夜の運転
樋野七哉
夜の運転
ある日の出来事。
思い出を書いていこうと思う。
季節としては秋ごろだったと思う。
同僚とは山岳部の仲間で、その日は山小屋でたき火をしていた。
その山小屋は山岳部が所有していて申請さえすれば、たき火や寝泊まりなど自由にできる施設だ。
そこでたき火を囲み、同僚の怪談を聞くのが、ぼくの楽しみだった。
同僚はいわゆる見える人で、何度も心霊体験をしている。
その日もたらふく体験談を聞くことができ、たいへん満足することができた。
その帰り道のことである。
時間は深夜零時を過ぎていた。
ぼくは助手席に乗っていた。
左側はフェンスで区切られ、おそらく私有地で何もない区間。
右側は田んぼが続いていて、外灯はぽつりぽつりと配置されていて寂しい田舎道だった。
左側を女性がこちらに向かって歩いていて、すれ違った。
その時間、その場所を女性が一人で歩くことは地元の常識的に考えてありえない。
昼間でも歩いている人間はほとんどいないのだ。
一瞬のことだったのに、やけにはっきりとその姿を認識することができた。
服装は鮮やかな花柄のワンピースだった。
足下はよく見えなかったが靴は履いていたと思う。
その女性の表情が強烈に印象に残った。
その女性は満面の笑みで歩いていた。
ぼくはしばらくそれを同僚に話そうか迷っていたが、話した。
「今の見た? 女の人歩いとったんやけど。めっちゃ笑っとった」
「見た。すんごい笑顔やったね。ていうか■君も見えたんや」
「うん。深夜にこんなとこ歩いてなぁ……」
「おかしいやろ。ありえやんやろ絶対」
同僚はいわゆる見える人で、何度も心霊体験をしている。
その日もたらふく体験談を聞かされ、ぼくは満足して帰路についている途中だった。
「おれも話そうか迷っとったんや。おれしか見えとらんと思って」
「あー、そういうやつ。ついに、ぼくも見てしまったわけか。デビューやな」
と言ってぼくは笑った。
そこでぼくは気づいたことを話す。
「ていうか、歩き方おかしくなかった?」
「うん。おかしかった。変な歩き方しとった」
「あれってさ、後ろ向きに歩かんとああならんことない?」
そこまで話してぼくは、先ほどの女性の姿をもう一度思い出す。
「……あれ首だけ後ろ前反対になってなかった?」
「やばいやばいやばいやばい! おれも思い出してきた。反対やった!」
同僚は興奮しだす。
その時の姿を思い返すたびに、女性の首だけが反転して後ろ向きに歩いていたとしか考えられなくなった。
「どうする? 引き返して確認しに行かん? まあ当然のごとく、どうせおらんやろうけどさ」
「やめとこうに。このままそっとしとこ」
「行こ行こ!」
ぼくの抵抗むなしく、その場で引き返すことになった。
そして予想通り女性の姿はなかった。
時間にして三分ほど。
脇道はなく、目撃した区間を徒歩で抜けるには無理があった。
女性が途中から全力疾走したなら話はべつだが、それは考えにくい。
女性の姿を確認できなかったことで同僚は満足していた。
あれは何だったのか今でもわからない。
帰りに二人でカレーを食べて帰った。
後日談がある。
同僚の妹が変なものを見たという。
話を聞くと、あの日運転していた同じ場所で似たような女性を目撃したそうだ。
同僚は妹にそのことは一切話していない。
不思議なことがあるもんだと同僚が嬉しそうに話していたのを覚えている。
夜の運転 樋野七哉 @hino-nanaya
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