曇り時々、退職日和【短編】

カズサノスケ

第1話 ムリジャンヌ

「お電話ありがとうございます! 退職代行サービス、ムリジャンヌ、でございます。どの様なご相談でしょうか?――」




 ――ふう。



 外したヘッドセットを置いた君島塔子。すぐに、デスクの脇に置いたペットボトルのキャップを外して、ゴクリゴクリ。



 ――もう、こんな時刻……。



 退勤まであと数分という時刻で鳴り響いたコール音だった。


 たまたま前の相談が終わったばかりの塔子は条件反射で受話器を取ってしまい、時計に目をやってはすぐに後悔したものだ。


 時計の針は午後6:02を示している。1時間と2分の残業だ。


「あぁ、もう。こんなのが何日続くのよぉ!」


 塔子が相談を聞いている間に、1人、また1人と退勤。誰もいないオフィスで独り声を荒らげる塔子。


 結果的に、最も勤勉な労働者になってしまっていた。


 引っ切り無しに鳴り始めるコール音が塔子のイライラを加速させる。1分間ほどで翌営業に誘導する自動電話案内に切り替わっては、また新たなコールの繰り返し。


「4月下旬でこれか……。5月になればもっと……」


 4月下旬は意気揚々と会社員人生を歩み始めた若者たちの心が折れ始める頃だ。そうして5月病が流行するのはもう少し先の話。


「――今、かな」


 椅子の背もたれに上半身の体重の大半を任せたまま、窓の外にうすらと灯るビル灯りを数える塔子だった。



 少しの間そうしてから、おもむろにスマホに手を伸ばす。



 ◆ ◆ ◆



 翌日の朝礼での事。


 30代前半中心の、男性9名、女性6名という職場。


 起立した皆が居並ぶ前に立つ、唯一の40代の男。安っぽい整髪料の臭いを漂わせる者が咳払いを一つしてから口を開く。


「間もなっく、です。この業界にとって一番の稼ぎ時、5月病商戦がやってきますよぉ! みんな拍手!!」


 満面の笑みを浮かべた小暮崎チーフが両手を打てば、それに合わせて皆が同じ様に。


 塔子もまたそうする。


 出来るだけ音が出ない様に、少しばかり力を抜きながら。



 ――夏の旅行、どこ行こっかな。



 5月が過ぎ去った後の事ばかり考える様に努める塔子。


 はい、手を止めて、と小暮崎。


「そこで、当社はゴールデンウィーク前割りサービスを行う事になりました!」


 ――えっ?


「本日お申込み頂いたお客様は依頼料20%オフ! 明日になれば19%。GWに近付くにつれて割引率が下がっちゃいます。退職するなら1日でも早く決断した方がお得ってわけですねぇ!」


 ひひひぃっ、小暮崎が気色の悪い笑い声を発してから言葉を続ける。


「辞めたい人の気持ちを後押し。どです? なかなか思いつかない様なアイディアでしょう?」


 競合他社から客を奪い取る、と締めては、どや顔で両腕を組んでみせる小暮崎。



 吐きそうだ、色んな意味で吐きそうだ。そう思う塔子は足下がふらつきそうになり、慌てて姿勢を正す。


「さぁて、大きな業務連絡は終わりです――が、皆さんに嬉しいご報告が2つあります」


 額面通りに受け止めていいわけがない、とばかり。聞いた途端、脚に力を込めれば背筋がピンとなる塔子。


 丁度その瞬間を、チラりと小暮崎が一瞥する。


「まずは、金井さぁ~~ん。ちょっと前へ出ましょうか」


 呼ばれた金井佐知。肩口まで伸びた髪に軽く手櫛を入れながら小暮崎の左隣に立つと、少しうつむき加減。顔色はどこか朱めいている。


「なぁんと! 金井さん、苗字が変わる事になりました!!」


 えっ、当の金井が驚いている。


 目を丸くしながら小暮崎の方を見ては、夫婦別姓にするので変わりません、と小声で。それなら早く言ってよ、と小暮崎。


「まあいいや。金井さん、30歳、結婚します! そして、おめでたです!!」


 ――デリカシー……。




「――というわけで。急ではありますが金井さんは今月いっぱいでの退職となります。金井佐知さん、今までありがとう。みんな、拍手!!」


「皆さん、お世話になりました! これから忙しいというのにゴメンなさいっ!!」


「「そんなの気にするなよ」」


「「「おめでとう!」」」


「「いいな~~」」


 ――おめでとう……。


 塔子の拍手は一層弱い。


 3年間ほど一緒にやってきた仲間、オフの日にも付き合う様な友達ではないが休憩中のランチは共にする機会も多かった金井の結婚。


 本当なら心の底から喜んであげられるところだが、身体が自然に拒否反応を示していた。


 ――女性6人でカツカツだったのに、5人……。


 退職の理由は様々だ。中にはセクハラ絡みもあり、相談相手と同性の社員が対応に当たる事になっている。


 拍手がまばらになり始めたところで小暮崎が金井を列に戻す。


「では、ご報告をもう一つ。私、愛娘リンちゃんの為に明々後日から2週間の育休を頂戴致しますので」


 小暮崎の家庭に2人目の子供が誕生したのは先月の事だった。この間の一月ほどで、どの様な成長を見せたのか、延々と語る。


 皆が、へぇ、と頷きながら目線は同じ。小暮崎の後ろにある丸皿の時計だ。


 望まれていない、小暮崎家の育児奮闘記が9分間ほど続いたところで。


 上の子は2歳、何かと手がかかるので妻の負担を減らす為に育休制度を利用する、と。


 ――ものにはタイミング、あんだろぉ……。


 育児をした事はないが大変さくらいは33歳の塔子にもわかる。そういった話は友人たちから耳にしている。


 だから、夫と親としての小暮崎の気持ちくらいは理解出来ている。


 だが、5月病商戦だ、と発破をかけたリーダーが率先して戦線離脱はどうなのだろう。塔子の胸の内は沸々と。



 それと、そう前置きした小暮崎。


「退職ブームに乗って我が社もそれなりに世間に名を知られた会社になりましたね。来年度からインターン採用もする様でして――」


 家庭を大事に出来る会社として、企業案内の資料へ載せる実績を作る為の社命でもある。そう言っては笑みを浮かべる小暮崎。


「そういうわけで。何か大事な案件がある方は、明後日の朝までに報告書をお願いしますよっ!」


 では解散、と手を打った小暮崎だったが。


「そうそう。今、金井さんが抱えている案件は君島さんよろしくっ!」


 ――なんで私なの?


「あっ、はい」


 ――そう言えば、ランチ行った時……。


 手こずっている案件がある、金井にそう相談されたのを思い出す塔子だった。





つづく

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