アンサー

 食堂はこんなにも賑やかなものかと顔をしかめて、俺はスマホをいじっていた。タイムラインには周りの雑音とさして変わらないほどにくだらないものが溢れかえっている。それを上に流し、下に流しとしてるだけで、俺の貴重な時間はなんてことない画面の中に吸収されていってしまう。

 会社勤めの生活になってまだ半年も経っていない俺は、同じ部署になった同期の男と飯を食うのが日常になっていた。Aランチ、Bランチ、Cランチ、今日はどれにしよう。そんなことを考えるのは面倒だ。だから俺は、いつもカレーを頼む。

「明日、先輩と同行だってな」

「ああ、お前も午後そうだろ」

「まあな、先輩も俺とお前と変わりがわりで同行か。大変だよな」

 彼の口には、Bランチのライスの米粒がこべりついていた。

「まあ慣れたもんって言ってたぜ」

「そうなんかな。他の営業の人は電車になっちまって話が続かねえってロビーで愚痴ってたけどな」

 こいつは自分たちに対する愚痴だということに気づいていないのか、そんな疑問が湧いた。俺は皿のカレーを平らげ、再びスマホに目を向ける。

「でも、電車はわかりづらいよな。俺未だに東京の路線に慣れなくて」

「まーむずいけど、スマホがあればすぐ調べられるしな。ほら、最近アンサーに交通検索の機能も実装されたしさ」

 まあな、と言いながら、俺はスマホのアンサーを起動させる。AIシステムのアプリであるそれは、俺たちの生活すっかり根付くものとなっていた。

「アンサー」

 ピコン、という機械音。それと共にシステマチックな女性の声で、何でしょう、と呟かれる。

「D社のホームページ見せて」

 ピコン、という機械音と共に、スマホは自動的にネットに接続し、D社のホームページを開いた。

「お前も良くアンサー使うよな」

「だって、便利だからな。普通に」

 検索、質問、操作、タイマーと、アンサーを使えば声一つで様々なことが出来る。そしてその性能も、数年前より格段に精密になっていた。最新技術の恩恵に、俺はどっぷりと浸かっていた。

「まあ、あんまり使いすぎるなよ。バカになるぜ」

「うるせえ」

 席を立つ彼に、戯れのように罵声を浴びせる。周りは、未だに人と人との話し声の雑音にまみれていた。


「おい、ちょっとB社にこれを届けてくれ」

 先輩はいきなりそう言うと、茶封筒に入った書類を俺に押し付けた。

「俺ですか?」

「ちょっとこっちの手が離せなくてな。それに、もう何回も同行で行ったから大丈夫だろ」

 先輩はパソコンに目を集中させ、俺を見向きもしない。不貞腐れそうになる表情を押さえ込んで、俺は先輩の命令に頷いた。


 山手線に揺られ、目的地の新橋駅を降りた。周りには昼過ぎだというのにまだスーツを着たサラリーマン達でごった返している。彼らは皆手元の画面に釘付けだ。メールの返信を打っている者。急に掛かってきた電話に急いで出る者。道に戸惑い調べだす者。

「あれ、B社ってどう行くんだっけ」

 先輩の背中を追いながら取引先に足を運んでおり、ましてや今まで田舎町で育ってきた俺がすぐに道を覚えられるはずもなかった。右か、左か。方向すらわからない。俺は溜息を吐いて、ポケットからスマホを取り出す。

「アンサー、B社までの道のりを教えて」

 ピコンと聞き慣れた機械音が鳴る。

『B社までの案内地図を表示します』

 無機質な女性の声が響くと、画面にB社までの道のりが表示された。GPSから割り出された自分の現在地を、青い点を点滅させ知らせてくれる。俺はそれに従うままに、新橋の街を歩き始めた。


「戻りました」

 大きめの声を意識したが、周りの数人が頷くくらいの返事しか来ない。先輩は俺を見つけると、おう、と言いながら肩を叩いた。

「お疲れ。ちょっと遅かったな」

「すみません。道覚えきれてなくて、マップを見ながら歩いてたもので」

「おいおい。もう何回も行ってるんだから、いい加減覚えておけよ」

「すみません、気をつけます」

 小さく頭を下げると、先輩は、まあ頑張れよ、と言ってデスクへと戻っていった。俺も小さい溜息を吐きながら、先輩とは少し距離をとったデスクへと戻った。

「怒られてたな」

「うるせえな、しょうがねえだろ。覚えられないんだから」

 同期のパソコンには、整理してたのだろう名刺管理のアプリが開いている。俺だって他の社員だって、必要なことは全て画面の中に記録していく。営業だって車になればカーナビを使って取引先に行くんだ。機械に頼って何が悪い。機械を使って何が悪い。そうぐるぐると思考を回転させていると、まあ気を取り直そうぜ、と同期は他人事のように俺の肩を叩いた。


 水曜の一日は、あっという間に過ぎていった。口数少なくパソコンに向き合う先輩方に、俺はぼそりとお疲れ様ですの言葉を呟いて、オフィスを出た。

 出社九時、退社十八時、お手本のような定時帰宅なのに、脳みそはくたくたに溶けているようで、頭が何も働かない。働かせたくない。だから俺は、アンサーに頼ってしまうんだ。

「アンサー」

「何でしょう」

 いつもと違う音声が、俺の耳に響く。後ろを振り向くと、見知らぬ男性がにこやかな顔で立っている。

「何でしょう」

「いや、こちらこそ何でしょう……」

 気味の悪い男、瞬間的にそう思った。良く見れば真っ黒なシャツに真っ黒なスーツ、そして頭にはへんてこなメカメカしいキャップが被られている。どう見たって怪しい。

「ああ、失礼しました。私、アンサイというものでして、てっきり呼ばれたのかと」

「あ、なるほど。すみません」

 少々納得し難かったが、こいつと関わるのが面倒で適当にあしらった。足はもうクタクタで、早く家に帰りたい。

「アンサーをご利用になられていたんですね」

 面倒くさい、そう思いながらも俺は頷いた。男はまた笑う、それがどうにも奇妙でならない。

「良くご利用になられるんですか」

「ええ、まあそうですが。何ですか急に」

 おっと失礼。そう言って男は内ポケットに手を突っ込む。

「私、こういうものでして」

 渡された名刺を丁寧に受け取る。半年間で嫌でも身についてしまったビジネスマナーが、考えなしに体を動かしていた。名刺を良く見ると、株式会社アンサー、とあった。さっきまさに使おうとしていたアンサーの製作会社の名前だ。

「アンサー……」

「はい、ご愛顧いただきありがとうございます。それで本題なのですが、アンサーの次世代機の利用にご興味ないでしょうか」

「次世代機?」

 俺が疑問を呈すのをよそに、男は持っていたアタッシュケースを開く。中には男が着けているものと変わらないキャップのようなものが収まっていた。男はそれを取り出すと、受信機のような小さいアンテナを取り付ける。

「こちらは装着式のアンサーでして、使用者はこれを着けるだけで、言葉も発することなく必要な情報やアイデア、指示なんかもされる優れものです」

 アンテナは赤く光り、何かを受け取ろうとしている。俺はにわかにその機械が信じられず戸惑っていた。アンサーは使う、だがこれはどうなんだ、こんなものを使っていいものなのか。くるくると頭を回る疑問に男は気づいたようで、そっと笑顔を見せる。

「では、実際に試着されてみますか?」



 恐怖のあまり一心不乱に走り続けてしばらくすると、男の姿はもう見えなかった。試着を勧められて被らされる直前に、俺は間一髪振り切ることが出来た。息をぜえぜえと吐きながら、急いで俺はアパートに駆け込んだ。

「冗談じゃない。あんなもの被らされてたまるもんか」

 怪しさや不信感、そんなものでは現せない純然たる恐怖が俺を包み込んでいた。SFにでも出てくるような世界だ。頭を機械で覆われて、従いながら生きていく。そんな人生はごめんだった。俺は機械に操られてたまるもんか。俺が機械を操っていく立場だ。

「ほんと、たまったもんじゃねえ」

 頭がいっぱいいっぱいになっていると、ポケットからスマホのバイブ音が鳴る。画面を見ると、彼女からの着信だった。

「……ってことがあったんだよ」

 電話越しに、ほんと大変だったね、と彼女が呟いた。週一回の習慣のようになっていた電話に、ここまで助けられたのは初めてだ。奇妙すぎるこの出来事は、誰かに共有せずにはいられなかった。いつも電話しては、こうやって彼女へと一方的に話すのがいたたまれなかったのだが、どうしてもやめられない。それほど僕は彼女にも依存しているのだろう。

「ごめん、また俺ばっかり話しちゃって」

「いいのよ。私だって話聞いてもらうことあるんだからさ。それに、あなたのそういう自分の芯を持ってるところ、好きよ」

「ありがとう。またゆっくり君の話も聞かせてよ」

「そうね。じゃあまた」

 彼女が電話を切ると、俺はスマホを机に放り投げた。やっぱり、俺の選択は正しかったんだ。窓からは真っ暗な景色が溢れていた。気づけば時間も二十二時で、眠気も限界を感じている。

 俺はそのままうとうとと、時計の秒針が進む様を見ながらベッドへと沈んでいった。


 スマホから朝のアラームが鳴り響く。俺がそれを消すと、画面には滑らかな電子表示の数字が六時ちょうどを示していた。

「朝か」

 ベッドの軋む音を受けながら、俺は洗面台へと向かう。

「アンサー、テレビ付けて」

 電子音とともにスマホが反応をし、同期をしているテレビがニュース番組を映した。寝ぼけ眼で歯を磨いていると、ニュースキャスターの堅苦しい声が洗面台にまで響く。

「次に、本日より販売開始されました次世代型AI機、パーフェクトアンサーが巷では大きな話題となっています」

 パーフェクトアンサー、その言葉に耳が反応する。昨日の変なキャップの形を、俺は頭の中で反芻していた。

 ニュースの画面を見ると、昨日見たあのキャップと同じものを街中の人間が着けている様が映し出されていた。嬉しそうな顔、解き放たれた表情、それらに大きな魅力があるかのように、キャスターは口を走らせる。俺は唖然としながら画面越しのその光景に釘付けになる。

「嘘だろ」


 渋谷駅に着くと、街の半数ほどの人間たちがあのキャップを身につけていた。辺りにはパーフェクトアンサーのことを報道する人々と、多数のパーフェクトアンサーの広告が掲示されている。テレビカメラに捉えられて満更でもなさそうな女は、レポーターからの質問に丁寧に答えていた。

「本当に素晴らしいです。思い出したい内容はは言葉にせずとも、脳から直接信号を受信したアンサーが電気信号で回答を送信してくれるので、ストレスフリーで使用が出来ています。ですから、私は何も考えずに日常生活を送ることが出来ています」

 女性はアンサーから受信したのであろう回答文を、ベテランのアナウンサーの如く流暢な口調で話していた。情報も素人の使用経験を話している単調さがなく、詳細な情報も織り込んだわかりやすい説明だった。その姿に、レポーターも唖然とし、高性能な製品の誕生に人類が進化する日も近いかもしれません、とマイクに語り掛けていた。

「あれが、俺にも……」

 何故報道される前に俺の手に渡ろうとしてたのかはわからない。けれど間違いなく、俺はあの日あの男にこの機械を付けられかけたのだ。

「いや、でもさすがにだろ」

 やはり、この装置に俺が惹かれることはなかった。パーフェクトアンサーを付けてない街の人たちも、うらやましいような目で見つめる人と、怪しそうに眺める人とに分かれている。世間も、俺も、そこまで寛容ではない。


「お前、やっぱパーフェクトアンサー買うの?」

 会社に着いたなり同僚は、俺を興味ありげな目で見つめてくる。買わないよ、と一蹴すると、意外そうな顔をして、また俺を見つめてきた。

「お前、アンサーよく使ってるしさ。欲しがると思ってよ」

「さすがに、俺もあそこまで物に支配されるのは嫌だね」

「まあ、そりゃそうかもしれないけどさ……」

 ふと目を逸らす彼を、俺はそれとなく見つめる。社内はなぜかざわついていた。

「なんかあったのか」

「会社からの支給だよ」

「何が」

「さっきまで話してたアレだよ」

 アレって、という俺の声に反応するかのように、部長が朝礼だと声高らかに叫んだ。社員たちはひそひそと話すのをやめると、何事もなかったかのようにすっと立ち上がった。

「社内報で知っているものもいるかもしれんが、本日から全社員にパーフェクトアンサーが業務用に支給される。社内、または社外での業務の効率化のためにも、皆使用するように」

 そう言った部長は、朝とは思えない笑顔を見せつける。頭には今朝何人もかぶっていたあの装置があった。業務用なのか、装置の色は黒一色でそこまで目立たない。それがどこか、余計不気味に思わせてくる。

「俺も嫌だけど、社内で決まったことらしいぜ。もうどうしようもないよな」

「そんな……。会社がこんなものを採用するなんて」

 社内もざわついているものの、徐々に仕方ないといった様子でみんなパーフェクトアンサーを頭に被っていった。被った瞬間に取り付けられていたアンテナが赤く光る。その瞬間装置を被った社員たちは、電源が入ったかのようにてきぱきと働きだした。

「仕方ねえよな。俺たちはサラリーマンなんだからさ」

 同僚は、渋々といった表情で、装置を被った。赤い光とともに、装置が動き出す。彼はてきぱきとした動きを見せて、事務処理を始めていった。

「そろそろ行こうか」

 うろたえている俺に気を使ってか、優しげな声で先輩は俺に呟いた。柔らかい表情を浮かべている先輩の頭には、みんなと同じようにパーフェクトアンサーが取り付けられている。

「は、はい」

「あ、それと、パーフェクトアンサーはつけてけよ」

「わ、わかりました……」

 先輩の言葉に、俺は渋々パーフェクトアンサーを取り付ける。じりじりと小刻みに震え、電源が入っていくのを感じる。ダウンロード中です、という電子音が耳ではなく脳内に直接響き、ものの数秒でそのダウンロードは完了した。

『パーフェクトアンサー、始動しました』


 商談現場に到着した俺と先輩は、進められるがまま応接室のソファーに腰かけた。D社の社員が来るまでには、五分程かかる。そう言った受付の女性も俺たちと同じものを頭に被っていた。

「商談まで時間があるな。D社については調べてきたよな」

「ええ、ホームページや過去の資料は一通り」

「そうか。一応待ち時間でホームページを見ておこうか」

「はい。ではPCで早速……」

「ああ、違うよ。これ使え」

 そう言って、先輩はパーフェクトアンサーを叩いた。先輩のアンテナが赤く点滅すると、先輩は目を右へ左へと動かして、誇らしげな顔をした。

「使うって、どうやって……」

「取り扱い方法読んでないのか。調べたいことを頭で考えると、そのまま調べてくれるよ」

 先輩は俺にそう言いながら、机に用意された麦茶を口に入れていった。

「考えるだけで、か」

 俺は疑問に思いながらも、D社についてのことを考えた。

 すると、機械が振動を始めていく。脳が揺らされていくのを感じていると、電子音が脳に響いた。

『D社について、検索します』

 ぐるぐると頭が回る。脳が振動し、加速していく。それとともに、多くの情報が映像を見るかのように脳にインプットされていく。昨日調べたD社のホームページがすらすらと表示され、様々な情報が大量に脳にインプットされていく。その情報スピードに追い付こうとするかのように、目は右、左とぐるぐる回っていった。

「な、すごいだろこれ」

 全ての情報が流れ込んだ後に、先輩はそう言って俺の肩を叩いた。確かに、凄まじいほどの情報をこれほど簡単に知ることが出来るとは驚きだった。今までのどのシステムにも、ましてやスマホのアンサーにもなかった。もしかしたら、これは素晴らしい発明品なんじゃないか、そう思えるほどに。

「お待たせいたしました」

「いえ、とんでもございません」

 D社の社員は扉を開けるやいなや、にこやかに挨拶した。俺もお辞儀をするが、どうもいつもと違う商談に居心地が悪い。取引先の社員も俺たちも頭には変な装置を被り、あちらの社員に至っては資料やパソコンの類を一切持ってきていなかった。

「お宅の会社もパーフェクトアンサーを導入されたそうで。それにしても、便利になりましたよね」

「ええ、重宝しています」

「こちらもですよ。録音録画機能もありますし、コンピュータへの直接アクセスも出来て。今までみたいに重いパソコンを持ち歩いて、資料のデータを開く必要もないんですから」

 勉強になります、と先輩は大喜びの顔で頷いた。脳内には『メールを受信しました』という電子音が響く。自動でメールが開かれると、取引先の今回の資料が全て表示された。何もかも、手を動かさずに情報が流れていく。便利なんてもんじゃなかった。

「では、早速ですがメールを拝見頂きますでしょうか」

 俺と先輩はアンサー越しにメールをスラスラと読んでいく。文面も資料データも、読むというより流れて脳に入って行く感覚だ。俺はものの数秒の内に全てのデータを頭に入れることが出来た。

「今後のターゲットと致しましては、流行への感度の高い若者の女性をメインにした商材がよいかと思っております。データにもある通り、昨今の弊社の売り上げについても二十代から三十代の女性のお客様からの購入とリピートが伸びてきておりますし」

 スラスラと述べている最中にも、装置から赤いランプが点滅している。きっとあの時のインタビューを受けていた女性のように、アンサーによって作られた会話なのだろう。わかりやすく頭にすっと入る説明ではあるが、データを読み込む時の目の動きで、どうも説得力に欠けるような気もした。

「御社の企業力でターゲットに刺さるコマーシャルを発信していただければ、怖いものはないかと」

 さっと見せた営業スマイルに、俺も先輩も静かに頷いた。三つのパーフェクトアンサーの動作音が、会議室に虚しく響き渡る。商談をしてて、この時間が一番堪える。何を聞けばいいというのだ。

『この場合の適切な質問は、具体的なターゲットのペルソナについて、です。』

 脳内に響く声。俺はアンサーを使おうと思ってさえいないのに、急に答えを言ってきた。少し悩んだ挙句、俺は素直に従うことにした。

「それでは、具体的なペルソナを考えていきましょうか。おっしゃっていたターゲットといっても、千差万別です。具体的にはどのような層を狙っていきたいとお考えでしょうか」

「さすが。鋭いことを突きますな」

 目の前の取引相手は考え込んでいた。いきなりあんな質問をしなければよかったか、そんな風に頭の装置を恨んでいた。その時、目の前で取引相手は驚くような表情を浮かべた。

「我が社と致しましては、SNSの利用頻度の高いユーザーをターゲットにするのが一番ではないかと考えております。SNSでしたら口コミで波及的に知名度が広まっていきますし、実際我が社の商品もSNSでのブームによって売り上げ数を一気に伸ばしていった実績がありますから」

 右に、左に、目が動く。今までSNSのことなんて口にすら出したことのなかった取引先社員が、自信の溢れた様子で今までの動向を語っていく。そうか、あっちもパーフェクトアンサーの答えを話してるんだ。

「なるほど。そうしましたら、コマーシャルもSNSを中心にするのはいかがでしょう。例えばですが……」

 取引相手の話を聞き終わると同時に、先輩も饒舌に語り始める。気持ち良いくらいにすらすらと進む商談に、俺は呆気にとられていた。難しいことを考えずに、安心しきった答えだけを話し合えるこの状況はこれまで味わったことのない体験だ。今までのアンサーを使っていた感覚とは違う快感が脳を駆け巡り、考えることなく俺はその場に適応している。

「では、こちらの方向で今回は進めていきましょう」

「はい、よろしくお願いします」

 商談はあっという間に終わり、俺と先輩は取引相手に頭を下げていた。時間も十分もかかっていない。こんなにも早く、そしてこんなにも有意義な仕事の進め方に、その場の三人は酔いしれている。もうこの装置をつけたまま、暮らしていくだけでいい、そうとすら思えた。

 会議室を出てエレベーターに着くと同時に取引相手と俺たちは向かい合い、恒例儀式のように挨拶をしようとした。

 その時だ。俺も先輩も、取引相手も頭の装置を赤く光らせ、僅かな機械音を響かせた。


『表情にアクセスします』


 脳内に響く機械音。それと同時に勝手に表情筋が動き出し、張り付いた笑顔が出来上がっていくのがわかった。隣の先輩も、取引相手も、三人同時に寸分違わぬ笑顔で、綺麗なお辞儀をしていた。

 頭が掻き回され、理解が追いつかなかった。動揺する俺を余所目に、先輩は平然とした顔をしている。

「先輩……」

「ああ、成功だな。先方も喜んでた」

「いや、そうじゃなくて……」

 おかしいと思っていないのか、そう叫びたくなる俺に気づかず、先輩は平然とした顔を貫き通している。この違和感を共有できない先輩の背中が、どうにももどかしい。あの、と問いかけようとすると、先輩は急に振り返った。

「そうだ、今日飲みにでもいくか」

 優しそうに微笑む先輩。いつものように、気軽に俺を誘ってくれる。

 だが、違った。アンテナは赤く光り、機械音が微弱に響いている。いつもの先輩じゃない。機械に操られたような笑顔が、恐怖と不安を煽る。

 もはや、いつもの先輩の表情じゃなかった。

「先輩」

「おい、どうした」

 何の違和感も抱いていない先輩に呆然として、俺は膝から崩れ落ちる。

「大丈夫か。疲れてるなら直帰にしていいぞ。俺が言っといてやるから」

 気遣っているような表情。平坦な声。先輩からはどう映っているのだろう。もしかしたら俺も先輩と同じように……。込み上げてきた恐怖に任せて、俺は乱暴にパーフェクトアンサーを取り外した。

「すみません、お言葉に甘えさせていただきます」

 俺は半ば強引に先輩に装置を押し付けると、感情に任せてその場を駆け出した。

 人間が人間じゃなくなる。やがて機械に支配されていく。そんな夢心地だった光景が、今目の前で起こっていた。横断歩道を駆け抜けるたびに、見ず知らずの奴が装置を被って歩いている。

 俺はとにかく、走り抜けた。あの人の元へ行きたくて。俺がまだ人間であると信じていられるように。彼女に確かめてほしかった。

 スマートフォンを取り出す。あれほどまでに使い倒したアンサーを俺は使わずに、電話帳から彼女の携帯へと電話をかける。一つ、二つ、コールが鳴り止むと同時に、電話がとられた。

「……もしもし?」

「良かった。繋がった」

「ん? どうしたの?」

「ちょっとさ、どうしても会いたくて」

「もう。急に何よ」

「今、家?」

「ちょうど今用事が終わって帰ってるところ。あ、丁度今見つけた」

 電話が切られると、後ろの方から駆け足で彼女が近づいてきた。ワンピースに洒落た麦わら帽の井出立ちの彼女は、ラフな格好のまま俺に笑顔を向けていた。その笑顔に、胸を撫でおろす。

「どうしたの? いきなり家まで来て」

「いや、その……。俺、おかしくないかな」

「え?」

 彼女はじっくりと俺を見回しながら、あっ、と声を上げた。

「駄目だよ、もう」

 失望するかの表情、顔の方に差し出される手。やはり俺は、あの装置によって狂ってしまったのか。

「髪、ぼさぼさよ」

 彼女は笑いながら俺の髪を整えていく。照れているのか、目をキョロキョロさせると、じっと俺の顔を見つめる。

「そんなところも好きだけどさ」

 その瞬間、彼女はにっこりと笑った。その笑顔に、一抹の不安が頭をよぎる。表情も、セリフも、いつもの彼女らしくない。まるで演じているかのような……。

「まさか」

 彼女の麦わら帽を強引に引き剥がす。掌に収まりきらない膨らみの中には、あのパーフェクトアンサーが被られていた。

「どうして……」

「ん、何が?」

 装置の下に浮かぶ彼女の笑顔。こうなってしまうとどんどん信じられなくなる。本当の彼女の笑顔じゃない気がしてくる。むしろ彼女の笑顔のどれが本当なのかさえも、わからなくなっていくような気がしてきた。

 目の前の彼女が、まるで機械そのもののようだった。

 その瞬間、今までに感じたことのない絶望感と虚無感に襲われて、とにかくその場から抜け出したくて足早に駆け出していた。もはや何もかもが信じられなくなっていた。自分も使ったからわかる。機械に全てを委ねるあの感覚。パーフェクトアンサーを使っているんじゃない。あれはもはや……。

 無我夢中で駆け抜けて、気づくと渋谷の地へとたどり着いていた。遠くからもスクランブル交差点の信号が青く光っているのが見える。進めの合図に従って、足を緩めず駆け抜けていく。一つ二つ三つ、数々の人々が俺の方を向く。

「そんな」

 スクランブル交差点の真ん中。パーフェクトアンサーを着けていない人間は、俺一人だった。



「お疲れ様です。ご体験、いかがでしたでしょうか」

 はっと目を開けると、目の前には昨日会ったあの男がいた。真っ暗で誰も居ない路地の中、彼は相変わらずの不気味な笑顔を見せている。

「あんたは昨日の」

「ああ、そうですよね」

 嘲笑うかのような口振りに、俺は顔を歪ませる。それを見抜かれたようで、男は失礼といって俺の頭から装置を取り外した。

 取り外していたはずの、パーフェクトアンサーを。

「これは、どういうことだ」

「混乱してるようですね。無理もありません」

「おい、どうなってんだよ。さっき機械は先輩に渡してたはず。なんで俺の頭にそれがついてたんだ」

「簡単なことですよ。あなたには〝パーフェクトアンサーを使う先の未来〟を疑似体験していただいたのです。アンサーの機能によってね」

 当たり前のように笑う目の前の男に、俺は表情で問いかける。嘘だろ。今までの出来事は、現実のことじゃないということか。

「そんなことって……」

「ですが、それが事実です。あなたはこの装置の中で仮想現実を体験しただけ。けれどどうです。たしかにパーフェクトアンサーの作り出す未来は、とても素晴らしかったでしょう」

「ふざけんじゃない。あんな生活、たまったもんか」

 俺は剥き出しの怒りを、目の前の男にぶつけた。あんな機械に支配された未来が素晴らしいだと。あんなんじゃ傀儡となった人形とまるで変わらない。

「ですが、あなたも感じましたよね。今までのアンサーとは違うあの感覚。全てを委ねられるあの心地よさを」

 不敵な笑み。見透かすようなその笑顔。俺は男のその表情に心底怯え出した。あの瞬間、商談を体験していたその時。俺は確かにパーフェクトアンサーの全能感に酔いしれていた。何もかもが気持ちよく進んでいくあの快感を、俺の脳が何度も思い起こしていく。その度に二度と手に入らないその快楽を、もう一度欲しようとしているのだ。人間は何もかもを手に入れたくなる。人との温もりと全能感。その両者を天秤にかけた時、僅かに後者へと傾いていくのが、言い知れない恐怖となって自分自身を襲っていく。

「違う。そんなはずないんだ。俺は欲してなんかいない。俺は……」

 意味もなく男にそう叫ぶと、今度こそ逃げるように夜道を駆け出した。薄暗い街灯を一つ二つと通り抜け、帰り道かも危うい道を突き進む。路地は一直線に伸びていて、誰も通らない。嫌だ、嫌なんだ。悲痛の声を聞こえないくらいの大きさまで張り上げるのがやっとなくらい、俺は何かに怯えていた。そしてやがて灯が見え、そこへとまた全速力で走っていくと、見慣れた渋谷の街並みが見えてきた。とにかく逃れたい。早く家へと。その思いから一心に突き進んで、青になったスクランブル交差点を一気に駆け抜ける。ようやく逃れられる。パーフェクトアンサーなどない現実に、恐怖の感じさせない世界に。多くの人波をかき分けて走り抜ける。一人、二人、三人。数々の人とすれ違ったその時。俺ははっとして振り返る。

「嘘だろ。こんなことって」

 歩みを進める後ろ姿、その何人かは頭に装置をつけていた。見間違えるはずもない。あれは、パーフェクトアンサーだ。今わかるだけでも三人、いや五人。周りの人間は不思議そうに首を傾げて見ているが、彼らははたから見れば、とても幸せそうな表情をしている。表面上では、そこには恐怖など何一つない。

「そんな、こんなことって」

 あり得ない。あっていいはずがない。

「俺の選択は間違ってないだろ?」

 そうだろ、そうだと言ってくれ。

 虚しく誰にでもなく問いかけ続けていた俺の気持ちを察したかのように、ポケットから小さく声が響いた。

『何でしょう?』

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