第5話 吹雪の並走

 アクセルはほとんどベタ踏みだった。

 経験したことの無いスピードと、背後から迫る命の危機。噴き出した冷や汗が目に入り、俺は奥歯を噛み締める。

 サイドミラーに映るのは、巨大な狼にまたがるオーガたちだ。

 見る見る距離を詰めるその全員が、手にした剣を振りかぶり、あるいは弓に矢をつがえている。

 中には、振りかざした杖の先に炎を灯した者もいた。あれは魔法なのだろう。

 何をするつもりか、俺でもわかる。

 一斉射撃だ。


けろエイジ!』

「無理です!」


 裏返る声で、俺は叫んだ。

 この路面状況で急にハンドルを切ったりしたら、まず間違いなく横転する。動けなくなって、それで終わりだ。

 このまま加速するしかない。

 普通乗用車の法定最高速度は100キロ。このクルマがそれ以上のスピードを出して、あの狼を振り切ってくれるよう祈るしかない――!


『来る!』


 クリスさんが声を上げたとき、俺はオーガたちを見ていなかった。

 石畳から外れないようハンドルを操るので精いっぱいだった。

 だから、わからなかったのだ。


 こんっ


 遠慮がちに響いたその音が、何から生まれたものなのか。


 こん

 こんこんっ

 ぽんっ!


「………?」


 そろり、と。

 俺はサイドミラーを見やる。

 狼にまたがったオークたちが、何故か先ほどより小さく見えた。

 剣を投げ終え、空手からてになった者たちが、愕然がくぜんと目をいているのも見えた。

 それから、


 ひゅっ


 放たれた渾身こんしんの一矢がサイドミラーに直撃し――

 ドッジボールほどの火の玉もリアウインドウに炸裂し――


 かんっ

 ぽぽんっ


 軽い音を立てただけで、傷ひとつつけずに終わっていくのを。


「ええ……?」


 でられたようなものだった。

 火球が直撃したにも関わらず、車内に熱気すら伝わってこない。

 何だ?

 何が起こってる?

 きょとんとするあまり俺が速度を落とすところに、オークたちが距離を詰めて来た。

 並走、肉薄。オークたちは両脚だけで器用に狼を操って、丸太のような両手で剣を直接叩きつける。鉄の鎧すら容易たやすく両断してのけるだろう、文字通り怪物的な猛撃。

 それが。


 かつん


 やっぱり、むなしく弾かれる。


「………」

『………いやエイジ、助けを求める目で見られても』


 すみません。

 でも、俺だって考えてもみなかったんです。

 キャンピングカーの一体成型いったいせいけいボディが、オーガのパワーを受けてビクともしないなんて。

 ……そういえば、最初はキャンピングカーじゃなくて戦車を創るはずだったんだっけ。

 まさか――まさか、あのときイメージした堅牢無比の複合装甲が、この車体に実装されているのか。ンな馬鹿な。にしては構材こうざいが薄すぎる。

 でもこの非常識な強度は、そうとしか考えられないわけで……。


 グオゥッ!!

 グオォオオゥッ!!


 悲痛な声を上げながら剣を振り、火の玉を放ち続けるオーガたちを、俺はしばしぼんやりと眺める。

 凄く頑張っている彼らがかわいそうになってきて、30キロくらいに速度を落としながら。

 あ、剣折れた。


 ルォオオォオオッ!?


 オーガさん泣いてる。かわいそう。


「キャンピングっつーか……サファリカーだなこりゃ……」

『エイジ、もう行こう』


 ただただ困惑していた俺は、クリスさんの声で我に返る。

 彼女は既に冷静な面差おもざし。オーガのちからを肌で知っているクリスさんこそよほど混乱しているだろうに、それを表に出さないあたりはさすが騎士といったところか。かっこいい。


「了解」


 俺は軽くうなずいて、アクセルを踏み込もうとし――

 止める。


「?」


 並走している何騎かのオーガが、必死に杖を振り回していた。

 杖の先に灯る炎が、ひも状に伸びて形を取る。

 見覚えのある形状。

 あれは……

 ひらがな、か。

 いわく、


 まて

 はなす

 かいわ


「待て、話す、会話?」

『……そう書いてあるのか?』


 日本語を読めないらしいクリスさんが、読み上げる俺に眉をひそめる。

 戸惑ってしまうのは俺も同じだ。問答無用でクルマを破壊しにきたくせに、無理と悟るや対話を要求してくるというのはびっくりするほど情けない話だし――それ以上に、ぶっちゃけ蛮族にしか見えないオーガが日本語の文字を操ってみせたことが衝撃だった。この世界においては異世界の言語だろうに。

 ここまで驚かされてしまうと、ちょっと話してみたくなるなぁ……。


『応じることはないぞ。危険だ』


 クリスさんのにべもない一言に、俺が曖昧に頷きかけたとき。


 ――ドシャッ


 重い音を立て、オーガの一人が狼から落ちた。

 雪に埋もれ、ほとんど動かない。


「!」


 俺は思わずブレーキを踏む。

 見れば、落狼らくろう(?)したそのオーガはまとった毛皮がボロボロに裂けていた。低体温症だろうか。

 まさか、最初にこのクルマに取りついて振り落とされたあの人か?

 あのとき毛皮が破れて、代わりの防寒対策もしないままここまで来たのか。自動車と並走するようなスピードで。


(だとしても俺のせいじゃねえ。行こうぜ)


 頭の中の冷たい部分が、心底嫌そうに正論を吐く。

 その通り。挨拶も無しに実力行使に出たあっちが悪い。寒さに凍えようがそのままくたばろうが、俺には何の落ち度も無いし、哀れに思う義理も無い。

 無いのだが。


「死なれたら寝覚めが悪いっ」


 ああもう、と首を振り、俺は車を降りようとする。


『やめなさいエイジ! 危険だ!』


 血相を変えて叫ぶクリスさん。ホログラムの手をこちらに伸ばし、さわれないことにイラつくように何度も虚空をきながら、


『言ったはずだ。ヤツらは≪スキル≫使いの手足を切断すると!

 このクルマにこそ歯が立たなくても、人間の体なんぞ爪のひと薙ぎで真っ二つに……』

「大丈夫です。たぶん」

『エイジ!』

「ほら、見てください」


 怒鳴るクリスさんに、俺は自分の腕を指で軽く弾いてみせる。


 カチンッ、という硬い音。


「関節部以外の皮膚と、あと服を複合装甲に≪変換≫しました。今」

『はあっ!?』

「要するに今の俺は、このクルマと同じくらい堅いってことです」

『それはわかる! わかるが!

 こ、怖くはないのか!? 自分の体を創り換えるなど!?』

「半日も練習しましたから」


 あっさり返すと、クリスさんは絶句したようだった。

 まあ、確かに危険はある。関節部を斬られたら普通に一刀両断にされるし、たぶん皮膚呼吸できてないから長時間の維持は命にかかわる。

 それを承知でオーガの前に我が身を晒すなど、はっきり言ってアホの所業しょぎょう

 だとしても……やっぱり、死にかけてる人を放っておくのは気分が悪い。

 それにもう一つ、合理的な理由もある。


 「クリスさん、姿を隠しておいてもらえますか?

 でなきゃ、一旦通話を切るか」


 合理的な方の理由のために、俺はそんなことを言う。


『どうするつもりだ?』

「オーガからいろいろ聞けるかもしれませんから。

 何でここにいるのかとか――俺が飛ばされてくるのをどうして知ってたのか、とか」

『む』


 そのことが気になってはいたようで、クリスさんが黙り込む。

 そう。

 俺はこの状況が、全て仕組まれたものではないかと疑っている。

 黒幕は俺を召喚し、さらにこの雪原へと≪転移≫させたあのお姉さんだ。

 彼女は俺を――≪スキル≫使いの被召喚者をオーガたちに引き渡すためにここに≪転移≫させたんじゃないか。

 早い話、あの人は魔王側に寝返ってるのでは?

 そうした疑念を抱かずにはいられないくらい、状況証拠が揃い過ぎている。


『それを確かめようというのか?』


 問うクリスさんは、何故か少しだけ苦しそうだった。


『我が王国への、復讐のためか』

「……そうです」


 と、俺は嘘をつく。

 本当は、クリスさんへの情報提供が目的だ。

 彼女が忠誠を捧げる国に――それも国家の中枢に、裏切り者がいる。その事実を伝えることで、クリスさんに命を救われたことへの恩返しにするつもりだった。もちろん、これだけじゃ到底返しきれないが。

 そんな本音を明かしてしまったら、クリスさんは『エイジが私のために無茶をする』と自分を責めるだろう。だから嘘をついた。

 でも。


『……キミは』


 クリスさんの切なげな声は、俺の嘘なんか全部見抜いているようだった。


『高潔な男だな』

「やめてください」


 たまらず、俺は手を振った。

 情報提供も、オーガを助けようとするのも、そうしたいからするだけだ。要するにただのワガママ。本当に高潔な人間は、きちんと葛藤して、それを乗り越えて善行を果たす。


「じゃあ、行ってきます」

『死ぬなよ』


 その言葉を残し、クリスさんの姿が消えた。

 魔法を解いたのか、姿を隠したのか。それはわからないが、準備は出来たと見てドアを開ける。


 びゅおぅっ


 たちまち吹き込む雪と冷気。あ、まずい。これ死ぬ寒さ。

 早くも軽く後悔しながら、俺はオーガたちに呼びかける。


「言葉はわかるんですよね?」

「………!」


 オーガたちに動揺が走るのがわかる。

 それはそうだ。絶対に破壊できない≪殻≫から、ターゲットが進んで出て来たんだから。

 皆一様いちように凍りつき、自分たちより小さく貧弱な≪被召喚者≫を凝視している。

 その眼差しに、


(ひええええ……)


 ばっちりビビって、涙目になる。

 怖い。超怖い。

 だってあいつらみんなデカいし。筋骨隆々の大男の群れが、馬みたいなサイズの狼に乗ってこっちを見下ろすビジュアルの暴力。自分の皮膚が複合装甲とか、そんなポジティブな情報が全部どうでもよくなるような原初的恐怖が脳を焼く。

 やばい。無理。

 戻ってアクセル全開で逃げよう……五秒。そう、五秒返事がなかったら。

 カウントスタート。いーち――


「総員、下狼げろう!!」


 吹雪に負けない勢いの号令が、カウント0.5で俺の予定をぶち壊した。

 思わず背筋を伸ばす俺の眼前で、巨人たちが一斉に狼を降りてひざまずく。

 ただ一人、ひときわ大きくて知的な目をした者だけが、こっちを見据えて口を開く。


「異界の英傑よ!」


 ……それもしかして俺のこと?

 へっぴり腰になりそうなのを必死でこらえてんだけど?


「呼びかけに応じて頂けたこと、深く、深く感謝する!

 同時に、力をもって御身おんみを阻まんとした罪を許されたい!

 御身のかたわらにクリステンデ=V=エストカーリアの姿を認めたゆえ、言葉は通じぬと信じざるを得なんだ!

 我らは――」

「あ、あの!」


 思ったより流暢りゅうちょうかつ文化的な口上に、俺は勇気を奮って割り込む。

 さっきから倒れて動かない、毛皮の破れた一人を指差し、


「まずその人を車の中に! あったかいですから!

 話も中で聞いていいですか」


 ビビり倒しながら告げたその言葉に、オーガたちは何故か一斉に目を見開いて――

 直後、一斉に頭を下げた。

 まるで感極まったように。

 そのまま、口を揃えて叫ぶ。


「痛み入る!!」

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