第五話:絶体絶命と、一筋の光
「よう、見つけたぜ、半獣人(デミ)と間抜けな店主さんよぉ!」
ダリオの下卑た声が、静かだった店内に響き渡る。
俺は咄嗟にリリアを背後にかばい、じりじりと後ずさった。心臓が嫌な音を立てて早鐘を打っている。最悪のタイミングだ。
「今度こそ逃がさねえぞ」
「借金はきっちり返してもらわねえとなぁ?」
「ついでに、この間の仕返しもさせてもらうぜ!」
ニヤニヤと笑いながら、ダリオとその仲間たちが店になだれ込んでくる。入り口は塞がれ、逃げ場はない。
「ひっ……」
リリアが俺の服の裾を強く握りしめるのが分かった。震えている。無理もない。大人三人に囲まれ、脅されているのだ。前世の俺なら、間違いなく腰を抜かしていただろう。
ダリオの視線が、カウンターの上に置かれた、手入れを終えたばかりの剣に注がれた。
「ほう、良い剣じゃねえか。ちょうどいい、こいつも借金のカタに貰っていくか」
「そ、それはお客さんの大切な……!」
リリアが思わず叫んだが、ダリオはそれを鼻で笑い、無造作に彼女を突き飛ばした。
「きゃっ!」
「リリア!」
リリアは床に手をつき、小さく呻いた。
その瞬間、俺の中で何かがプツリと切れた。怒り、というよりも、理不尽に対する猛烈な嫌悪感。
「……ふざけるなっ!」
俺は近くにあった、修理したばかりの木の椅子を掴み、震える腕で構えた。武器なんて、これしかない。
「この店から出て行け! さもないと……!」
「さもないと、どうするってんだ? ああん?」
ダリオは嘲るように笑い、一歩前に出る。他の二人も左右に回り込もうとしてくる。多勢に無勢。こんな粗末な椅子で、何ができるというのか。
案の定、ダリオは俺が振りかぶるよりも早く、椅子の脚を蹴り飛ばした。
ガシャァン!と音を立てて椅子が砕け散る。俺は体勢を崩し、壁際に追い詰められた。
「終わりだ、店主さんよぉ!」
ダリオの汚い手が、俺の胸ぐらを掴む。抵抗しようにも、体格差がありすぎてびくともしない。壁に背中を打ち付けられ、息が詰まる。
「トール様!」
リリアの悲鳴が聞こえる。ああ、クソ。結局、何もできなかったのか。スローライフどころか、初日からこれかよ。女神の奴、絶対面白がってるだろ……!
万事休す。そう思った、その瞬間だった。
ガラン!と、店の扉が勢いよく開け放たれた。
「おい、俺の剣はできたか? ……ん?」
そこに立っていたのは、昨日の強面の冒険者――ガルドだった。彼は約束通り(少し早い気もするが)剣を受け取りに来たのだろう。だが、店内の惨状と、ダリオに胸ぐらを掴まれている俺を見て、その鋭い目をわずかに細めた。
「……てめえら、人の獲物に何してやがる」
地を這うような低い声。それは明らかに、ダリオたちに向けられていた。
ゴロツキたちが一瞬怯んだ隙に、ガルドは驚くほどの速さで踏み込み、ダリオの手首を鷲掴みにしていた。
「ぐあっ!? い、痛ててて!」
ダリオの顔が苦痛に歪む。ガルドの握力は尋常ではないらしい。
「邪魔だ、どけ」
ガルドは掴んだ手首を捻り上げ、ダリオをゴミでも捨てるかのように放り投げた。ダリオは店の壁に叩きつけられ、呻き声を上げて蹲る。
「ダ、ダリオ!?」
「て、てめぇ、何しやがる!」
残りの二人が、慌ててナイフを抜いてガルドに襲いかかる。だが――
「遅い」
ガルドは最小限の動きでナイフを避け、一人の顎に強烈な拳を叩き込み、もう一人の鳩尾に膝蹴りを入れた。二人は白目を剥き、糸が切れた人形のように床に崩れ落ちる。
あまりの出来事に、俺はただ呆然と見ていることしかできなかった。何が起こったのか、理解が追いつかない。ただ、目の前の冒険者が、とんでもなく強いということだけは分かった。
「ひ、ひぃぃぃ!」
最初に投げ飛ばされたダリオは、仲間たちの無様な姿を見て完全に戦意を喪失し、這う這うの体で店から逃げ出していった。
「お、覚えてろよぉ!」という捨て台詞だけを残して。
後に残されたのは、静寂と、床に伸びる二人のゴロツキ(すぐに意識を取り戻し、這いずるように逃げていった)、そして呆然と立ち尽くす俺とリリア、床に落ちた俺の店の(仮)看板、そして何事もなかったかのように佇む冒険者ガルドだけだった。
ガルドは床に落ちていた自分の剣を拾い上げ、カチャリと音を立てて鞘に納める。それから、ゆっくりと俺たちの方に向き直った。
「……で、どういう状況だ、これは?」
その声には、怒りよりも呆れのような響きが混じっていた。
俺は慌てて姿勢を正し、正直に事情を説明した。リリアが抱える借金のこと、あのゴロツキたちが借金取りであること、そして今日が開店初日だったこと。
ガルドは腕組みをして、黙って俺の話を聞いていた。時折、リリアの方にちらりと視線を送る。
話し終えると、ガルドは「ふん」と鼻を鳴らし、カウンターに置かれていた、リリアが手入れした剣の柄を手に取った。何度か握り心地を確かめるように動かし、それから満足げに頷いた。
「……ほう。なかなかやるじゃねえか、嬢ちゃん。握り心地、前よりずっといいぞ」
「あ……ありがとうございます……」
リリアははにかみながら礼を言う。
「俺はガルドだ。しがない冒険者だ」
ガルドはぶっきらぼうに名乗った。さっきバルガスと言いかけたような気がしたが、気のせいだろうか。
「約束通り、代金だ」
そう言って、カウンターに銅貨10枚を置く。そして、さらに数枚の銀貨を取り出した。
「……これは手間賃だ。嬢ちゃんの腕は確かだ。いい仕事には、相応の対価を払うのが道理だろ」
「えっ、そんな、こんなに頂けません!」
「いいから取っとけ」
有無を言わさぬ口調に、俺は恐縮しながらも銀貨を受け取った。これが、俺たちの店の、初めての売り上げだ。予想外の金額だった。
ガルドは店を出て行く前に、俺たちに鋭い視線を向けた。
「いいか、小僧に嬢ちゃん。借金問題がこれで片付いたわけじゃねえぞ。ああいう手合いはしつこい。金蔓(かねづる)だと見れば、何度でも湧いてくるからな。用心しろ」
「は、はい……」
「……もし、また何かあったら……」
俺が言いかけると、ガルドは肩をすくめた。
「用心棒が必要なら、冒険者ギルドを通すんだな。正規の依頼としてな。……ま、気が向けば、また寄らせてもらうかもしれん」
それだけ言うと、ガルドは今度こそ店を出て行った。その大きな背中を見送りながら、俺は大きく息を吐き出した。
店に、ようやく本当の静寂が戻る。
俺とリリアは顔を見合わせ、どちらからともなく、へなへなとその場に座り込んだ。
「……助かった……」
「……はい」
手の中には、ずしりと重い銀貨。これが、俺たちの血と汗(と恐怖)の結晶だ。
ゴロツキの問題は解決していない。借金も残っている。店の経営だって、まだ始まったばかりだ。
でも。
「……よし、リリア」
俺は立ち上がり、リリアに手を差し伸べた。
「この店、絶対に繁盛させて、借金なんてさっさと返しちまおうぜ!」
リリアは少し驚いた顔をしたが、すぐに力強く頷き、俺の手を取った。その手はまだ小さく、少し震えていたけれど、確かな温かさがあった。
「……はいっ、トール様!」
前途多難。それは変わらない。
だけど、今は確かな目標と、そして隣には信頼できる(かもしれない)仲間がいる。
スローライフへの道は遠いけれど、今はただ、この小さな店を守り、育てていくことだけを考えよう。
そう、俺たちの異世界ライフは、まだ始まったばかりなのだから。
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