第6話 手がかり

◇◇◇


<視点:リナ>


握手会が終わった後も、リナの心はざわめいていた。

最後に来た、あの青年。ナツキ、と言ったか。彼の手のひらに触れた瞬間の、あの奇妙な共鳴感。

そして、彼の瞳の奥にあった、何かを知っているかのような深さ。


(……なんだったんだろう、あの感覚)


控室に戻っても、一人ソファに沈み込んでも、彼のことが頭から離れない。

初めて会ったはずなのに、忘れられない既視感。

そして何より、彼に触れた瞬間に、あれほどまでに強く込み上げてきた喪失感。


まるで、彼自身が、私の失われた何かの一部であるかのように感じられたのだ。


これまで感じていた漠然とした喪失感が、あの瞬間、輪郭を持った気がした。

まるで、失ったピースの形が、彼という存在によって、一瞬だけ照らし出されたかのように。


(彼に会えば、この喪失感の理由がわかる……?)


そんな、突拍子もない考えが浮かぶ。馬鹿げている。彼はただのファンの一人だ。

少し、印象が強かっただけ。そう自分に言い聞かせようとする。


けれど、心の奥底で、一つの確信めいたものが芽生え始めていた。

あの喪失感を埋める鍵は、彼が握っているのかもしれない、と。


理由はわからない。根拠もない。

でも、あの共鳴感、あの瞳、あの喪失感の急激な高まり……

それらが、彼女の直感を強く刺激していた。


このまま、理由のわからない喪失感を抱えて生きていくのは、もう限界かもしれない。

どうすれば、彼にまた会える?


スタッフに聞いても、参加者の個人情報は教えてもらえないだろう。


リナは、混乱していた。

しかし、同時に、微かな希望のようなものも感じていた。


あの喪失感の正体を探る、唯一の手がかり。

それが、先ほどの彼なのだとしたら……。


この不可解な感覚の正体を突き止めたい。

そして、この途方もない喪失感を、どうにかして埋めたい。


◇◇◇


<視点:ナツキ>


あの日、握手会でリナと対面してから、僕の喪失感は質を変えていた。


彼女の瞳に宿った揺らぎ、手のひらに感じた微かな共鳴。

あれは、一方的なものではなかったのではないか?


彼女もまた、何かを感じ、そして今も、理由のわからない虚しさに苛まれているのではないだろうか?


(僕が、彼女の日常を乱してしまったのかもしれない……)


融合し、彼女の人生を体験し、そして一方的に離脱した。

その影響が、彼女の中に「喪失感」として残ってしまったのだとしたら?


その可能性を考えると、罪悪感が僕を襲う。


彼女は、僕が原因で苦しんでいるのかもしれない。


このままではいけない。

彼女の写真を眺めているだけでは、何も解決しない。

僕自身も、この虚しさから抜け出せない。


そして、もし彼女が苦しんでいるのなら、それも放置できない。


(話さなければ……でも、どうやって?)


「実は君と融合して……」なんて言えるはずがない。狂人だと思われるだけだ。


でも、何か伝えなければ。


あの握手の瞬間に感じたこと、彼女の存在が自分にとってどれほど大きなものだったか。

そして、もし彼女も何かを感じているなら、その感覚を共有したいと。


考えあぐねた末、僕は一つの可能性に賭けることにした。ファンレターだ。


(メールやSNSのDMじゃダメだ。人気モデルの彼女宛てじゃ、どうせ大量のメッセージに埋もれるか、スパム扱いされて読まれずに終わるのがオチだ。

事務所宛の、ちゃんとした手紙なら……もしかしたらマネージャーの目に留まって、本人に渡してもらえる可能性が、少しはあるかもしれない。

それに、この方が、僕の真剣な気持ちも伝わるかもしれない……)


無視される可能性の方が高い。それでも、何もしないよりはましだ。


僕は、言葉を選びながら、慎重にメッセージを書き始めた。


融合の核心には触れられない。けれど、あの瞬間の「特別さ」だけは、伝えなければ。


『拝啓 リナ様


先日は、ファン感謝デー握手会にて、貴重な機会をいただき、誠にありがとうございました。

最後にお時間をいただいた、ナツキと申します。


短い時間ではありましたが、リナさんと直接お会いし、言葉を交わせたことは、

私の人生にとって、本当に、言葉では言い表せないほど大きな意味を持つ出来事となりました。


差し出がましいことをお許しいただければ、もう一つだけお伝えしたいことがあります。

あの握手の瞬間、大変失礼ながら、私は何か……

とても特別な繋がり、あるいは共鳴のようなものを感じた気がいたしました。


もちろん、それは私の勝手な思い込み、ファンの感傷に過ぎないのかもしれません。


ですが、もし、万が一にも、リナさんご自身も、

あの時や、あるいは最近になって、何か説明のつかない感覚や、心当たりのようなものを感じていらっしゃることがあるのでしたら……。


ただのファンの戯言と聞き流していただいて、全く構いません。


ですが、もし少しでも私の言葉に引っかかるものがおありでしたら、

改めて、この感謝の気持ちと、あの時感じたことについて、ほんの少しだけでもお話しさせていただく機会をいただくことは叶わないでしょうか。


もちろん、ご多忙とは存じますし、このような一方的な手紙、大変失礼とは承知しております。

ご無理なお願いであることは重々承知の上です。


末筆ながら、リナさんのますますのご活躍を、心よりお祈り申し上げます。


敬具

ナツキ』


融合のことは伏せ、それでも必死に、あの繋がりの一端だけでも伝わるように。

誠意と敬意を込めて。


書き上げた手紙を、僕は震える手でポストに投函した。

祈るような気持ちで。


◇◇◇


<視点:佐藤(マネージャー)>


数日後、事務所にて。


マネージャーの佐藤は、ファンから届いた手紙の山に目を通していた。

ほとんどは定型的な応援メッセージや、近況報告だ。


モデルの人気が上がるにつれ、その数は増える一方だが、

目を通すのはマネージャーの重要な仕事の一つだった。


その中で一通、妙に丁寧で、そして切実さが滲む手紙に目が留まった。

握手会で最後に対応したファンだという。「ナツキ」と名乗る青年から。


(ナツキ……あの時の……)


佐藤は、握手会での彼の真剣な目つきと、その時のリナの微かな動揺を思い出していた。


手紙を読み進める。


『特別な繋がり』『共鳴』──。


普通なら、少し距離を置くべき、熱心すぎるファンの言葉だ。

本人には見せず、事務所で処理するのが定石だろう。


しかし、佐藤は迷った。


最近のリナの様子が、やはりどこかおかしいのだ。


仕事は完璧にこなしている。むしろ以前より安定しているように見える時もある。

だが、ふとした瞬間に見せる、深い喪失感を湛えたような瞳。


あの握手会の日あたりから、その傾向が強まったような気がしないでもない。


(まさかね……あの青年が、リナさんの不調と何か関係が……?)


考えすぎかもしれない。ただの偶然だろう。

でも、この手紙の、奇妙なまでに真摯な言葉遣い。


そして──


「もし、リナさんご自身も、何か説明のつかない感覚や、心当たりのようなものを感じていらっしゃるなら……」


という一節。


これが、今のリナの心に、何か響く可能性はないだろうか。


リスクはある。過度な期待をさせてしまうかもしれないし、ストーカー的なファンだったら危険だ。

でも、もしこれが、彼女の不調の原因を探る、わずかな手がかりになるのだとしたら……?


マネージャーとして、彼女のメンタルケアも重要な責務だ。


佐藤は小さくため息をつき、その手紙を他の手紙とは別にして、リナに直接渡してみることに決めた。

もちろん、細心の注意を払う前提で。

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