17.刻まれる時間 -唯香-



夏休み後半は、

病院で入院生活。




毎日のように

顔を出してくれる百花。





そしてコンクールを

間近に控えながらも

一日に一回は顔を出してくれる

私の大切な教え子。




宮向井くん。




クラスの誰一人として

私のお見舞いに

来る子なんていないのに、

物好きだよね。




なんて百花に零したら、

百花には呆れた顔をされちゃった。





ベッドの上だけの生活は退屈。





相変わらず、

失われているらしい記憶は

戻ってない。



時折、今も頭の中は

靄がかかったみたいで

ズキンと痛みが突き刺すけど

それ以外は安定している。




階段からドジして

痛めた足も、

日常生活には支障がない程度に

回復した。




そろそろ退院して、

学校に戻らなきゃ。





二学期が

始まっちゃう……。





「唯ちゃん、

 今日の調子はどう?」




今日も午後から、

いつものように病室に

顔を覗かせてくれる

学級委員長。





「毎日、

 無理してこなくても大丈夫よー。

 

 先生も、

 大分落ち着いたから」


にっこり笑顔を見せながら

言い返す私。




「って言うか、

 待ってても唯ちゃん

 レッスン室に来ないじゃん。

 

 だったら俺が行くよ」



宮向井くんは、

ベッドサイドのテーブルに

自分の鞄からノーパソを

取り出すと

いつものように電源を入れる。





ノーパソが素早く起動すると、

そこから自分が演奏している

コンクール用の

ピアノの練習風景の

動画を順番に再生していく。





「唯ちゃん。

 前、指摘された18奏。


 ちょっと弾き方変えてみたんだ」





ノーパソのスピーカーから

流れてくる音は決していい音とは

いえないけれど映像に映る、

彼の微妙な鍵盤タッチの違いが

その進化を確実に物語ってた。





「いいんじゃない?


 無駄な力が抜けてきている感じが

 伝わってくるわ。


 この曲は、緊張すればするほど

 指が縺れてしまうのよね。


 この曲だけに限らないけど

 先生は、

 難しい曲本当に力んじゃうのよ。


 宮向井くんも最初は、

 力が入ってたわね。

 

 少しずつ、その無駄な力は向けて

しなやかに動くようになってきたけど

 部分的には、力んでる部分もあったから

 心配してたけど、理想通りの完成に

 確実に近付いているんじゃないかしら」




彼が弾きこんできた動画を

何度も何度も再生しなおしながら

この場所からレッスンを付けていく。




そうこうしていると、

瞬く間に時間が過ぎて

主治医が顔を覗かせる。




「こんにちは。

 今日はどう?」


「大丈夫ですよ」


「時折、経過観察をしたいので

 通院はして頂きたいですが、

 そろそろ退院しますか?」



突然の主治医の申し出に、

私は、思わずコクコクと頷く。





病院生活、退屈だし。



ピアノ弾きこみたいし、

彼のコンクールの

最終調整もしたいし。 




寝てるだけの

無駄な時間なんて

私にはないもの。




「やったじゃん。

 先生、退院決まってさ」



主治医と私の会話を受けて

宮向井くんも

嬉しそうに会話に入り込んでくる。




「難しそうなの弾いてますね。


 唯香さんの

 自慢の教え子さんなのかな?」


「えぇ。


 私の初めて受け持った

 自慢の教え子さんなんです」




思わず力説しちゃう。




「私も音楽はヴァイオリンを

 少し嗜みますが、

 ラフマニノフは奥深いですね。

 

 唯香さんの体調も良さそうですし、

 病院のピアノで

 良ければ使われますか?」



主治医の先生の突然の申し出に

私はトキメイテ頷く。




急遽、私たち二人は

裕先生に連れられて、

大学病院の敷地内の一室に向かう。



その場所は、

ちょっとしたホールになっていて

ステージ中央には一台のピアノ。




「ここって」


「記念館です。


 1ヶ月に一度、この場所で

 私の後輩が運営している

 オーケストラを招いて

音楽療法も兼ねて、

 音楽会をしているんです。


 このホールは

 そのための場所です」



裕先生がゆっくりと

そのピアノの場所へと向かっていく。




ステージ中央に聳えるのは

コンサートグランドピアノ。




漆黒のボディが

ライトを受けて輝いている。





裕先生が

蓋を静かにあけると、

通常の鍵盤数よりも長い

鍵盤が広がっていて。




低音部の端に、

真っ黒い鍵盤が顔を覗かせている。





「唯ちゃん、これって」




思わぬ、代物の登場に

宮向井くんも私も絶句。



「ベ-ゼンドルファー・インペリアル」



二人声を揃えて、

そのピアノの名を紡ぐ。




「私の後輩が、

 このピアノしか使わないので

 ここにも設置したんですよ。

 

 コンクールに向けてなら、

 このピアノも触っておくほうが

 いいですよね」




裕先生は、

にっこりと微笑んだ。



裕先生との会話を

続けている間に宮向井くんは、

そのピアノの前に早々と座ると、

その場でコンクールの曲を奏で始める。





「今日の夕方、

 都合がつけられるので、

 私も彼の練習を付き合いますよ。


 唯香さんの退院祝いの前渡しがてら。


 無理しない程度に、

 ピアノ使ってください」




裕先生はそう言うと、

ホールを静かに出ていく。





広いホール、

二人きりの時間。




いつものように

真剣な表情を浮かべる

彼の隣、私もピアノの前に立って

彼が紡いでいく、

指先の隅々までを確認していく。




必死になる時間はとても早く、

そしてお互い、

汗まで滲ませながら。






「唯ちゃん。


 これでどう」




一曲を頭から最後まで

弾きつくした彼は、

少し呼吸を整えながら

私の方を見る。





「ここまで、本当に

 良く頑張ったわね」





彼を見て、

私は心からの言葉をかける。




ふと、ホールの真後ろの扉が

ゆっくりと開く。



そこから、楽器を片手に

何人もの人たちがステージの方へと

向ってくる。




思わずピアノの前で

立ち上がって眺めていると、

この場所に連れて来てくれた

裕先生の姿を確認する。




「遅くなったね、唯香さん。


 あれからずっと、

 練習続けてたのかい?


 もう六時間以上は過ぎてるけど……」



そう言って

近づいて来る裕先生。




「高臣、宝珠、彼と彼女の

 練習の手伝いをして貰えないかな?」




主治医がそう言うと、

たおやかな表情を浮かべる、

黒髪の女性と見間違えそうな男性。


その隣に立つ、

少し勝気で高飛車な女の人。





あれ?


この人たち、何処かで。




「えぇ、裕お兄様。


 私たちも、

 存じていますわ。

 

 そのお誘いを受けて参りましたもの。

 

 さぁ、楽団の皆様、支度を。


 貴方、曲目は

 ラフマニノフの

 パガニーニの主題による狂詩曲 作品43。


 で宜しくて?」




突然、同意を求められて

思わず、頷く。



裕先生に宝珠と呼ばれた

その女性の人の指示の元、

瞬く間にオーケストラは形成される。





「貴女、裕お兄様の患者さんで、

 唯香さんだったかしら?

 

 どうぞ、こちらへ」




宝珠さんの勢いに流されるように

裕先生の隣席へと座る私。




「さっ、皆さま。

今回のゲスト・ピアニストはこの方。


 國臣のピアノとは違うでしょうが

 

 皆様、宜しくお願いします。

 君も、ご挨拶を」



女性の勢いに押されつつも、

宮向井くんは

自分の名を堂々と名乗り、

一礼して、ゆっくりとピアノの椅子に座った。



流れるように、

タクトが振り下ろされて

彼の初めての、

オーケストラとの合同練習が

思いがけない形で行われる。

 




聞き慣れた曲。




その曲を耳にしながら、

私の中で、

辿り着いた一つの答え。






「えぇぇぇぇぇぇっ!!」







演奏中なのに、

その音色を奏でる正体を知って

私は反射的に雄叫びをあげる。




慌てて、

口元に手を抑えて

落ち着かせる。





「D…DTVT」




目の前で、

宮向井くんと共に演奏しているのは、

神前悧羅学院を

卒業した世界のオーケストラ。



うちの母校の大先輩たち……。





ってことは、

今、私の主治医してる裕先生も

伝説築いてる、あの人?




そんな彼らと演奏しても

全く動じず、ひけをとらない

宮向井くんの堂々とした演奏。





入院生活最後の日。





裕先生公認の元、

豪華で充実した

レッスン時間を過ごし

翌日、私は退院の日を迎えた。






退院の翌日から、

仕事にも復帰し

二学期が始まった。







二学期になって変わったこと。




それはピアノ講師としての限界。




入院生活最終日、

世界のDTVTと合奏しても

堂々たる演奏を見せつけた

宮向井くん。



渡り合う姿は凛々しかったけど、

同時に私は、自分の限界を知る。




もう……彼にこれ以上、

私が教えれることなんてない。




そんな限界に気が付いてしまった私は、

学校内で、彼を避けるように

行動してしまう。





隠れる必要なんてない。



いつまで経っても、

私は彼の学校の先生であることは

変わらないのに。




彼の才能と実力を

突きつけられるとやっぱり、

私もショックも大きくて。 




先生ぶって慕ってくれる彼に

いろんなことを教えてきたけど

彼には、そんなことすら

必要じゃなかったんじゃないかって

思えるほどに羨ましくて。







……心、狭いな……






なんて感じつつ、

彼との距離を

自ら開いてしまう私。







彼の方もそんな私に

気がついたのか

私から離れて『唯ちゃん』っと

私のことはを、

呼ぶこともやがてなくなった。









先生と生徒。







それ以上の関係では

なかったと思うのに

彼が私の名を

呼ばなくなるだけで

どうして、こんなにも

寂しく感じてしまうんだろう。













それでも時間は過ぎていく。





半袖の季節が過ぎて、

衣替えが終わる頃、


彼とすれ違った時間のまま、

コンクール本選まで、

残り、後三日に迫ってた。







複雑な想いの中、

時間だけは

確実に刻まれていく。










いつもの

有り触れた日常。 

 





有り触れた日々が。







その有り触れたものが

こんなにも

愛おしく感じるなんて。







思いもしなかった。



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