第18話 車内は広いので謁見もできます

 俺はJRPGに親しんできた人間なので、魔王に対峙するときというのは命を丸ごと鷲掴わしづかみにされるような恐怖をともなうものだと思っていた。

 地球世界の現象でいえば、下の階が火事になって動けなくなったり、落ちてくる巨大隕石を見上げたり、終電間際のオフィスに厄介な取引先から電話がかかってきたりするような、あの絶望感。自分の運命を強制的にげられる空虚さと言ってもいいだろう。

 けれど。


「あぁ……尊い……」


 キャンピングカーのベッドに寝転がって、勇者の変顔へんがお肖像画にえてる魔王は正直あんまり怖くない。というか恐怖の意味合いが違う。

 もう少し言うなら、ひとつ安心したこともあった。


「……良かった」


 魔王バルマウフラ陛下へいかが見詰めている絵に目をやって、俺はかたわらのクリスさんに言う。


「あの絵の勇者さんは魔族から見たイメージなんですね。だからあんなに怖いん……」

『いや、勇者フィリアはああいう顔する』

「そっかぁ……」

「そうだぞ人類の男」


 聞こえていたらしく、陛下はドヤ顔で補足する。


「そもそも肖像画ではなく写真である。

 知っとるか写真。異世界の技術を魔法で再現したものでな。眼前に存在するモノを光で紙に焼き付けて精巧な絵として残す魔導生成物よ」


 よく知ってます。今の地球では紙じゃなく電子の塊に変換するバージョンもあります。

 それにしても、どうやって撮ったんですかそんな顔。

 

「斬り合っとる最中にこっそりな。その隙を突かれて右腕が千切ちぎれかけた」

「つくづく何してんだこの魔王」

「そう申すな。盗撮が犯罪なのは知っておるが、片腕をズタボロにされたのだからみそぎには充分じゃろ」

「撮ったもの消さなきゃ不十分です」

「な、何ッ!?」


 我が子を背中にかばう勢いで、盗撮写真を隠す魔王陛下。

 今にも泣きだしそうな顔をして、クリスさんに助けを求める。


「おい騎士! この男、法倫理ほうりんりにちょっと厳し過ぎ!

 貴公は偉い人っぽいから圧力かけられるだろう!? 便宜べんぎ図れ便宜!」

『軍人が民間人に圧力をかけるわけには』

「くそう正しい!

 いい騎士を飼っておるな人類はまったく!

 ……騎士よ、名は!? 気に入った! このに名乗る栄誉を与えるっ」

「魔王さんって……」

「一人称かわいいな……ボクも自分のこと『はくりゅーさん』って呼ぼっかな」

「いえ『ボク』がいいです」

「そ? エイジがそう言うなら」


 ぼそぼそとささやき合う俺とシロさんをしり目に、クリスさんは身惚れるほどに美しい所作で片膝を突く。

 威風を放つ気高き騎士の拝礼に、俺は思わず背筋を伸ばした。ここがキャンピングカーの車内で、礼を送る相手が推しの写真を抱き締めている残念な美人であることすらも忘れる風格がそこに在った。


『この身はリヴォニア血盟けつめい王国聖煌せいこう騎士団長、クリステンデ=V=エストカーリア。

 魔王陛下へ拝謁はいえつゆるされましたること、終生のほまれに存じまする』

「うむ」


 静かに頷く魔王陛下も、それを軽く押し返すほどの貫禄かんろくを宿していた。いつの間にか身を起こし、ベッドの上に胡坐あぐらをかいた居姿いすがたは日本の戦国武将を想わせる。さながら信長のぶながか。魔王だし。


「……エストカーリアとな」


 信長もとい魔王バルマウフラさんは、何かを思い出したようにその名を舌の上で転がし、


「貴公の名は勇者の口から聞いておる。

 何でも、剣技だけなら魔王さんも勇者も貴公に遠く及ばぬそうだな?」


 マジですか。凄すぎますクリスさん。

 目を輝かせる俺に対して、しかしクリスさんは悠然と微笑み、


『勇者の賞賛はありがたく受けておきますが。

 しかし戦とは、武、魔、兵略、そして戦略の総和。

 騎士団長たるこの身に、ただ剣のみの強さが何の誉れとなりましょう』

「……聞いた? 今の聞いたエイジ? ボクらの友だち謙虚で超素敵」

「録音機材つくっとくべきでした。くそ、あとでもっかい言ってもらおっかな」

『そこ、静かに。いま謁見中』

「「ごめんなさい」」


 頭を下げる庶民二人(あるいは一頭と一人)。

 陛下はそれに軽く笑ってから、クリスさんへと視線を戻し、


「庶民どもも緊張感が足りんが、貴公も大概だぞエストカーリア」


 騎士の模範みたいな人に、そんなことを言ってのける。


「魔王さんとの謁見中にしては、まとう気配が明るすぎるわ」


 そうなんだろうか、と俺たちはクリスさんの様子を盗み見る。

 いつもと変わらない……どころか、仕事中オーラ全開で引き締まりまくってるように見えるが。

 しかし、上流階級の人間だけが感じ取れるものが有るらしく、陛下は愉快そうにクリスさんへと身を乗り出して、


「何か良いことがあったのか。え?

 聞かせよ。魔王さんに会えて嬉しいとかそういうお世辞せじはいいから」

『……されば』


 苦笑して応えるクリスさん。「ほんとにあったんですねシロさん」「気づかなかったねえ」という庶民のやり取りには反応せず、


安堵あんどしております。

 陛下がご無事であるということは、勇者もまた健在でありましょうから』

「そう信じ得るか? 貴公、魔王さんと勇者あれの戦いの様子も知らぬであろう」

『そうした女でございます』


 そう言って浮かべた彼女の控え目な微笑に、俺とシロさんは釘付けになる。

 恐らくはずっと押し殺していた、親友への想い。そのあまりにも奥ゆかしい発露。

 当たり前だが――クリスさんは、勇者フィリアノールのことを心の底から案じていたはずだ。叫びたいほどに。泣きたいほどに。それででも騎士団長の職務と異世界人への気遣いを優先し、ほとんどおくびにも出さなかった真情。

 それが解きほぐされていく様に、俺は涙を抑えかね――


『狙った獲物を討ち果たすためなら地獄からももどる女でございますアレは。

 アレの命運が尽きるとすれば、相討ちで御身おんみ喉笛のどぶえを噛みちぎり、勝鬨かちどきをあげた後でありましょう』


 怖すぎて涙が全部引っ込んだ。

 いや、怖い以上に心配だ。和平を結ぼうという陣営の主にそんなこと言ってしまっていいのか。ハラハラしながら陛下の顔色を窺うと、


「わかるぅー」


 なんかクリスさんに賛同していた。嬉しそうに。しかも夢見るように続けて、


「あー、そっか相討ちかー。そうなってたら最高だったのう。

 魔王さんは絶頂しながら死ねるし、勇者は本懐ほんかいを遂げられるし、我々二人がくたばれば人類と魔族はこのまま終戦に持ち込めるじゃろうし。ウィン・ウィン・ウィンだったんだがのー」


 もうちょっと命とか大事にしない? 今さらだけど。ねえ。


「……しかしな、エストカーリア」


 と、陛下はとろけた笑みを引っ込め、いたむような面持おももちでクリスさんを見る。緩急が効きすぎて風邪を引きかねない。


「魔王さんは貴公ほど、勇者の不死身を信じてはおらんぞ。

 ――見るがいい」


 首筋で膨らむ大きなつぼみを、指で弾く。

 ……そうだった。誰かさんのキャラが濃すぎて存在を忘れかけていたけど、この人ってミラージュ・ダリアに喰われてるんだった。余命はあと二時間足らず。

 だったらなおさらもっと真面目な雰囲気出してほしい――と言いたいが、最期の瞬間まで自分の流儀を貫くことこそ王の在り方なのだろうか。

 魔族の王は静かに続けて、


忌々いまいましきミラージュ・ダリア……の、対魔王さん特注品よ。

 これはな、魔王さんと勇者の戦いのさなかに何者かによって撃ち込まれたものよ」

『なんと』

「どこのどいつか知らんが、無粋ぶすいな輩もあったものよな。

 せっかく逢瀬おうせひたっておったというのに。

 まあ、浸りすぎて峡谷きょうこくを平地に変えてしもうたから、あそこに住んどった獣たちには悪いことをしたが」

『………』


 誇るでもなく語られた力は、俺の想像を絶するものだった。

 峡谷を平野に変える? たかだか身長二メートル足らずの生命体が?

 信じられなかった。大陸間弾道ミサイル何基分の火力を、そのちっぽけな体に秘めているのか。魔王バルマウフラ、勇者フィリアノールという両雄は。

 そして、そんな戦略兵器並みの存在に奇襲を仕掛け、致命的な毒を与えた者とは?

 この世界に来て二日目の俺には、想像することすら出来なかった。


「勇者のヤツもこれを喰らった。

 混乱して互いを見失い、その場はそれまでとなったが」


 と、そこでひとつ息をつき、魔王さんは不思議なことを言う。


「今ここにおらぬということは、あやつの命運もこれまでであろうさ」

『ここ……この地が、何か?』

「この花を枯らす薬の素材がある。雪より白いダリアの花よ。

 群生地――花畑になっておるとの記録を、うちの超絶有能司書が見つけた」

「!!」


 喜色きしょくあらわにする俺たちに、しかし魔王さんは苦笑とともに首を振り、


「あいにく、細かい場所はわからぬ。

 この山脈のいずこかというだけよ。

 ゆえにまぁ、我が命運も勇者のそれと大差ない。何しろこれこの通り、花に魔力を吸われて常人程度にしか動けぬでな。

 この足で、二時間以内にこの山脈から花畑ひとつ見つけ出すのは……異界人の言葉でいう『クソ渋ガチャの初回10連でPU完凸するようなもの』であろう」

「どこの馬鹿ですか。そんな語彙ごい残したのは」

「む」


 反射的に呻いた俺の声に、魔王さんは耳ざとくこちらを見やり、


「そなた、意味がわかるのか?

 ならば教えてくれ。個々の単語の意味までは史料に残っておらんでな、ずっと知りたかったのだ。

 異世界人の言葉の真意というのは、いかにも我が冥途の土産に相応しかろう」

「くじ引き十回やってアタリ全部持ってくって意味です」

「冥府に持ち込めるかそんな土産!」


 信じられない(あるいは信じたくない)という顔で、魔王さんが崩れ落ちる。

 顔も上げられないまま続けて、


「む、無謀な勝負を嘲笑あざわらうニュアンスだとは思っていたが……。

 魔王さん、けっこう何度も言っちゃったぞこれ。前線で兵を鼓舞こぶするときとか、戦略会議の席とかで……魔族の英雄詩と公文書こうぶんしょにばっちり残っとるぞ」


 あちゃー。


「殺してくりゃれ。咲くまで待てん。殺してくりゃれよ」

『勇者と戦わなくて良いのですか』

「だってあいつ来とらんし……」


 こんこんこんっ


 ――と。

 窓を叩く音が響いて、俺はそちらに目をやった。

 ここ――車体後部のベッド脇からは、音の主の姿は見えない。死角になっている運転席の窓を叩いているのだろう。

 ただ、声は聞こえてくる。息せききった女性の声が。


「ごめんくださぁい! 勇者です!」


 ええ……?


『ああいうヤツなのです』


 絶句する俺たち三人へ、クリスさんは何やら自慢げに微笑んだ。

 この人が嬉しそうだから、もろもろヨシ。

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