第7話 再会
◇◇◇
「……リナさん、ちょっといいかしら」
撮影後、事務所に戻ったリナに、佐藤が声をかけた。
その手には、一通のクリーム色の封筒が握られている。
「ファンレターなんだけど……少し、普通じゃないというか……
あなたに直接渡した方がいいかと思って」
佐藤は、慎重な口調で付け加えた。
「差出人は、ナツキさん、という方よ。握手会の時の最後の男性の……」
「ナツキ……」
その言葉に、リナの心臓が跳ねた。
あの日、彼女の心に深く突き刺さった、あの青年。
ゴクリと息を飲み、震える手で封筒を受け取る。
佐藤は心配そうに、しかし静かにその場で見守っている。
リナは静かに封筒から便箋を取り出し、折り畳まれたそれに目を落とした。
丁寧な、少し硬い筆跡。読み進めるうちに、リナの表情が変わっていく。
『……特別な繋がり、あるいは共鳴のようなものを感じた気がいたしました……』
『……もし、万が一にも、リナさんご自身も、あの時や、あるいは最近になって、
何か説明のつかない感覚や、心当たりのようなものを感じていらっしゃることがあるのでしたら……』
(……!)
彼が使っている言葉が、まるで自分の心の中を言い当てているかのように、正確に響く。
あの握手の瞬間、自分が感じた、説明のつかない感覚。
それを、彼も感じていた……?
(気のせいじゃ、なかったんだ……!)
自分だけがおかしいのだと思っていた。
疲れているか、感傷的になっているだけなのだと。
でも、違った。彼も、同じように感じていた。
その事実は、リナにとって衝撃であり、
そして、暗闇の中で探し求めていた灯りを見つけたかのような、強い安堵感をもたらした。
この耐え難い喪失感の理由が、彼なら分かるのかもしれない。
手紙の最後にある
『お話しさせていただく機会をいただけないでしょうか』という一文。
普通のファンからの申し出なら、警戒して然るべきだろう。
佐藤も、だからこそ迷いながら持ってきたに違いない。
しかし、今のリナにとって、この手紙は、ただのファンレターではなかった。
これは、自分を苛む喪失感の謎を解く、唯一の手がかりかもしれないのだ。
彼に会わなければ。
この苦しみから解放されるためには、彼と話すしかない。
リスクはある。
でも、それ以上に、知りたい──
そしてこの苦痛から解放されたいという欲求が、彼女の中で燃え上がっていた。
リナは、手紙を握りしめたまま、顔を上げた。
その瞳には、迷いを振り切った、強い意志の色が宿っていた。
「佐藤さん……この人に、会ってみようと思う」
「えっ、リナさん、本気? 大丈夫なの? ちょっと普通じゃない手紙よ?」
佐藤は、驚きと心配を隠せない様子でリナを見た。無理もない。
普段なら、リナ自身もこんな提案はしないはずだ。
「わかるんだけど……」
リナは落ち着いた、しかし有無を言わせぬ声で答えた。
「でも、この手紙、無視できない気がするの。すごく誠実な感じがしたし……
彼が感じたっていう『繋がり』、私も何か、心当たりがあるような気がして……。
ただ、少し話を聞いてみたいだけだから」
彼女は、自分の内にある混乱や喪失感のすべてをマネージャーに話すことはできなかったが、
その真剣な眼差しは、これが単なる気まぐれではないことを佐藤に伝えていた。
佐藤はしばらく考え込んだ。
リナの最近の様子、そしてこの手紙の奇妙な真摯さ。
何か、普段とは違うことが起こっているのかもしれない。
(……分かったわ)
佐藤はため息をつきながらも、頷いた。
(ただし、万全の注意を払わないと……)
「条件がある。会うのは、人目のあるホテルのラウンジカフェで、昼間の時間だけ。
私も、少し離れた席で同席させてもらうわ。それと、時間は厳守。それでいい?」
「ありがとう、佐藤さん! それで十分よ」
リナはほっとした表情を見せた。
問題は、どうやってナツキに連絡を取るかだ。
手紙には、彼の名前以外、連絡先は書かれていない。
佐藤は、握手会の際の参加者控え(特典当選者のみ、簡単な連絡先を登録する場合がある)を
事務所の記録から探し出し、幸運にもナツキのメールアドレスを見つけることができた。
◇◇◇
佐藤は、事務所の公式なメールアドレスから、ナツキへ慎重な文面でメールを送った。
『ナツキ様
先日は心のこもったお手紙、誠にありがとうございました。
リナ本人も拝読し、大変感謝しておりました。
つきましては、もしご都合がよろしければ、一度、短時間ではございますが、
直接お礼を申し上げる機会を設けさせていただきたく存じます。
ただし、場所や時間等、いくつか条件がございますこと、ご了承ください。』
メールには、いくつかの候補日時と、都内のホテルのラウンジカフェが指定されていた。
ナツキの元に、所属事務所からのメールが届いたのは、手紙を送ってから数日後のことだった。
◇◇◇
<視点:ナツキ>
差出人を見た瞬間、心臓が跳ね上がった。
震える手でメールを開き、その内容を読んだ時、彼は息をのんだ。
(……会える!)
リナが、手紙を読み、そして、会うことに同意してくれた。
信じられないような展開に、喜びと安堵で全身の力が抜けるようだった。
あの拙い手紙が、彼女の心に届いたのだ。
しかし、喜びも束の間、すぐに強烈なプレッシャーと不安が押し寄せてくる。
会って、何を話す?
「特別な繋がり」について、どう説明する?
融合のことなど、絶対に話せない。
けれど、嘘で誤魔化すこともできない。
彼女を前にして、自分は平静を保てるだろうか。
また、あの時のような強い感情に襲われるのではないか?
再会の日まで、ナツキは生きた心地がしなかった。
頭の中では、来るべき会話のシミュレーションが際限なく繰り返される。
どうすれば、彼女を怖がらせずに、自分の誠意を伝えられるか。
どうすれば、あの「繋がり」の核心に、少しでも触れることができるのか。
喪失感に苦しんでいるかもしれない彼女に、何と言葉をかければいいのか。
◇◇◇
<視点:リナ>
一方のリナもまた、落ち着かない日々を過ごしていた。
ナツキという青年に会う。
その約束が、彼女の心に、希望と同時に大きな緊張をもたらしていた。
(彼に会えば、何かがわかるかもしれない……)
その期待が、日増しに強くなる。
あの喪失感の正体が、ついに明らかになるかもしれないのだ。
この苦しみから解放されるかもしれないのだ。
同時に、不安もあった。
もし、彼がただの思い込みの激しいファンだったら?
期待が外れた時の失望は、きっと大きいだろう。
そして、このことを恋人のハヤトに話していないことへの、小さな罪悪感も感じていた。
だが、これは恋愛とは違う、自分自身の、もっと個人的で、根源的な問題なのだ。
まずは自分で確かめなければならない。
リナはそう自分に言い聞かせた。
そして、約束の日がやってきた。
◇◇◇
指定されたホテルのラウンジカフェ。
落ち着いた照明と、静かなクラシック音楽が流れる、上品な空間。
ナツキは、約束の時間より十分も早く着き、窓際の席で硬くなっていた。
心臓は、今にも口から飛び出しそうだった。
冷たいアイスコーヒーのグラスを持つ手が、わずかに汗ばんでいる。
やがて、入り口に、見慣れたシルエットが現れる。
リナだ。
ベージュのワンピースに身を包み、緊張のためか少しこわばった表情をしている。
隣には、鋭い視線を周囲に配る、マネージャーの佐藤さんの姿もある。
リナは、店内を見渡し、すぐにナツキの姿を捉えた。
佐藤さんは、アイコンタクトの後、少し離れたテーブルに静かに腰を下ろす。
リナは、深呼吸を一つすると、ナツキの待つテーブルへと、
ためらうような、しかし確かな足取りで、ゆっくりと歩みを進めてきた。
二人の視線が、再び交差する。
握手会の時とは違う、もっと長く、探るような視線。
互いの瞳の奥にあるものを見極めようとするような、緊張に満ちた時間。
いよいよ、彼らの、二度目の対面が始まろうとしていた。
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