第17話「記録なき記憶の行方」
すべてが終わったはずだった。
“神の声”を写す装置は破壊され、黒ローブの女未来のノエルは、消滅と共に笑った。記録という絶対の檻を打ち壊し、ノエルたちは「選ばれる記憶」を手にしたはずだった。
けれどノエルの胸の奥に広がるのは、妙な空虚だった。
塔を出て、世界が元に戻ると共に、彼の周囲には「整いすぎた日常」が復元されていた。
クロエとエル、セラと共に歩む帰路。仲間の顔には異変はなく、記憶に欠損があるようにも見えなかった。だがそれが、不自然だった。
「クロエ……あのとき、セラは……いや、なんでもない」
口をついて出た疑問を、ノエルは飲み込む。思い出せるはずの瞬間が、影のように曖昧に塗りつぶされている。
“本当に、すべてが記録から解放されたのか?”
答えのない問いを抱えたまま、ノエルは一人、丘の上の旧時代の図書館跡へと向かった。人々が立ち寄ることもなくなった、時間が静止した場所。
その書架の奥に、かすかな光が脈動していた。
「……残ってる、のか」
それは破壊されたはずの記録装置の残骸だった。砕けた金属の間で、ひとつの欠片が淡く明滅している。まるで、再生しようとする意志を持っているかのように。
ノエルの頭に、黒ローブの女の言葉が蘇る。
『記録は、世界の“安全装置”。消せば、世界は不安定になる。けれど……時に、真実を閉じ込めた檻にもなる』
ノエルは手を伸ばす。指先が光の欠片に触れた瞬間、眩い閃光が視界を覆った。
そして彼は“もう一つの未来”を見た。
街が崩壊し、人々が「声」に呑まれ、ノエル自身が記録装置の一部として沈んでいく未来。
意思を持てず、ただ記録の器として存在し続ける彼の姿それは、彼が壊した装置が辿った道の果てだった。
だがその映像の最後に、ひとすじの光があった。
“誰かが抗った。記録にも残らぬ、名もなき誰かが”
「……あれが、“もう一人のノエル”」
すべてを記録に捧げ、抹消されながらも、最期まで意志を貫いた存在。
未来のノエルは、確かに生きた。記録には残らなくとも、誰かの記憶に訴えかけるように。
ノエルは拳を握る。この欠片を放置すれば、再び記録装置は再構築され、世界は定められた運命へと引き戻されるだろう。
だがすべてを破壊すれば、未来のノエルの存在“記録なき記憶”も完全に消えてしまう。
選択は迫られていた。
ノエルはポケットから、小さな水晶片を取り出す。それはかつてクロエから託された、“想い”を記録する結晶。誰かの心に宿る記憶を、形にできる唯一の媒体。
「記録じゃない、“記憶”にしよう。誰かの心に、残せばいい」
ノエルは欠片を水晶に重ねた。眩い光が走り、欠片に宿っていた記憶の断片が、結晶の中へと流れ込んでいく。未来のノエルの微笑、記録の中での最後の言葉そして、“選んだ記憶”のすべてが。
やがて装置の欠片は静かに崩れ落ち、ただの金属屑と化した。
その夜、ノエルはクロエ、エル、セラと再び集った。丘の上、かつての記録塔を見下ろす高台。
「これで、本当に終わったのか?」とエルが問う。
ノエルは頷いた。「記録は壊した。でも、俺たちの記憶は残ってる」
「記録がなければ、いずれ風化するよ?」セラが不安げに言う。
「だから、語り継ぐんだ」とクロエが言った。「記録じゃなく、物語として。誰かの心に伝えていくの」
ノエルは、水晶片を掲げる。それは静かに、夜の星明かりを反射して輝いた。
「記録されなかった未来も、失われた記憶も、確かに“生きた”ってことを……俺たちが証明していく」
風が吹く。記録塔の残骸を撫で、光の粒が舞い上がった。
「記録なき記憶」
それは、誰にも記されることのなかった存在。
けれど今、誰かの“心”に刻まれ、生きた証となった。
世界は、ほんの少しだけ、自由になった。
選ばれた記憶が、未来を繋ぐ物語として静かに、語られていく。
『1日1回、過去に戻れるが記憶を失う。それでも僕は殺人の真相を追う』 Kiro @Anaoya0909
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