竈イユ ザ ダンス

艶史郎

2015年8月12日 予知

2015/8/12 ❶

 2015/8/12

 

 夏っていう季節は、蝉の鳴き声やギターの音色も大差無い。

 両者とも私の鼓膜を不快に震わせてくる。

 今日はここ三年で一番の猛暑日らしく、人々の熱気で汗がじんわりと滲む。


 私がふと目を開けると、暗い視聴覚室に茶畑の様に連なった横並びの机があり、所狭しと生徒が群がっている。

 カラフルなネオンライトがビカビカと光っていて、その振動に合わせて生徒達が一心不乱に頭を振っている。

 ヘッドバンキングと呼ばれる動きだ。

 不意に甘ったるい制汗剤の匂いがして、私は眩暈がしてキャップを目深に被った。


「おい、礼一郎。

 ライブってのは片手にポテチ、もう片手にコーラが基本なんだよ」


 狭くなった視界に無理やりねじ込んで来たのは、腹立たしい満面の笑みを向けたキャラクターが描いてあるポテチと、色鮮やかな照明に照らされて不服そうなコーラだ。

 見上げると、こちらもまた満面の笑みをした天道が、無邪気な猫みたいに覗き込んでいる。


「俺はいらんって」


 そっぽを向く私をよそに天道は、いそいそとポテチの袋を開けると私の口に捩じ込んで来た。


「何すんねん!

俺いらんって言ったやん」


 彼が持ってきたコンソメ味のポテチは、良い意味でチープな甘辛い味付けで子供が好きそうだ。

 ......うん。正直、美味い。


「でも絶対美味しいって言うから」


 少し鋭利に尖った犬歯をちらつかせながら、私の感想を待っている彼は、猫と言うより犬かもしれない。

 私は軽く溜息を吐くと、予定調和の台詞を呟いた。


「......まぁ、国内で生産されてるポテチで不味いの見つける方が難しいからな」


 私がそう言うと、天道はにんまりと満足そうに笑った。

 三年二組の澤田天道さわだてんどうは私と同じ軽音部のバンドメンバーで、一言で言うと名前通り太陽みたいな男だ。

 極限まで捲り上げたシャツの中から覗く、蛍光色のTシャツが彼の全てを物語っている。

 彼は俺の隣に座ると、目の前にある簡易的なステージを指した。


「今日は見つかるかな。

 礼一郎の理想の歌声の持ち主」


「そうやなあ」


 何故私がわざわざこんな大音量のライブにに来ているかと言うと、私達のバンドには所謂ボーカルと呼ばれる役割の人が居ないのだ。

 恥ずかしながら私には歌声の拘りがあり、妥協を許さずに探しているうちに三年生になってしまった。

 今日は部内の夏休み前ライブで、ボーカルのいない私達は参加すら出来ないが、引き抜きをする為に足を運んでいるのだ。

 明後日から夏休みという事もあってか、心なしか生徒達は浮き足立っている様に思える。

 余りの音量で足音が聞こえなかったのか、隣に円が座っている事に気が付かなかった。

 彼女は私のキャップの鍔を持ち上げると、私は不意に彼女の方を見てしまい、吸い込まれそうな色素の薄い瞳と目が合った。


「なぁに、また歌姫探し?」


 銀縁の細い眼鏡に口元に小さな黒子があり、特徴的な顔立ちの蜜屋円みつやまどかは、伏目がちに私を見つめている。

 彼女は何処から手に入れたのか不明な、洒落た英語の文体で書かれたパッケージの柿色の飲み物を飲んでいる。


「礼一郎君、気を付けてね」


 急に耳元で囁かれ私は、思わず両手で耳を覆ってしまった。

 段々と耳に熱を感じられ、堪らなくなって机に突っ伏したが、額に思い切りぶつけてしまい二つの意味で悶え苦しむ事になった。


「選んじゃったのがセイレーンだと、私達。

遭難しちゃうよ?」


 追い打ちを掛けるように、顔を近付けてくる。


「......分かってるって。

後、それやめてって何回も言ってるやん」


 円は私の表情を見ると満足そうに口角を少し上げた。

 彼女は、私を揶揄う事に人生の全てを注いでいると言っても過言ではない。

 私はまるであの魔女の掌で踊り狂うネズミでしかないのだ。


 私達がそうこうしている間にも、灼熱の部内ライブのボルテージは上がって行く。

 無我夢中で掻き鳴らすギターやベースの音とほぼ叫んでいる歌声。

 それを心の底から楽しんで、音に合わせ体を揺らす生徒達。

 青春とは素晴らしい。

 だが、どの歌声も私の奥に響く事はない。

 また今日も私達の歌姫探しは失敗してしまった。

 私は袋の奥に残ったポテチの小さな欠片を食べ尽くすと、荷物をまとめて視聴覚室を後にしようとした。


 その時だった。


 帰ろうとした私の背後を、恐ろしいくらい美しい歌声が貫いた。

 心臓の奥深くが小さく揺れた感覚がして、私は思わず振り向く。

 小さな胸の高鳴りが、段々と膨らみを増して教室内を覆い尽くす様に期待が高まる。


「この声......」


 ステージ上には、軽やかな音楽に合わせて小さく振り付けをしながら歌う女生徒の姿があった。

 長い髪で可愛らしいリボンの髪飾りが後ろにつけられている愛らしい少女で、周りの男子生徒達は完全に彼女に魅了されている。


 気が付いた時には、私は走り出していた。

 不覚にも視聴覚室は普通の教室よりも長く、斜面になっている事を私は完全に忘れていた。

 天道と円の声がゆったり遅れて聞こえ、これが所謂走馬灯だろうか。

 私は勢いそのままに躓いてしまい、転がり落ちる形で彼女の前に姿を現してしまった。


「あ......えっと」


 一斉に振り向かれた無数の顔が目を黒黒させながら、私を見ながら耳打ちをして話している。

 やはり唐突に勧誘などするべきではなかったか。

 私は浅く頭を下げると、今度こそ帰路へつこうとした。


「待って!」


 後ろから小鳥の囀りの様な声がする。

 頭を上げると先程の少女がステージ上から軽やかに降り、私の目の前に来ていた。

 近くまで来ると優しい石鹸の香りがして、私は思わず視線を逸らしてしまった。

 彼女は私の顔を不思議そうに覗くと、眉を下げながら微笑んだ。


「何か言いたい事があったんですよね?

私で良ければ聞きますよ?」


 勢いで走り出してしまったが、ここで勧誘をするのは周りの生徒達から反感を買いそうだ。

 彼らは今にも私に殴りかかりそうな姿勢で、鼻息を荒くしながら彼女を見張っている。

 私は、ゆっくり口を開けた。


「名前を......聞こうと思ってんけど」


 空気が冷え切るのが分かる。

 分かる、私にも分かる。

 こんな奴から名前を訊かれても虫唾が走るだけだ。

 遠く後ろからは、手を叩きながら笑う声が聞こえる。

 絶対に天道だ。

 こんなに恥ずかしい思いをする為に、今日ライブに来た訳では無いのだが。


「詩子です。

児玉詩子こだまうたこ

お歌を歌う為に生まれたみたいな名前でしょ?」


 この地獄の空気を優しく包み込む様に、彼女の声がスッと耳に入ってきた。

 児玉さんは私の方を見て微笑むと、手を合わせた。


「さ、今日は帰ろう。

みんなお片付けするよ」


 その合図と共に部員達は一斉に兵隊の如く動き出し、生徒の一人に私達は帰る様に手で払われた。






「最悪や、俺は自分で可能性を潰してもうた」


 あの後の記憶は正直消えている。 

 気が付けば夕暮れの中項垂れた自分が、下駄箱の前でうずくまっていた。

 遠くからは遅くまで部活動をしているサッカー部達の声が、グラウンド上で響き渡っている。

 しかしまだ名前を聞いただけだ。

 幻滅されたかも知れないが、まだそんなに焦る状況ではない。

 天道と円の二人は気の毒そうに私を見つめている。


「礼一郎、今日はパッーっとラーメンでも食べに行こう。

ほら、この前駅前に新しいラーメン屋出来てたって言ってたやつ」


 天道は私の前で手を使って、ラーメン鉢のジェスチャーをして見せた。

 あぁ、確かにそういう話は聞いたかも知れない。

 熱々の薄く透き通った醤油味のスープに、生き生きしたピンク色のチャーシューと新鮮なシャキシャキとしたネギ。

 それを黄金の麺と共に口に放り込み、氷いっぱいの水と流し込めば。



「最高やん、行こう」



 とりあえず私達は、明日からの児玉詩子ボーカル加入計画を決行する前に腹ごしらえをする事にした。

 空はすっかりオレンジ色に染まっており、私達の影も校舎の影もそして時計台の影も濃くなっていった。

 私達はそそくさ自転車に跨ると、ペダルに足を掛けた。

 円は当然と言った顔で、私の後ろに跨った。

 背中がひんやりと冷たくなる。

 頭はラーメンで一杯だ。


 正門の横には少し高い時計台があり、そこからは田舎なのもあって自転車が二台通るのがやっとの田んぼ道が広がっている。

 私は先に時計台の横を通った。

 ゆっくりゆっくり。




 ふと手の甲を見ると、水滴が二、三滴落ちている。

 ん、天気予報は毎日確認するが、今日の天気は快晴だったはず。

 私はブレーキを掛け空を見上げた。

 空こそオレンジだが、雨が降る様な気配は無い。


「俺の見間違いか?」


 もう一度手の甲を見ると、水滴が何故か皮膚にぼんやり滲んでいる。

 それも、赤色に。




 顔を上げた。

 時計台が目に入る。

 目が合った。

 誰と。








 児玉詩子だ。

 彼女は目と口を大きく見開けたまま、私を見下ろしていた。

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