 驚愕して、思わず声を漏らした。


 街が広がっていたのだ。紛れもない、地下に!


 岩をくりぬいたところに扉をつけた、無数の家。色とりどりのテントを張った露店。煌々と輝くモザイクランプが地面を覆うように、はたまた天に被るように、下にも上にも所狭しと並べられ、光に満ち溢れている。されど太陽のない地下。どんなにランプが灯っていても、闇の影が潜んでいる。それがまた幻想的で、この世ではない別の何処かに迷い込んでしまったかのようだった。


(こんなことがあるなんて……)


 さすがのロズリーヌも理解が追い付かなかった。けれど停止しかけた思考を冷静な部分が駆り立てて、今は宝石ドロボウを追わなければという結論を叩き出した。


 ロズリーヌはごくりと喉を下し、階段を降りて、地下都市へ足を踏み入れた。


 途端、辺りを囲まれてしまった。


「汚れているが上等な服を着ている」


「よそ者だ!」


「どこから来たのよ!?」


 彼らの服装は地上のものと変わりない。言葉も聖帝国のものだから、異国の者たちが街を創ったわけではなさそうだった。とはいえ『よそ者』扱いされ、歓迎されてはいない。


 ロズリーヌは彼らを刺激しないように、荒がないよう注意しながら声を張り上げた。


「私はロズリーヌ・トリオール! 私の宝石を奪おうとした盗人を追いかけて此処へ来ました! どうか道を開けてください!」


「そんなこと知るか!」


 恰幅が良く身体の大きな男が怒号を響かせた。


「ここへは許可のある奴しか入れねぇ! そういうルールだ! 追い出せ!」


 大きな男の合図で複数人が襲い掛かって来る。


(分が悪い。マルティーニがいれば……!)


 ロズリーヌが足を引き、後退しようとしたそのとき。


「えいやぁ!」


 威勢の良い女の声が響き渡ったと思うと、どこからか飛び出して来た人物が男に飛び蹴りした。蹴られた男は吹っ飛んでいき、凄まじい音を立てて露天に頭から突っ込んだ。


「お待たせしましたローズ様! お怪我ありませんか?」


 橙色の赤毛を振り乱し、若草色のドレスのスカートを大きく広げ、マルティーニが華麗に着地する。頼れる用心棒の登場に、ロズリーヌは口角を上げて「大丈夫だ」と答えた。


 男が蹴り飛ばされたのを見た周りの者たちが武器を片手に集まって来る。こうなってしまっては言葉だけで解決できまいと悟ったロズリーヌは、マルティーニに指示を出す。


「やむを得ん。大怪我させない程度に一掃せよ!」


「お任せください!」


 地下の住人たちが押し寄せて来た。


「てやっ!」


 マルティーニがどんっと先頭の男を掌で押すと、後ろに控えていた人々もろともドミノ倒しになった。斧を持って飛び掛かって来た男には後ろ蹴りを食らわせる。蹴りを受けた男は二、三人の上に覆いかぶさり、下敷きになった者たちは身動きが取れなくなった。そうしてマルティーニが腕を一振り、足を一振りするだけで、あっという間に人の山ができあがっていく。


 きゃぁきゃぁと、男衆がドレスを着ている若い女にまるで歯が立たないことに戦慄した女たちが騒ぎはじめたと思うと――


パン、パン、パン、パン。


 乾いた拍手が悲鳴とどよめきを割った。


 拍手の源に視線を移したロズリーヌは唇を引き結んだ。


 顔の上半分に、白くのっぺりとした仮面。艶やかな黒髪を流し、黒いローブを纏った人物が、優雅に手を叩いているのである。


「ノア様!」


(ノア……!)

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