第三章11 第三皇子ティモシー・ド・レピュセーズ(……とても、素敵だから)
大聖堂の外へ出て木の陰でスカートの下からローブを引っ張り出し、頭から被って宮殿の中へ入ると、ロズリーヌはすぐに私室へ飛び込んだ。
「無事にお戻りになられて良かったです!」
マルティーニがすかさず近寄ってきてロズリーヌの衣装替えを手伝ってくれる。
ローブとドレスを脱ぎ捨て、祭服に着替えてかつらを脱いだところ。
コンコンコン
「聖女ロズアトリス様。いらっしゃいますか?」
「「!」」
扉の外から男性の声がして、二人は顔を見合わせた。化粧はまだロズリーヌのまま。
「……何でしょう?」
ひとまずロズアトリスが声だけで返事をすると、男性は「良かった」と息を漏らして続けた。
「お戻りになられていたのですね。今、お時間いただけますでしょうか?」
マルティーニが「十分前くらいに訪ねて来られた人がいました。その人かもしれません」と耳打ちする。ここで断れば、彼に疑問が湧くかもしれない。今後のためにも懸念を払っておきたいロズアトリスは、「もちろんです」と返事をした。
ロズアトリスは急いで口紅を落とし、桃色の口紅を引き直すと、ヴェールを被って扉へ急いだ。その間にマルティーニはクローゼットの中へ隠れる。
「何のご用?」
頭から白いレースのヴェールを被った祭服姿のいつものロズアトリスが姿を現すと、男性の聖職者は親しみの笑みを零した。
「次の生活困窮者たちへの救済についてですが……」
彼は持っていた書類をロズリーヌに手渡した。
生活困窮者への奉仕は食べ物や生活必需品を聖職者が手ずから配給するいつもの催しだ。長年続けているので特段変えるようなこともないが、不備があっても困るので、手配の担当者は毎回確認に来てくれるのである。
ロズアトリスが問題ないことを告げると、彼は満足そうに頷いた。
「これから正午の祈りですよね? 一緒に行きませんか?」
「……」
ロズアトリスはしばし考えたが、結局「えぇ、是非」と彼の申し出を快諾した。
(おそらく祈りの時間までは五分を切っているだろう。ここで断り、こんな間際の時間になっても移動しないなんておかしい、などと勘繰られてもいけないからな)
とはいえ唇以外の化粧はロズリーヌのまま。ロズアトリスはときおり乱れてもいないヴェールを直しながら、聖職者と並んで歩いて宮殿の礼拝堂まで移動した。
無事に礼拝堂で正午の祈りを捧げる。祈りが終わったら一度私室へ戻るつもりだったが、聖職者たちに脇を固められてしまった。ロズアトリスが昼のミサの司式を任されているからだ。仕方なく、ロズアトリスは私室に残したマルティーニの無事を願いながら、複数の聖職者たちと共に大聖堂の後陣まで移動し、聖女座に立った。
心を改め、集まった大衆を見渡す――と、ティモシーの姿が目に入った。
思わずヴェールを指先で直す。別に彼がミサに参加していてもおかしくないのに、どうしてここにいるのだろうと考えて、ふと思い出した。
(彼は私がミサを司式するときは必ず来てくれていたな)
来てくれとお願いしたことはない。婚約者なら必ず参席しなければならないわけでもないので、シャルルリエルが司式する際にマクシムがいるところを見たことは無かった。けれど、物心がついて、気がついたときには、ティモシーは毎回欠かさずロズアトリスが司式するミサに参加してくれていた。
遠くから見守る、今と変わらない距離で。
今思えば、もっと近くにきてくれても良かったのに。彼はそうせず、ロズアトリスもまた声をかけなかった。それがロズアトリスとティモシーの距離だった。
(もう、ロズアトリスとして彼の近くに立つことはないのだろう)
寂しいと思うのはエゴだろうか。
(けれど、彼にとっては良いのかもしれない。ロズアトリスの婚約者ではなくなった彼は、自由に人を揶揄って、声を出して笑って……とても、素敵だから)
チクチクと胸を差す痛みに蓋をして、ロズアトリスは高らかにミサの開始を告げた。
このときのロズアトリスは、彼がどうしてロズアトリスが司式するミサに今でも出席しているのか、少しも疑問に思わないのだった。
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