No Nothingな(の)日常
お話を聞かせて
前後編 No Nothingな(の)日常
前編 No Nothingな日常
レジの前に褐色に焼けた壮年の美丈夫が立つ。俺の知り合いだった。
「山城さん、久しぶりっすね」
レジに置かれた500ml入りのペットボトルコーヒーとブルーベリーの板ガムのバーコードをスキャンしながら話しかける。
「うん、最近仕事でちょっと遠くに行っててね。無忌くんは調子どう?」
「いつもどおり。退屈な毎日送ってますよ」
「そうか」
山城さんは、かすかに笑いを浮かべて頷いた。そして、艶消しのサングラスを傾けると、
俺の目をのぞき込む。
「どうかしました?」
「……いあ、あと、タバコ。いつもの」
「あざっす」
俺はタバコの棚の71番、マルボロブラックメンソールを持ってきて、会計に加えた。
山城さんは支払いを済ませると、コーヒーとガムを掴み、人差し指と中指、二本の指でタバコはこちらに滑らせた。
俺は軽く会釈して、タバコをジーンズのポケットに押し込む。
「次バーに行くのはいつ?」
「土曜日に行こうかなと思ってます」
山城さんとは行きつけのバーで知り合った。マスター相手に文学論議、というより雑談をしていると、初めて店に来た山城さんが話に混ざってきた。山城さんの文学の知識は俺より余程深く、俺は山城さんに一目置かざるを得なかった。それ以来、歳は離れているが仲良くしてもらっている。
「じゃあ、僕も行けたら行くこうかな。またね」
「はい、ありがとうございました」
山城さんは颯爽と去って行った。
久しぶりに知り合いに会うというイベントが終わると、俺は再び退屈なコンビニの業務に従事した。著名な客が訪れるわけでもない、万引き犯がいるわけでもなければ、トイレでシャブ中が薬物を乱用するわけでもない、特別なことは何も起こらない、ルーティンワークを没我的にこなす。脳髄を半ば眠らせたまま、一日をやり過ごした。
8時間の勤務が終わると勤めてるコンビニで缶ビールと弁当を買って家路につく。日脚が遠退いて薄暗くなった通りを十五分ほど歩いてアパートに帰ると、ジャージに着替えて食事を終える、それから酒と煙草を片手に読みかけの小説を開いた。読んでる小説は、ブコウスキーの『くそったれ! 少年時代』。山城さんが一番好きな作家だと勧められて読み始めたのだが、確かに面白い。作者の半自伝小説らしいのだが、悲惨な出来事を特別な感傷なく眺めている視線がかっこいい。
俺は昔から小説を読むのが好きだ、ジャンルにはこだわらない、雑食性の読書家だ。中学高校時代は読書に明け暮れた。その流れで大学は文学部日本文学専攻を選んだのだが、しばらくしてある気づきを得た。俺は文学を消費することはできるが、研究をしたり、新たな知見をもたらすことには興味がないという気づきだった。つまり俺にとって文学は純然な趣味であって、学問の対象ではなかった。それを自覚してから、大学に行くのが億劫になった。このまま文学部にずるずると籍を置いていると、小説そのものが嫌いになるかもしれないという危惧もあったので、俺は大学を中退した。就職に役立ちそうな学部に転部するという手段もあっただろうが、投げやりな気持ちになっていた俺は努力を必要としない安易な道を選んだ。
それ以来、俺は実家に帰ることもせず、東京でフリーターとして暮らしている。コンビニで働き、タバコと酒をやりながら小説を読む。このご時世に、小説と酒と煙草を好んで摂取するということは、馬鹿であることを意味する。時代遅れのカビの生えた敗残者が俺だ。だが、俺は人生を変えようとは思わない。現状に取り立てて差し迫った不幸を感じていないからだ。無論、幸せかと問われればノーなのだが。
テーブルが震えたので、視線を下すとスマートフォンに着信があった。母親からだった。
「もしもし」
「もしもし、無忌?」
「そりゃ俺の携帯だからね」
親からは一カ月に一度程度電話がかかってくる。俺の体調を気にし、実家に帰ってくる気はないのかと尋ねてくる、お決まりの内容で、毎回同じことを聞いて飽きないのだろうか疑うが、親ってのはそういうもんなんだろう。
こちらも義務的に両親の体調を聞いた。
「お父さんもあたしも元気だよ。あんたところで健康診断とか受けてないでしょう?」
「うん」
「そりゃ駄目よ。お父さんの会社で20代前半の人と50代の人が同じ時期に癌になってお二人ともすぐ死んじゃったって」
「へえ、二人も死んだの。親父の負担増えたりしてないかな」
「それは大丈夫みたいだけど、若いからってあんたも油断しちゃだめよ」
それから他愛もない雑談をして電話を切った。
缶を振るともう中身は空だった。正直、飲み足りない。俺は財布を取って中身を覗いた、三杯ぐらいなら飲んでも大丈夫そうだ。着替えるとヘッドフォンを首にかけジャケットを羽織って街に出た。
バーの扉を開きマスターに挨拶してカウンター席に着く。アードベックTENのストレートと炭酸水を注文して首にかけたヘッドフォンを指さす、今日はマスターとの会話を楽しみに来たのではなく音楽を聴きながら小説を読むという合図だ。輪郭に沿ってひげを生やしたマスターは笑顔で頷いた。
注文の品が目の前に置かれると、俺はヘッドフォンを耳に当て、The prodigyのfirestarterをループ再生で流しながら、スマートフォンでカクヨムというサイトを開いた。カクヨムとは、小説投稿サイトで読者はプロアマから投稿された小説を無料で読むことができる。各種ジャンルが揃い、質がいい小説も多数投稿されている、俺のような懐が寂しい人間にはありがたいサイトだ。
しばらく現代ファンタジーものを読んでいると、肩を叩かれた。叩かれたほうを瞥見すると、いわゆるゴシックな衣装に身を包んだ、異様なほど整った顔立ちの若い女が隣に座っていた。
俺はヘッドフォンを外し、声をかけた。
「黒祖じゃん、奇遇だねえ。元気してた?」
「ええ。無忌さんもお変わりないようですわね」
女は優雅に微笑んだ。
この女、黒祖メアとは折り紙を教える文化教室で知り合った。ある日、読んでいた小説に出てきた創作折り紙に興味を持った俺は、区内の折り紙教室に入ったのだが、しばらく後に訪れたのが彼女だった。
彼女は手先が器用で、折り紙には難儀しそうなゴテゴテした服装にもかかわらず、次々と難易度の高い折り紙を習得していった。
一方、俺は中難易度の折り紙で足止めを食らっていた。何重に折る創作折り紙は折り図から1㎜ずれるだけで最終的な齟齬が大きくなり完成形に至らないこともある。生来、器用でない俺は大変苦戦しているのだった。
でも、そんなものだ。人間には得手不得手がある、俺が折り紙が苦手で、黒祖が得意でも何の不思議もない。まあ俺の得手は今のところ発見できていないが。
折り紙教室は子供か年寄りばっかりだったので、年の近い俺たちは自然と仲良くなった。
このバーもオレが黒祖に紹介して、それ以来彼女も通い始めた。
「何を読んでいますの?」
黒祖は体を寄せて、こちらのスマートフォンをのぞき込む。
「カクヨムで、現代ファンタジーの新作読んでた。設定が斬新で面白いよ、あと主人公が屑」
「あとでタイトル送ってください。私も読んでみますわ」
俺は頷きながら、改めて黒祖の現実離れした存在感に思いを馳せた。
ですわよ、いますの、みますわ。こんなフィクションみたいなしゃべり方するやつに初めて出会った。スタイルもよく、顔だってめったに見ないぐらい整っている。服装も派手だ。
漫画から抜け出してきたみたいな造詣だが、ぎりぎり個性の範疇ではある。黒祖も意識してキャラクターを作っているのだろう。
「無忌さんは近頃なにか変わったことはありましたか?」
俺は音楽を止めて首を振った。
「マジで何も起こらん。完全な無風状態、黒祖は?」
「私は、私は」黒祖は迷うようなそぶりを見せたが、結局、「私も何もありませんわ」と返した。
「人生なんてそんなイベントが多発するようにはできてないだろうさ」
「本当にそうでしょうか」
黒祖は囁くように呟くと滑らかな白い指先で、中空に円を描いた。そして指を鳴らす。
俺はその不思議な仕草を見守っていたが、当然、何も起こらなかった。
やがて黒祖が笑い出した。
「やっぱり駄目ですわね」
「何が?」
「いえ、こちらの話ですわ」
よく分からなかったが、俺は適当に頷いた。
それからマスターを交えて他愛もない会話をしていたら、店のドアが開いた。何気なく目をやると、赤いコートの青年が入り口に立っていた。
「いらっしゃいませ、カウンターへどうぞ」
マスターが声をかけるも、青年は動かなかった。視線は黒祖に据えられている。
黒祖が振り返って、青年に声をかけた。
「レッドブランチチャンピオン。こんなところで会うなんて奇遇……なわけありませんわよね? 私に会いにいらっしゃいましたの?」
「そうだ、ワイルドハントクイーン……君に会いに来た」
随分長い綽名だなと俺はぼんやりと思った。
二人は見つめ合っていたが、それ以上は何も起こらなかった。
「おかしい。その気が失せた」
青年、レッドブランチチャンピオン? は怪訝そうに呟いた。黒祖は青年から目をそらしてグラスを煽った。
青年はカウンターに腰を下ろし、ジントニックを注文した。
二人の関係に興味がわいたのは事実だが、関わり合いになるのは面倒臭そうなので俺は特に何も言わなかった。
しばらくして二人はそろって店を出た。
「では、またお会いしましょう。無忌さん」
黒祖は優雅に一揖して去って行った。
数日後、俺は深夜から早朝のシフトでアルバイトに入っていた。
たまに酔っ払いが来店したが、床に吐いたりはしなかった。他のアルバイトのシフトの時はたまにあるそうだが、俺は一度も経験がない。経験したい事柄でもないので大いに結構だ。
明け方、自動ドアが開いたので反射的に「いらっしゃいませー」と声に出す。音を発しているだけで、意味はとうに消失している。
入り口を見ると、白皙の美少年が同じ背格好の少年を背中に腕を回して担いでいた。ここ数日よく知り合いに会うなと思った。
「瞼くんじゃん、背負ってのんのは……睫くん?」
「はい……お久しぶりです。無忌さん」
瞼は弱弱しい笑みを浮かべた。
瞼と睫は兄弟だ。彼らとは漢詩の吟詠を目的としたサークルで知り合った。
高校時代から漢詩には興味があったのだが、よく考えると日本語の書き下し文を読むだけで中国語の発音で漢文を読んだことはないと気づいた。そこでピンインの発音で漢詩を吟詠する社会人サークルを都内で見つけだし、おりおり通うようになったのだった。しばらくたったあと、高校生だった瞼、睫兄弟が漢文の勉強の一環として、そのサークルに顔を見せるようになった。二人の吟詠は、タバコと酒でやられた俺の声とは全く異なっていた。神韻縹緲という表現が適切なほど、二人の歌う声は澄み渡り、冴え切っていた。
二人は俺が通っていた大学が第一志望だと語り、俺がその大学に中退したことを知ると、時間のある時に勉強を教えてくれないかと頼んできた。二人の声に聞き惚れていた俺は、恩返しのつもりでその頼みを承諾した。以来、頼まれれば勉強を教えている。もっとも二人ともよくできた生徒で俺が教えることなどほとんどなかったが。
時計を見ると5時半だった。
「こんな早くから、どうしたんだよ。っていうか二人とも家遠くじゃなかったけ」
瞼は伏し目がちになって呟いた。
「多分、無理だとは思います。それでも賭けてみたくなって……」
「はぁ?」
俺はカウンターを出て二人に近づいた。
「要領を得ねえな。睫くんどうしたん?」
俺は背負われた睫の顔を覗き込んだ。
ギョッとした。驚きのあまり俺は一歩あとじさった。もともと白い睫の顔は青ざめ、生気がなかった。死んでいた。
いや、そんなわけはない。こんなガキの死体が兄弟に背負われてコンビニに運び込まれるなんてありえない。
俺はもう一度、睫に近づいた。その瞬間、強いアルコール臭が鼻を突いた。睫が浅い呼吸をするたびに、匂いがこちらに吹きかけられる。
俺は一つ息を吐くと軽く瞼に蹴りを入れる。
「高校生の分際で前後不覚になるまで酔うんじゃねえよ」
こいつらは多分この近くの友達の家か何かで飲み会を開いていたのだ。それで自分の共用量が分かっていないから飲みすぎて潰れた。よくあるガキの失敗、微笑ましい成長の過程だ。
笑いかけたが、瞼は愕然とした表情を浮かべていた。
「なんだ、その顔?」
「いえ、しかし、これはあまりに」
相変わらず要領を得ない。こいつも酔ってんのか、と疑うと、確かに瞼からも酒の匂いがした。それに気づいたのか、瞼は自分の口を手で覆った。
俺は瞼の相手をあきらめて、睫の頬を叩いた。
「おい、睫くん、目覚ませ」
瞼はゆっくりと目を開いた。
「あれ……無忌さん?」
「酒飲むなとは言わねえが、限界は知っとけよ」
俺はスポーツ飲料のペットボトルを棚から取り出して会計し、二人に渡した。
二人はいやにかしこまった体で、それを受け取った。
勤務も終わり、俺はコンビニの前に設置された灰皿で煙草を吸っていた。夜勤明けの煙草は美味い。
しかしこの一週間何も起こらなかった。ある偉大な人物の言葉によると、人間は一日として同じ日を過ごしてはならないらしい。俺はどうだ? 昨日と同じ今日を過ごし、今日と同じ明日を迎える。多分一年後も何も変わっていないだろう。俺の人生は無風だった。だが俺に風を起こす力はない、俺はぼんやりと祈った。誰か俺の人生の帆に風を吹きかけてはくれないか。
そこに山城さんが通りかかった。
「あれ、これから出勤ですか」
「うん、ちょっとトラブルがあってね」
「へえ、こう言っちゃ失礼かもしれませんが、イベントがある人生って羨ましいですよ。俺の人生にもなんか起こってくれませんかね」
意外にも山城さんは笑わなかった。真剣な表情で言う。
「君の人生がつまらないのは、君自身のせいだ」
痛烈な言葉が返ってきた。その言葉は俺の心の奥の深い所に刺さった。それでも何とか笑い飛ばして言う。
「説教は勘弁ですよ」
「説教でもないんだけどね」
山城さんは遠くを見ながら呟いた。
後編『新種の能力者に関わる報告書』
新種の能力者『山田無忌』に関わる報告。
複数回による観測の結果、当該人物の能力が確定した。
その能力は『彼が認識しうる範囲においては、彼の常識内の出来事しか起こらない』というものである。委員会はこれを『No Nothing』と命名した。
その特性、効果範囲、希少性などから当該人物を本邦3人目のSSS級能力者と認定する。
今まで、複数の能力者が彼に対し接触し、勧誘、拉致、殺害を試みたが全て失敗に終わった。一例として、『歪者統一戦線』のS級能力者『山城雷雹』が目の合ったものに雷撃を叩きこむ『霹靂の魔眼』にて当該人物の心臓に一撃を与えようとしたが不発に終わっている。また『黒い魔女の森』のSS級能力者『黒祖メア』が能力によりワイルドハントを召喚、当該人物を拉致しようとしたが、これも失敗に終わった。なお、黒祖メアが当該人物と接触している最中に、『三重冠聖堂騎士団』のS級能力者『紅威敬』が黒祖メアを襲撃したが、その場では戦闘に至らなかった。後に紅威敬に事情聴取したところ、殺害を目的として黒祖メアと接触したが、当然その気が失せたと供述した。これはおそらく、能力者同士の戦闘という事態が山田無忌の『常識外』であったためと思われる。二人は山田無忌の認識外である郊外まで移動した後戦闘を開始、結果、黒祖メアは死亡した。
数日後、山田無忌を『レテの河を渡る者』の『オルクスの双子』冷泉瞼・睫兄弟が訪れている。弟の睫は霹靂の魔眼により心臓を破壊され死亡していたが、山田無忌との接触により蘇生、正確にはアルコールにより酩酊していたと現実を書き換えられた。山田無忌と別れた後も睫に別状はなかった。
以上により、山田無忌は死者の蘇生すら可能ということが確認された。
その能力の範囲を確認するために、山田無忌の父親とその同僚二名に、検出不可能な特殊な発がん物質を秘密裏に投与したが、同僚二人はがんを発症したものの、父親に変化は見られなかった。山田無忌の常識において、父親の死は老衰などに限られるものと予測される。同僚二人は、山田無忌には距離のある人物であり、また父親の同僚が死ぬという事実が常識内でもあるため、発がんし死亡したと思われる。
これは検証途中ではあるが、『人類断罪機構』の地球破壊爆弾が論理上完璧だったにもかかわらず不発に終わったのも山田無忌の能力の関与が強く疑われる。
その他、山田無忌の能力発現時期、規模、対抗能力の有無などについては現在調査中である。
また、生前の黒祖メアより提案のあったプラン、『山田無忌の趣味である読書を通して常識の変化を試みる』を実験的に行うことが了承された。
手始めに、山田無忌がよくアクセスするサイト『カクヨム』に常識束縛能力者に関わる作品を掲載する。タイトルは『No Nothingな(の)日常』
いま君が読んでいる小説である。
No Nothingな(の)日常 お話を聞かせて @ohanashiwokikaseteyo
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