第15話「神の声を継ぐ者」

黒い靄が蠢く祭壇の間に、ノエルは踏み込んだ。空気は濃密で、息を吸うたびに喉奥が焼ける。中央の台座には、「声」を写す装置が鎮座していた。球状のそれは脈打つように光を放ち、無数の囁きを内包しているようだった。


「これが……“神の声”?」


ノエルが手を伸ばしかけたその時、天井の闇からローブを纏った女が音もなく舞い降りた。黒ローブの女――かつてノエルたちを翻弄した存在。しかし今、その仮面は外され、露わになった顔はノエルと酷似していた。


「ようやく来たのね、ノエル。私の“声”を継ぐ者」


彼女の声に、ノエルの胸奥が激しく疼く。面識があるはずもない。だが、どこか懐かしい。忘れ去った記憶が、脳裏の片隅で疼いていた。


「……お前は誰だ?」


「記録にない存在。忘れられた“未来”のノエルよ」


女は淡く微笑んだ。その表情には、哀しみと誇りが交錯していた。


「別の時間軸で“神の声”を受け継ぎ、その代償に世界から抹消された……記録者であり、記録されない者。だから私は、もう“いない”の」


「そんな未来が……あるのか」


「記録の海は一本じゃない。枝分かれした時間の中で、私は確かに存在していた。でも誰にも記録されなかった。だからここにこうして、私自身の記録を“君”に託しに来たの」


女が指を鳴らすと、装置の光が跳ね、壁面がゆっくりと開く。そこに浮かび上がったのは、数多の未来の断片――ノエルの戦い、仲間たちの喪失、希望と絶望。そのすべてが交錯し、やがてひとつの像に収束する。


そこには、虚ろな瞳で囁きを続ける“もう一人のノエル”がいた。


「この未来では、君は“神の声”に飲まれた。意志を失い、ただ記録装置の一部として……“記録されること”だけを繰り返す存在になった」


ノエルは息を呑み、拳を握る。目の前の女が、その未来に生きた証だというのか。


「ふざけるな……そんなの、俺は認めない!」


怒号とともに、ノエルの身体が青白く発光し始める。「記録者」としての力が、意志に呼応するように脈打ち始めた。


黒ローブの女は悲しげに首を振った。


「記録されることを拒むなら、記録そのものを破壊するしかない。でもそれは、“真実”の喪失を意味する。……あなたは、それでも進むの?」


「記録が消えても、俺たちが歩んだ道が消えるわけじゃない。強制された記録より、自ら選んだ記憶のほうがずっと、生きてる!」


ノエルの足元に光が集まり、装置の核が青く震える。黒ローブの女は一歩下がり、最後の問いを投げかけた。


「君が壊そうとしているのは、私の声であり……私自身。その痛みに耐えられるの?」


ノエルは一瞬だけ目を閉じた。そして力強く、答える。


「それでも俺は……自分の意志で生きたい。お前が記録されなかった痛みを、俺が証明する。もう誰にも縛られない“記憶”を残すために!」


その言葉と同時に、装置が閃光を放ち、巨大な爆風が空間を包んだ。


「――っ!」


世界が軋む。記録された“声”が、粒子となって四散していく。黒ローブの女の身体が淡く透け、輪郭が溶けていった。


「私は……消える。でも、あなたは私の願いを継いでくれた。ありがとう、ノエル」


微笑むその顔は、確かにノエルと同じ決意の表情だった。


全てが収束し、闇が晴れる。


祭壇の間に残されたのは、静寂と、ノエル一人の姿。彼は膝をつき、胸に手を当てる。中から微かな鼓動が聞こえる。記録ではなく、確かな“生”の証が。


視界に光が差し込む。その先に、クロエ、エル、そしてセラの姿があった。


「ノエル! 大丈夫!?」


「……ああ。全部終わったよ。いや……始まったんだ。俺たち自身の、“記憶”の物語が」


仲間たちに支えられながら、ノエルはゆっくりと立ち上がる。背後で砕けた記録装置の残骸が、静かに光を放っていた。


誰にも記録されない、それでも確かに存在した“未来”。

その断片が、今、記憶として彼らの中に、刻まれていく。

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