第16話「記録の果てに響く声」

祭壇の間に満ちるのは、異質な静寂だった。

黒い靄が渦巻き、空間そのものが脈動しているように見える。ノエルはゆっくりと一歩を踏み出した。喉奥が焼けるような重苦しい空気の中、中央の台座に設置された装置が光を放っている。球体状の装置「神の声」を記録する最終装置だ。


「これが……“声の器”……」


ノエルが息を呑んだ瞬間、天井の闇から一人の影が舞い降りる。黒いローブを纏った女。だが、その仮面はすでに外されていた。

現れた顔を見た瞬間、ノエルの鼓動が一度止まる。


自分と、同じ顔。


「ようやく来たわね。ノエル。私の“声”を継ぐ者」


女の声音はどこか懐かしく、けれど異質だった。ノエルは思わず問いかける。


「……あなたは、誰なんだ?」


「記録に残らなかったノエルよ。別の時間軸で“神の声”を受け継ぎ、そして……代償として存在を抹消された未来の私」


言葉の意味を、すぐには理解できなかった。しかしノエルの奥底で、何かが共鳴する。確かに、自分の中にこの女の“記憶”がある。

いや、記憶ではない──可能性。


「あなたは、俺……?」


問いを投げると同時に、周囲の壁が煌めき出す。女が指を鳴らすと、そこに記録映像が投影された。

ノエルの過去、戦い、喪失。そして仲間たちの死。時間軸を超えて記録された“可能性の断片”が、映像となって浮かび上がる。


「この未来では、あなたは“声の器”に取り込まれた。意志を失い、ただ記録の一部として生き続けた」


映像に映る自分は、表情もなく、装置と同化していた。


「それが……俺の、もうひとつの結末……?」


「でも、あなたは選べる。私はそのために、最後の記録者としてここにいる」


女の目が、ノエルをまっすぐに見つめていた。その瞳には、祈りにも似た希望と絶望が混在していた。


「……選ぶ、ってなんだよ。俺たちはここまで来るしかなかった。選びたくて来たわけじゃない」


「でも、最後に選ぶのは“記録”か、“記憶”か。それだけよ」


ノエルの体が青白く発光し始める。記録者としての力が共鳴していた。


「“神の声”を記録するってことは、誰かの生を“固定”するってことだ。俺は……そんなものに、未来を渡したくない!」


女は一歩後退し、悲しげに微笑んだ。


「あなたは優しい。だから、記録に耐えきれなかったのかもしれない。でもそれなら、記録を壊す覚悟があるの?」


「“記録”は消えても、誰かの中に“記憶”が残ればいい。それが、俺たちが生きてきた証だ!」


その瞬間、ノエルの拳が装置に叩きつけられた。

轟音と共に、記録装置が悲鳴を上げるように光を放ち、空間全体が揺れた。


「記録が……破壊されていく……!」


女の体が、靄に溶けるように透けていく。


「ありがとう、ノエル。あなたが選んだ“記憶”の中に、私も生きていける」


そう言って女は、最後に微笑む。その笑みは、どこまでも穏やかで、確かに“ノエルの笑み”だった。


装置が完全に砕け、天井から差し込む光が、闇を貫いた。

ノエルは膝をつき、肩で息をしていた。そこに、仲間たちの声が届く。


「ノエル!」


クロエ、エル、セラ。皆が無事だった。


「……終わったの?」


「いや、これが始まりだ。記録じゃない、俺たちの“記憶”の物語が」


ノエルは立ち上がり、空を見上げた。

そこには、もう誰の“声”もなかった。ただ、確かな静寂と、胸に刻まれた選択の余韻だけが残っていた。

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