『1日1回、過去に戻れるが記憶を失う。それでも僕は殺人の真相を追う』

Kiro

第1話『目覚めと死体と、失われた記憶』

ノエルは、人が死ぬ音で目を覚ました。


ドン、と重い何かが石畳に倒れる音。


まぶたは鉛のように重く、意識は靄の中をたゆたっていた。鼻腔を突いたのは、血と焦げた肉の匂い。頭の奥がずきずきと鈍く痛む。


(……ここは?)


まるで夢の途中のような感覚だった。けれど目の前に広がる光景は、悪夢そのものだった。


冷たい石畳の路地裏。そこに、男がうつ伏せに倒れている。周囲にはまだ夜の帳が降りきらず、薄暗い。男の体は赤黒い血で染まり、首元からは黒い煙が立ちのぼっていた。


胸の奥がむかついた。焼け焦げた肉の臭気。見覚えのない死体。


だが、それ以上に異様だったのは、自分の右手だった。


焦げている。


皮膚が黒ずみ、焼け爛れていた。痛みはなぜかない。ただ、異物感だけが残っている。まるで他人の手のように。


「……これ、俺が?」


喉の奥から漏れた声は、震えていた。


男の体はまだ温かく、死後数分も経っていない。周囲には、魔法を使った直後に現れる“焼痕魔素”が漂っている。濃く、濃密に。


そして右手には、魔素が染みついていた。


(違う、こんなの俺の……)


その先の言葉は浮かばなかった。


記憶がなかった。


頭の中が空白だった。名前すら思い出せない。いや、ひとつだけ、思い出せる。


“ノエル”。


それが自分の名前だという確信だけは、なぜか焼きついている。


そしてもう一つ。


自分には、「昨日に戻る力」がある。


それだけは、はっきりと脳裏に刻まれていた。


一日に一度だけ、過去に戻ることができる。けれどその瞬間、それまでの記憶はすべて失われる。


記録も、日記も、録音も意味をなさない。過去に戻ったという“事実”すら、本人にはわからない。他人の言葉や、微細な痕跡だけが頼り。


それなのに、この能力の存在だけは、なぜか鮮明に覚えている。


なぜだ? 記憶がないのに、“それだけ”が残ってるなんて。


胸にざらついた違和感が残る。誰かの声の残響のようなものが、記憶の底で揺らめいた。


「……起きたか、ノエル」


冷え冷えとした声が、背後から届いた。


振り返ると、そこにいたのは黒ローブを纏った女だった。


銀色の髪が夜風にたなびく。顔は仮面のように無表情。だがその双眸だけは、氷のように鋭く、何もかも見透かしているようだった。


「今日は、【6回目】だ。君が“あの男”を殺したのは」


「……は?」


思わず声が漏れた。


「安心しろ。覚えていないのは当然だ。君は昨日に戻る。そのたびに記憶を失い、また殺す。その繰り返しだ」


声は淡々としている。だがノエルの心臓は、氷水を浴びたかのように冷たくなった。


「待て。俺は記憶喪失なんだぞ? そんな俺が、同じ人を六回も……」


女は頷きすらしなかった。ただ、沈黙の中で真実を突きつけてくる。


「違う……そんなはず……そもそも、君は誰だ?」


「“記憶執行官”だ。君のような“過去に干渉する者”を監視する立場にある」


「監視? じゃあ、見てたのか。俺が殺すところを?」


「介入は許されていない。だが……君が真実に辿り着くことを、私は望んでいる」


「それ、本当に傍観者の言い方か?」


女は答えなかった。その沈黙が、不自然に長かった。


(怪しい。いや、待てよ……)


女はすべてを知っている。何度目の“今日”かさえ。


だとすれば、記憶を持っているのは彼女だけ。そして、彼女の言葉だけが、俺が殺人を繰り返しているという“証拠”だ。


(……それ、本当に信じていいのか?)


男を殺したのは、本当に自分か?


彼女が何かを誘導しているのではないのか?


毎日、同じ人を殺してる? その証拠は? この手の焦げ跡と、女の言葉だけ?


「ノエル。君の罪は、君自身が暴かねば終わらない。だから……今日も、始めよう」


その声が、静かに夜を切り裂いた。


“6日目”の地獄が、幕を開けた。

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