聖女の仮面は世直し悪女?

あまがみ

序章

 政略結婚の相手は平民出身の聖女だった。聖帝国の第三皇子ともなれば齢七歳で婚約者が決まるものなのである。


 聖女はいつも頭に白いレースのヴェールを被っており、顔の下半分しか見せてくれない。それでいて口数が少なく、面白味が無かった。この頃の皇子にとって、聖女は『白ける白い女』で、彼女と過ごす時間が退屈を通り過ぎて苦痛になりかけていた。そんなとき。


 朝の祈りを待つ大聖堂の庭園で、偶然にも、皇子は件の聖女に出くわした。


 聖女は白薔薇の生け垣に佇んでいた。皇子が無言で見つめていると、聖女は落ちかけたピンクの薔薇に手を伸ばし、朝露を孕む花弁に口づけを落とした。みるみるうちに生気が戻った薔薇は、再び天に向かってはつらつと花を輝かせた。


 けれど皇子は知っている。聖女や聖人が使える【聖力】というものは、怪我を直せても生命力は一時的にしか回復できないのだ。


「どうしてムダなことをするんだ」


 皇子がぶっきらぼうに声をかけると、聖女は「ムダ?」と首を傾げた。皇子は「そうだ」と続ける。


「そのバラは何をしたっていずれ枯れる。私の父上はいつもムダなことはするなとおっしゃるぞ」


「あなたにとってはムダかもしれないが、ちがう人にとってはムダじゃないってことがあるんだよ」


 貴族の女性たちの優雅な話し方とは違う男勝りな話し方に、皇子は虚を突かれて言葉を返すことができなかった。


 会話の切れ目を感じた聖女が次々に花へ聖力を注ぐのを黙って見守る。するとそこへ、若い女性に車いすの背を押され、痩せた老夫がやってきた。


 老夫は薔薇の香りを楽しんでいるようで、目を閉じたまま、ゆっくりと近付いてくる。そうして聖女の前まで来ると車いすはぴたりと停まり、老夫は目を開けて、祈りを捧げるように手を組んだ。


「小さな聖女さん。いつもありがとう。この薔薇が枯れるまでは、頑張れる気がするよ。本当に、ありがとう」


 若い女性は会釈をして車いすの背を押した。若い女性と車いすの老夫は薔薇の回廊を進んでいき、やがて大聖堂の方へ消えた。


「……あの人に残された命の砂は少ない。あの人は毎朝このあたりを散歩して、このバラを見るのを楽しみにしているんだ」


 ぽつりと口に出した聖女に皇子はほとんど反射で言い返す。


「花になんか使わずに、本人に聖力を使ってやればいいだろう? そしたらあの老人の命そのものが伸びる。まぁ、それもあまり意味のないことだろうが……」


「それじゃぁ、君は毎日どうして起きるんだ?」


「何?」


 急に脈絡のないことを言われて、皇子は変な生物でも見るような顔をした。


「どうしてそんなことを聞くんだ?」


「目覚める理由があるから人は毎日起きるだろ? 私は、毎朝この花を少しでも長く咲かせるために起きている。じゃぁ、目覚める理由がなかったら――君はどうする?」


 意味が分からない。


 何度も意味不明なことを問いかけられて、苛立ちを覚えていた皇子は、子どもながらにたっぷりの皮肉を込めて言ってやった。


「ベッドで寝ているかな」


 ほろり、と。これまでぴくりとも動かなかった聖女の唇が緩んだ。


「――私もそうする」


 陽光を浴びた薔薇の蕾が綻んだような、無垢で可憐で、眩しくも寂しさを駆り立てるような笑顔。


 幼い皇子は、彼女を形容する儚いという単語を知らず。また、聖女が何かを伝えようとしていることは分かっても、理解できないのだった。


 ただ、心が揺らぐような掴みきれない感覚に、苦しいとまで感じる何かの気配を感じた。


 生まれて初めて、『彼女のために何かをしてあげたい。寂しい笑顔ではなく、楽しそうに笑う姿を見たい』そう思ったのは、どうしてなのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る