15.闇に潜む雨 -神威-
奥の間で過ごしていく生活の中で、
ボクはボクの心が少しずつ壊れていくのを強く感じていた。
「八重村、康清はどこだ?」
いつもの様に食事を運んできた八重村に声をかける。
「ご当主様、康清さまは本日も徳力の総本家にて
儀式の打ち合わせに出向いておられます」
儀式……。
それは本来の儀式の日から、すでに遅れて二ヶ月が過ぎようとしている
海に還る、贄【にえ】としての儀式
本来の当主としての役割を果たせぬままに、
今も生き続けるボク。
ボクは、ボク自身の大罪を知っている。
当主とは、その為の存在……。
一族において、民を守るための生き神。
切り札なのだから。
「華月は万葉は?」
「当主後見役と、後見補佐のお二人は、
早城飛翔を持ち上げようとする動きがあり、
一族の総意で、ご当主に近づけないように監視しております」
淡々と状況を報告する八重村は、
静かに一礼をして、部屋を出ていこうとする。
「八重村、いつもの神水を頼む」
退室間際の八重村に、飲み物を頼むと
八重村は静かに頷いて、室内から姿を消した。
外からの鍵がいつもの様にかけられて、
綺麗に飾られた膳に箸を少しつけると、
すぐに蓋をして、テーブルから離れる。
この部屋に来て、何日が過ぎたのかすでにわからない。
ただ毎日毎日、この部屋で食事だけが与えられて
来客する存在と言えば、八重村か日暮のみ。
お腹が減っているのかいないのかすら、
今のボクはわからなくなっていた。
前回、運ばれてきた瓶を手に取って
グラスに神水を注ぐと、
そのままコップに一杯の水を飲み干して
窓から外を眺める。
眠るたびに見る夢は、両親と共に過ごす甘美な時間。
起きている時間の方が、苦痛に思えるような
時間の中で、布団の中、横になっている時間の方が
自分でもわかるくらいに多くなっていた。
再び、外から鍵が開かれる音が聞こえて
布団の中で目を開ける。
「ご当主、お目覚めでしょうか?」
「あぁ、構わない。
康清、総本家の会議に不在ですまない」
「ご当主は、儀式の前の大切な御身。
万が一のことがあっては一大事。
全ての御支度は、この康清めにお任せください」
そう言ってボクの前で膝を折る康清。
「康清、聞かせてくれないか?
ボクの母と父は、儀式をどのようにのぞんだんだ?」
そう……。
ボクの記憶に強く残り続けるのは、
白装束を身にまとった、母さんがボクを強く抱きしめた夜。
何時もは強い、お父さんが
その日だけは肩を震わせて泣いていた。
父さんが旅立ったその日も、
外は嵐みたいに雨風が強くて、同じような白装束を来て
村人たちと一緒に家を出ていった。
その日から、父さんは帰ってこなかった。
ボクが知る儀式は……
大切な存在を奪う時間以外のなにものでもない。
失うものがなくなったボクには、
もうこの命すらも、どうでもいいとさえ思えてしまうのかもしれない。
「先代ご当主、信哉さまと、その夫人・深凪【みなぎ】さま。
ご当主は、お二人の最期を知りたいとお望みなのですね」
ボクが頷くと、康清はゆっくりとその時の話を始めた。
「本来、信哉さまが儀式に望まれるはずだったのですが、
ご当主がまだお小さかったのもあり、今後の行く末を案じて
お母上、深凪さまが先に儀式に望まれたのがご当主が一歳の秋。
勢力の強い台風の影響で、村が孤立。
雨風を宥めるために、その身を還した深凪さま。
輿に揺られて、海へとお運びし、
そのまま先日の儀式のように、小舟に身を移して
海へとお流ししました」
時折、目を伏せながら紡がれる母の最期。
その後、続けられるのはボクが三歳の時に旅立ってしまった
父の最期。
そして最後に締めくくられたのは、
「徳力の歴史においてここ数年の間、
神がお怒りになられているのかこのような儀式が頻発しています。
このような儀式が数年の間に、立て続けに繰り返されることなど
本来ならあってはならないのです。
ですが、民が苦しみを感じた時、自らに戒めを与えて
天に還られるのが、生神の役割。
それもまた、遠い古より、神のご意志による約定なのです。
ご当主の、お母上様も、お父上様も見事に、その役目を果たし
民を今日まで守り続けて参りました。
その役割から逃げ出した、神に意に背いた裏切り者が
早城飛翔。
一族は彼の存在を受け入れません。
ご当主、私もまだ小さいご当主にこのような重き役目を押し付けるのは
心苦しいのです。
ですが、君が立派にその役割を果たされることは、
神になられたお父上様、お母上様にとっても誇りとなられるでしょう。
ここ数日の間は、儀式を行うには日が悪く
今だ見定められてはありません。
日が確定いたしましたら、総本家より正式に迎えの者が参ります」
康清は最後まで言葉を紡いだ後、深々とお辞儀をして
部屋をまた後にする。
依頼した通り、新しく用意された神水。
神水を再び、コップ一杯飲み干して
そのまま布団の中へと、その身をしずめた。
民を守ることが……村人を守ることが
当主としての務めで、父の望みなら……ボクは
ボク自身の意志で、それを成し遂げたい。
それを邪魔をするアイツは……
ボク自身が拒絶する。
こんなにも黒い雨が心に中に蠢くのは
初めての感覚だった。
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