6.2つの心-雪貴-



「雪貴、起きろよ。

 今日も学校だろ、もうすぐ6時だ」



体を揺すりながら、

俺を呼ぶ声が聴こえて、

重怠い体をゆっくりと兄貴のベッドから起こす。


視界に映るのは……託実さん……。



慌てて「託実さん……」っと名を声にした。



「昨日連絡できれば良かったんだが、

 今日の夜、霞ヶ丘でシークレットが決まった」


「霞ヶ丘……兄貴たちがインディーズの頃から世話になってますよね。

 今日は5月18日。


 あぁ、ライヴハウスが出来た記念日なんですよね。

 いいですよ。


 試験前だから、夕方17時までには解放されると思うんで。

 俺、現地集合でいいですか?


 今日のセトリだけメールください」




あっ……空白の時間になってたスケジュールだけど、

いきなりAnsyalのシークレット。



託実さんの用事は、俺にとって心をざわつかせる。



そんな心を隠しながら、

ベッドに眠る兄貴の顔を覗き見て、何でもないように答える。



「悪いな、雪貴。

 送ってくよ、いったんマンション戻るだろ」




そう言って託実さんは、俺を病室から出るように促すと、

先を歩く俺を追いかけるようにして、駐車場へと誘導した。



託実さんの愛車に乗り込んで、マンションまで送られた後は

そのまま学院まで送り届けて貰う。



愛車に乗り込んで、雪貴をマンションに送り届け

ついでに学院まで送った後は、事務所の地下スタジオへと向かう。




そのまま学生生活を過ごした午後。



セトリメールだけ受信されてきた。


すぐにメールを確認して、

俺自身も演奏のイメージトレーニングを行いながら、

集中しきれない俺もいる。



Takaになりきれない俺。


AnsyalのTakaは、

兄貴のコピーじゃないといけないのに、

俺は……俺自身でありたいと何処で臨んでる。



手に入れたばかりの唯ちゃんのメールアドレス。



AnsyalのシークレットLIVE情報を

唯ちゃんにメールしてやるか否か。




何かのきっかけで、

Ansyalを利用するのは楽かもしれない。



だが……それは、

Taka=宮向井雪貴になってしまう。



唯ちゃんにとっての

Takaは……。




脳裏に浮かんだ、今もベッドで眠り続ける

その顔に、パタリと携帯を閉じた。





駄目だ……。


唯ちゃんに、Ansyalは使えない。




このアドレスは、

AnsyalのTakaとしてでなく、

宮向井雪貴として、唯ちゃんからせしめた

貴重な情報だから……。



Takaではなく、

雪貴として唯ちゃんと関われた

大きな前進の成果。



だから簡単に壊したくない。





……唯ちゃん……。

教えてやれなくてごめん。


シークレットLIVE。





そんな風に思いながら、

今も職員室で机に向かい続ける唯ちゃんを

通りすがりに覗き見て、

マンションへと帰宅した。



制服を脱いで、シャワ-を浴びると

着なれた私服を身に着けて

ゆっくりと街の中へ繰り出す。



約束の時間まで、

もう少しゆとりがあるかな。




時計をチラリと見つめて、

行き先を

兄貴がいる場所へと変える。



駅まで足早に歩いて

電車に乗り込み、

上月神前前

(こうづきこうさきまえ)駅。




通い慣れた道程。




神前悧羅学院医学大学付属病院。


略して、神前医大。


院内の扉を潜ると、親しくなった

医療スタッフたちが

次々に声をかける。



「こんにちは。

 雪貴くん。久しぶりね。


隆雪くんのお見舞い?」


「はい。

 面会時間…………

 終わっちゃってますか?」


「そうねー。


 でも、せっかく雪貴くんが

来てくれたんだもの。


 私がステーションに

 連絡してあげるわ。」




親しくなった兄貴付の看護師さんが

そう言って、俺を面会時間が終了した

静かな病棟へと入室を承諾してくれる。



一歩ずつ歩く度に

静かに廊下に

共鳴していく足音。



ゆっくりと兄貴が待つ

病室の前へと歩くと、

深呼吸をして

病室のドアを一気に開いた。






目の前に

広がるのは

変わらない日常。




沢山の管を通されて

今も眠り続ける

兄貴の姿。





「兄貴……」




ベッドの傍に立ち寄って

兄貴のこおばった

指先を握りしめて

マッサージしながら

話しかけていく。




病室に広がる音は

規則正しい兄貴の心音を告げる

アラームと、

モニターが描き出す波形。





「兄貴。


兄貴、今のままでいいのか?

 何時まで眠ってんだよ。


 そろそろ起きろって。


 俺……」




声を噛み殺すようにして

兄貴に語りかける。





3年前。



交通事故にあって以来

今も眠り続ける兄貴。





兄貴が目覚める可能性は

50%以下だと

医者には告げられた。




だけど目覚める可能性はあるから。




俺たち家族は、

その可能性を信じて

こうして病院に通い続ける。




病室で兄貴と

語りながらゆっくりと過ごす時間。



突如、ポケットの中で

携帯が震えだす。



慌てて、携帯を手にとると

スケジュールを告げる

表示が液晶に映し出される。




慌てて、ポケットに携帯をしまうと

兄貴の腕を布団の中へと片づける。





「行ってくるな。


 兄貴も会場に来いよ」





一言告げて、病室を後にすると

ステーションに顔を出して、

病院を後にする。




約束の時間まで

後、30分。




霞ヶ丘方面の電車に

飛び乗ってLIVE会場の方へと

歩いていく俺は目の前を歩く

唯ちゃんを視線に捕える。





「唯ちゃん……」




俺が連絡しなくても、

シークレットの会場に姿を見せてる

唯ちゃん……。





そんな唯ちゃんに対して

言葉に出来ない葛藤が浮かぶ。




LIVE会場前で、

武装した唯ちゃんの姿を見かけることも

何度かあった。



今まではスルー出来ていたのに、

今日は、何故か無視できないほど

俺自身の心に波風が立っていた。




唯ちゃんを視線に捉えて、

唯ちゃんの目的を知りながら、

偶然を装って、近づいていく。




「唯ちゃん」



唯ちゃんの肩を指先でトントンと

叩いて、声をかける。


「えっ?」


反射的に返事をして

振り返った唯ちゃんの表情は

俺を捉えると、

真っ青になっていく。


一気に委縮する唯ちゃんの体。




「こんなところで何してるの?」



すかさず、

俺は唯ちゃんに切り返して

唯ちゃんをまっすぐに見つめる。



あぁ、唯ちゃん、

今凄く慌ててる。




そんな慌てながら

自分でも気が付かないうちに

百面相してる、

そんな姿が可愛くて

もっと苛めたくなる。



「唯ちゃん、

 なに百面相してるの?


 オフの時間は、唯ちゃんも、

 ゴスロリって言うんだっけ

 そんなファッション好むんだ」




それが唯ちゃんの

武装衣装だってことも知ってる。






パニックになってるのか、

何も返事してくれない唯ちゃん。






今日、そこでAnsyalが

シークレットするって情報

何処で嗅ぎ取ったんだよ。






湧き上がる言葉。






あっ……俺、

Takaに嫉妬してる……。







だから、こんなに

イライラしてるんだ。





俺ですら、放課後まで

託実さんに知らされなかった

シークレット情報。




Takaである俺が

知ったのも最近なのに、

俺が教えなくても、

唯ちゃんは、

武装してこの場所に現れた。






唯ちゃんは、Takaの為に、

ここまでしてくれるんだって言う気持ち。



だけど唯ちゃんのTakaは……っと言う、

もう一つの秘めた気持ち。



これが俺自身だと……

唯ちゃんは……。




「みっ、宮向井くんこそ……

こんなところで何してるの?」





唯ちゃんが

必死の反撃を試みる。





…………唯ちゃんが

  可愛かったから…………



…………唯ちゃんで

   遊びたかったから…………






ううん…………。




違う。



唯ちゃんと一緒に居る時間が

俺自身が装わないでいられるから。




だけど、そんなこと、

唯ちゃんに話せるわけじゃない。




「俺はそこの本屋に参考書買いにね。

 知らない?

 この道、抜け道なんだよ。


 大通りは人が多いくて煩わしいから。

 

 先生は何してるの?


 ここって、LIVEハウスなかった?」

 



わざと言葉で追い詰めるように、

【先生】って言葉を強調する。



強調すればするほど、自身の胸も

痛みが深く増していく。





……何してんだよ……。






「……宮向井君……。


 学校に報告しちゃう?


 私が、こんな格好でLIVEハウス前に居たら

 駄目かな?


 先生は好きなこと、

 しちゃいけないのかな?」






俯いたまま、

今にも泣きそうな声を絞り出すように

小さく呟いた唯ちゃん。





俺が追い詰めたのに、

トタンに抱きしめたくなる

衝動に駆られる。




震え続ける唯ちゃんの体。


怯え続ける唯ちゃんの心。




生徒としての俺が

唯ちゃんの秘密を

知ってしまったから。




俺自身には新しくもない、

ずっと前から

心にしまい続けてきた

唯ちゃんの秘密。




だけど唯ちゃんは、

Takaと

俺が関係あることを知らない。




「別に。

 学校に話す気はないよ」




唯ちゃんがドセンで踏ん張る姿も、

大声でTakaの名を叫ぶ姿も

愛おしい俺の宝で、俺だけの絶景。




泣かせたい

   わけじゃない。



追い詰めたい

   わけじゃない。




今も落ち着かない唯ちゃんを、

俺は、思わず抱き寄せて、

唯ちゃんの唇に、

自らの唇を合わせる。




理性で制御できない

無意識化のうちに……。



気がついた時には遅かった。






すでに、

唯ちゃんの唇を奪った後。





引っぱたかれるのを

覚悟して身構えるも、

唯ちゃんは

またしても放心状態。




チラリ、唯ちゃんの先に

唯ちゃんの友達の姿を捕える。




そろそろ解放してやらないと……

俺も時間に遅れそうだ。




「唯ちゃんの、唇もらい。


 これ、口止め料ねー。


 さ、俺は本屋行かないと。


 唯ちゃんも、

 さっきから後ろにいるの

 友達なんじゃん?


 じっと……こっち見てるからさ」



わざと悪戯っ子のように

唯ちゃんに告げると、

唯ちゃんは、じっーと

俺を見つめた後に

友達の方へと足早に駆けていった。






「Taka」




俺の到着を心配したのか、

裏口から、

託実さんが姿を見せる。





「すいません。


 兄貴のところ、

 行ってて遅くなりました」


「そっか……」


「今日は突然決めて悪かったな。


 アイツが

 ……大切にしてた日だから……」


「いいですよ。

手早く、準備してきます」


「あぁ」




慌てて楽屋に駆け込むと

所定の位置に座って、

宮向井雪貴から、

AnsyalのTakaとしての姿へと

変身していく。






当初、抵抗があった

このメイクも今は慣れたもので、

早々に鏡の前で、Takaを作り上げていく。


ウィッグを被り、

神話の衣装を身に着ける。







さっ……。

今日も始まる。






神の降臨ステージ。






楽屋を出て

ステージ袖へと向かう。





最後のバンドの演奏が終わり

暗転。




会場内が騒がしくなる。




最後のバンドの機材の撤収と

俺たちの機材のセッティング。




慌ただしく整えられていく

セッティング。




会場内が

ざわつき始める。





「託実ぃっ!!」




会場内に

突如響き始める

メンバーコール。





「Taka様ぁー」


「十夜ぁー」


「祈ぃ-」





ステージそでのモニターで

会場の客席側の様子を

チラリと仕入れる。





見つけた。

唯ちゃん発見。






いつもの定位置で

今にも押しつぶされそうになりながら

唯ちゃんは踏ん張ってる。






「Takaぁっ!!」




唯ちゃんの通った声が

楽屋袖に待機する

俺にダイレクトに届く。




心地いい

愛しい人の声。





「行くぞ」



託実さんの合図で

overturが

静かに流れ始め

俺たちは

ステージに姿を見せる。




一際高くなる歓声と

メンバーコール。




真下に見える

唯ちゃんの瞳は

恋をするように

キラキラと輝いていて

雪貴の俺には

……縁遠いくて……。





目を閉じて、

祈りを捧げる。







彼女が俺に

気が付いてくれますようにと。






場違いな

願いだと知りながら

一人……祈り続ける。








20分間。





俺たちは演奏しながら

ステージを駆け抜ける。




今日は、

ピアノを持ち込めなかったから

唯ちゃんの好きな

「天の調べ」は……

俺が奏でる

アコ-スティックVerで。




ドセンで、時折、

後ろからのあまりの圧力に

意識を失いそうになる自分自身と

必死に戦いながら

Takaを一身に見つめ続ける

唯ちゃん。









今、……俺が……

ここで手を伸ばしたら……







唯ちゃん……。



君はその手を取るの?










Takaとしてでも

俺の想いが満たされるなら。







時折、

そんな甘い蜜の中に溺れたくなる。







だけど、それは偽りがもたらす

……夢の時間……。







20分間のステージは

瞬く間に終わり

唯ちゃんとTakaaの

短い逢瀬は終わりを告げる。





「今日はAnsyalシークレットに

 来てくれて有難う。


 7年前のこの日。


 今のAnsyalの母体となる

 大切なバンドが誕生しました。


 Ansyalの記念日とは

 言えないけど、

 あの日の出逢いがなければ

 俺たちはこうやって

 音楽をしてないと思うから。



 思い出深い、このライブハウスで

 させて頂きました。


Ansyalは、

 もっともっと上を目指していきます。



これからも応援、宜しくなぁー」





十夜さんの声が

会場内に響き渡る。




そして俺たちは

ステージを後にした。




ステージの後、

打ち上げするまもなく、

機材の運びだす。




ステージの時の

髪型のまま車に乗り込むと、

LIVEハウスを

早々に後にする。




事務所の専用スタジオに

雪崩れ込んで

スタジオの控室で、

慌ててメイクを落とし

Ansyalの武装を解除。




Takaの仮面を剥がして

ありのままの

宮向井雪貴に戻る。





そして、

スタジオの中へと姿を消す。






俺専用のPCを立ち上げて、

ピアノを弾いては、

フレーズを録音して留め置き

ギターに語らしては

録音を繰り返していく。






ありのまま、

俺自身の心と

向き合いながら……。








浮かび上がるのは

甘く切ないメロディー。





アルペジオが綴る

快楽の波。






そして……囁き……。









もやもやする心を

自ら覆い隠すように

フレーズを幾度も幾度も

録音して綴っていく。











……唯香……。









君を知って

俺は初めて自分で歩き出せたんだ。











大切なことを

教えてくれた唯香だから……

俺は……。



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