第29話 確かめるために

 どくんどくん、と口から心臓が飛び出すのではと錯覚するような感覚がある。わたしは今、どうなっているのだろう。

 鼻腔をくすぐるのは、馴染んでしまった青様のにおい。そして、彼の心臓の音が大きく脈打っているのがわかる。これはわたしの心臓の音か、彼のものかわからないけれど。


「あ、青様……」

「……なあ、心護。お前の言葉、そのまま受け取って良いのか?」

「言葉? ……っ!」


 青様に言われて、思い出す。わたしは咄嗟とはいえ、何ということを口走ったんだろう。色々叫んだけれど、その中でも『ようやくあなたが好きだと自覚したのに』なんて。


「え、えっと……」

「心護が、俺のことを好きになってくれたとうぬぼれて良いのか? これからも一緒にいたいから、契約を解除して欲しくない……そう思ってくれていると理解して良いのか?」


 わたしを抱き締めたまま、青様がわたしの耳元に囁く。その声は熱をはらんでいて、吐息も熱い。ドキドキが急加速して、喉が異様に乾く。だから何も言うことが出来なくて、ただ無言で頷いた。


「――そう、か。そうか」

「青、さまっ」


 わたしの口から絞り出された声は、涙に濡れていた。何度も泣くから枯れてしまってもおかしくないのに、目元が痛いくらい、涙が出て来る。


「あ、お、さま。……すき、好きです。あなたのことが、心から好き。これからも、あなたの傍にいたい、です」

「……俺も、心護が好きだ。懸命で、泣き虫で、かわいい。だから、手放したくなんてない」


 だからこそ、と青様は微笑む。


「一度、向こうに戻るといい。こっちとあっちは近いからいつでも帰ることは出来るが、本当に冬が戻って来たのか確かめなければならないだろう?」

「それは、そうですけど……でも」


 言い淀んで、わたしは彼の提案に頷く。青様の提案はその通りなのだけれど、その裏にはわたしへの思いやりのようなものがあることに気付いたから。涙を袖で拭って、わたしは笑ってみせる。


「わかりました。ちゃんと大学、卒業してきます。でも、就活はしませんから。わたしは、あなたと生きていくと決めていますから!」

「ああ、じゃないと困る」


 青様にぐりぐりと頭を掻き撫でられて、わたしは目を閉じてその感覚を味わう。それから話し合って、明日の朝わたしは家に一度戻ることになった。


 ❀❀❀


「忘れ物はないな?」

「主、遠足じゃないんですから」


 翌朝、わたしは邸の門の前にいた。

 青様の言葉に冷静なツッコミを入れる夜鳥くんにちょっと笑ってしまったけれど、一応自分のことを見下ろす。ここに来た時持っていたものは、買い物に行くためのものくらい。あの時の牛乳と卵は使ってしまったから、財布とかスマホとか、そういうものだけだ。


「大丈夫です、全部あります」

「なら良い」

「心護様、奥様としてお迎えする仕度、整えておきますからね」


 ぐっと手を握り締めるのは、泣き笑い顔の朝花ちゃん。わたしも彼女両手を握り返して、笑って応じた。


「今と同じでお願いします。帰って来た時も変わらず、迎えてくれたら嬉しい」

「わかりました。お帰りを、心待ちにしていますね」

「心護様、こいつのためにも必ず帰って来てください。……おれも、待ってますから」

「ありがとう、夜鳥くん」


 わたしの前に口を開けているのは、こちらとあちらを繋ぐ門。ここを通れば、すぐに元居た場所に戻れるんだとか。少し、緊張する。


(でも、ちゃんと見届けなくちゃ。日本に冬が戻って、桜が咲くのか。桜の結界が再び日本を守ってくれるように)


 わたしは邸から一歩踏み出して、くるりと三人を振り返る。


「じゃあ、

「行ってらっしゃい、心護様」

「いってらっしゃいませ、お気をつけて」

「……ほら、主も」

「うおっ」


 とんっと夜鳥くんに背中を押された青様が、わたしの目の前に出て来る。何となく彼の顔を直視出来なくて俯くと、何かがわたしの頭の上に乗った。


「……心護、顔上げてくれ」

「う……」

「俺は、いつでもあの神社にいる。来年の春、あの神社の桜が満開になったら迎えに行くから」

「……約束、ですよ」

「約束だ」


 頭に乗っていた青様の手が離れ、わたしはそっと顔を上げる。すると青様は、わたしの前髪を上げて「印をつけておく」と呟く。そして、額に口づけを落とした。


「――!?」

「真っ赤だな、かわいい」

「え、な、ちょっ……!」

「上書きだよ、心護。お守りだと思ってくれたらいい」

「お守り……」


 わたしの額には、宵月が残した呪いがまだ存在はしているらしい。かけた宵月は封じられているからそれが発動することがないのだけれど、青様は上書きをして呪いを抑え込んでくれているのだ。だから、青様のいうお守りと言う言葉を信じる。


「……青様のお守りなら、最強ですね?」

「当たり前だ。……見届けて、やり遂げて来い」

「はい。いってきます」

「いってらっしゃい」


 わたしは三人に見送られ、この世界に来た目的を達成するために日本へ戻った。


 ❀


「……そう言えば、言わなくてよかったんですか?」

「何を」


 心護を見送った後、朝花が青に尋ねた。


「この神の世界は、心護様のいた日本と隣り合い、重なり合う世界だってことをです。だからこの世界は、と」

「大した問題じゃない。神と人の世界はだいぶ昔に分かれたが、重なり合って同化している部分も多いっていうだけの話だ」

「まあ、混乱させるだけかもしれませんしね」


 夜鳥が肩を竦め、朝花は「困った神様ですね」と苦笑いした。

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