第7話 目を瞑って、ゆだねて
ふたりきりになれる場所として選んだのは、ぼくの家の自分の部屋だ。
六面のモニターパネルと三台の
流石に生体AI
「楢原、ぼくのベッドで悪いけど、横になってくれる?」
「あっ……え? カナウのベッド? い、いい、いいの?」
「いいよ。早く寝て」
ぼくはそう言って、顔を真っ赤に染めた楢原ヒナタの肩を押し倒した。ばふ。家の布団は、常に布団乾燥機でケアしているから、大丈夫なはずだ。
「か、カナウ……待って」
ぼくを見上げる楢原ヒナタの細い喉が、上下に動くのが見えた。あれ。待って、待てよ。これ、もしかして誤解を招く状況なんじゃ?
楢原ヒナタの中にあるLifeLogを解析することしか頭になかったぼくは、楢原ヒナタの潤む瞳に見つめられてはじめて冷静さと一般常識を取り戻した。
ヤバい。楢原ヒナタの保護者がこの記憶を見たら、誤解を招きかねない。慌ててベッドから降りようとしたところで、楢原ヒナタがぼくの背中に手を回して引き寄せた。
柔らかな感触。それから、熱くて冷たい肌と指。気づけば、楢原ヒナタは涙を流さず泣いていた。
「わたし、あの夜、カナウから返事をもらったのか、どうなのか覚えてないの。もう、記憶がないの。どんどん消えてくの。……こわい」
「楢原……」
「カナウから、なにか答えを聞かなきゃっていうのは、わかってる。でも、なにを聞けばいいの? わたしはカナウになにを聞きたかったの?」
楢原ヒナタの情緒は不安定に揺れていた。思春期の乙女だから、だなんて理由が霞むくらい、明らかに。
無機質に光る黒い目、感情とはチグハグな表情を見せる顔。LifeLogが、正しい楢原ヒナタをエミュレートできなくなっているようだった。
「……楢原、目を瞑って。大丈夫、痛くしない」
ぼくは縋りつく楢原ヒナタの腕をそっと外して、さらりと流れる黒髪を掻き分けた。額と額をくっつけて、楢原ヒナタのこめかみを撫でる。トントン、トン。
ヴン、ティロン。ぼくの耳にだけ聞こえる起動音は、LifeLogとぼくの頼もしいパソコン達とを無線で接続した音だ。
「わかる? 今、ぼくと楢原はひとつになった」
「……うん、わかる。わかるよ、カナウ」
こうやって、LifeLog同士を無線で接続し合うのは、違法スレスレの方法だ。お互いの同意がなきゃいけない。
接続できたってことは、楢原ヒナタが、ぼくからの接続を全面的に許可してくれた、ということ。
「わたしのこと、調べて」
言われるまでもなく、ぼくはLifeLogを通して楢原ヒナタを構築するシステムを探る。
#最適化ログ:2094年2月12日Fri.
頬を撫でる風が冷たい夜だった。
学苑近くの公園は、見通しがよくて夜でも明るい。びゅう。また風が吹いた。腰まで伸ばした黒髪がバラバラと広がる。
髪くらいまとめておけばよかったかな、と後悔しながら、落ち着かない気持ちを象徴するような小包を抱えて彼を待つ。トントン、トン。無意識に爪が小包を叩く。
カナウは小学生のころに、壊れてしまったわたしのペットロボットの**を魔法のように一瞬で直してしまった凄い男の子だ。
でも、ちゃんと話したのは、それくらい。だって、憧れの——重度のストレスを感知。記憶を最適化しました。
——重度のストレスを感知。記憶を最適化しました。
——重度のストレスを感知。記憶を最適化しました。
2094年になっても、バレンタインデーは廃れることなく続いてる。
昔は友チョコだとか自分チョコだとか。そういうのが流行っていたみたいだけど、一周回って告白チョコに戻ってきた。
言う。言おう。今日こそ**するんだ。
決意を新たに小包を抱き直す。トントン、トン。落ち着かない。そこへ、わたしの——重度のストレスを感知。記憶を最適化しました。
——重度のストレスを感知。記憶を最適化しました。
——重度のストレスを感知。記憶を最適化しました。
LifeLogで記憶の最適化をしたわけじゃないのに、頭の中が真っ白に染まってゆく。
「あっ、あのね。わ、わたし、——重度のストレスを感知。記憶を最適化しました。
——重度のストレスを感知。記憶を最適化しました。
——重度のストレスを感知。記憶を最適化しました。
#以降の記憶は最適化されました。
#更新日:2094年5月12日 11:08:32
楢原ヒナタの記憶は、もう断片化していて手の施しようがなかった。
記憶は虫食い状態で、最適化された記憶は量子暗号化された上で圧縮保存されている。
LifeLogが最適化した記憶を完全に消去することは、今のところ、ない。
けれど、ひとりの人間が保有できるデータ量は決まっているし、昔の人間は大事なことも、そうでないことも、適度に忘れながら生きてきた。
いつ、LifeLogの仕様が変わって、最適化された記憶が完全に消去されるかなんて、わからない。
今のぼくじゃ、無理だ。今のぼくじゃ、なにもできない。
「楢原……」
ごめん、と言いそうになった言葉は呑み込んだ。だって、楢原ヒナタは、ぼくに謝ってほしい訳じゃないと知っているから。
でも、ごめん、と言いたかった。
楢原ヒナタにとって、ぼくの存在自体が、最適化に値する高負荷ストレスの源だって、本当は、検討がついていたから。
だって、渡された動画データにはっきりと記録されていたじゃないか。
——重度のストレスを感知。記憶を最適化します。
LifeLogは、脳に負荷がかかる記憶を優先的に最適化してゆく。
自動最適化プログラムというやつだ。プログラムで消去してゆく記憶が、ネガティブな記憶か、ポジティブな記憶か。そんなことは判断せずにClearしてゆく。
ぼくの鼻の奥が、ツンと痛くなる。込み上げてくる嗚咽を呑み込んだのに、涙腺から涙がこぼれ落ちてゆく。ぽた、ぽたた。楢原ヒナタの柔らかな冷たい頬に、ぼくの熱い涙が落ちてゆく。
楢原ヒナタにとっても、ぼくにとっても。三ヶ月前のあの夜は、システム的に高負荷な記憶になっていた。それこそ、システムに「重度のストレス」と判断されるくらいの。
だからぼくはあの日、LifeLogの記憶の最適化をオフにしたんだ。
ぽた、ぽたり。涙が止まらない。そっと目を開ける。楢原ヒナタは目を瞑ったまま。ぼくが流した涙が楢原ヒナタの頬に、目元に、静かに落ちる。
まるで楢原ヒナタも涙を流して泣いているようだった。ぼくはずず、と鼻を啜った。そうして楢原ヒナタとの接続を切りながら、ゆっくりと額を離す。
「カナウ……わたし、カナウのこと、ずっとずっと、覚えていたい」
ぼくは、ぱちり、と目を開けた楢原ヒナタに、できるだけ柔らかく微笑んだ。
「……楢原のLifeLogのシステムをハックして、記憶を書き換える」
そう言ったぼくの顔が、正しい笑みを浮かべられていたかは、ぼくも知らない。
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