リリス

kareakarie

第1章 零時のコンビニ、または芥溜まりの微光

蛍光灯が明滅するコンビニエンスストア『ナイトホッパーズ』の店内は、いつもと同じように白々とした光で満たされていた。棚に並ぶ商品は、まるでプラスチックの墓標のように整然としている。防腐剤の匂いと、微かな揚げ物の油の匂いが混じり合い、澱んだ空気を作っていた。私は、その中を幽霊のように彷徨う。買うものは決まっていない。ただ、この無機質な空間に身を置くことで、部屋に籠るよりは幾分かマシな気分になれる気がした。


アイスクリームのケースの前で立ち止まる。色とりどりのパッケージが、冷凍庫の曇りガラス越しにぼんやりと見えた。どれもこれも、甘ったるいだけのまがい物だ。それでも、何か冷たくて鋭いものを口にしたかった。舌の上で溶ける一瞬の刺激。それが、今の私には必要だった。結局、一番安くて量の多い、バニラとチョコのマーブル模様のアイスを選ぶ。ついでに、カフェイン含有量の多いエナジードリンクも手に取った。今夜も眠れそうにない。


レジには、覇気のないアルバイトの青年が立っていた。名札には『佐藤』と書かれている。彼は、私が差し出した商品を無言でスキャンし、合計金額を告げた。その声は、テープを早送りした時のような、抑揚のない音だった。私も黙って小銭をトレーに置く。釣り銭を受け取る指先が、一瞬だけ触れ合った。彼の指は、思ったよりも冷たかった。まるで、死人のそれのようだ、と不謹慎なことを考える。


自動ドアが、うめき声のような音を立てて開いた。外の空気は、店内のそれよりも少しだけ湿り気を帯びて、生温かい。初夏の夜の匂いだ。街灯がぼんやりとアスファルトを照らし、遠くで車の走る音が聞こえる。私は、コンビニの壁にもたれて、買ったばかりのアイスの蓋を開けた。プラスチックのスプーンで、マーブル模様を無造作に掬う。口の中に広がる、人工的な甘さと冷たさ。舌が痺れるようだ。


「……くだらない」


誰に言うでもなく、呟いた。何が、とは自分でもよく分からなかった。この味気ないアイスか、眠れない夜か、それとも、こんな場所で時間を潰している自分自身か。全部かもしれない。


エナジードリンクを一気に煽る。炭酸が喉を焼き、化学的な甘みが舌に残った。これで少しは覚醒するだろうか。それとも、余計に神経がささくれ立つだけだろうか。どちらにしても、大した違いはない。


ふらふらと歩き出す。目的地はない。ただ、このまま部屋に戻る気にはなれなかった。狭くて、息が詰まるようなあの空間。壁には、前の住人が残していったシミが、不気味な模様を描いている。まるで、誰かの怨念が染み付いているようだ。


住宅街の裏路地に入る。昼間は子供たちの声が響くのだろうが、深夜は静まり返っていた。家々の窓には明かりが灯り、生活の気配が漏れ出ている。他人の暮らし。私には縁のないもの。


角を曲がると、ゴミ集積所があった。カラス除けのネットがかけられ、いくつかのゴミ袋が積み重ねられている。生ゴミの腐敗臭と、埃っぽい匂いが混じって鼻をついた。顔をしかめて通り過ぎようとした時、ネットの隙間から、何かがはみ出しているのに気がついた。


それは、古びた人形だった。


大きさは、赤ん坊ほどだろうか。布製の身体は汚れ、ところどころ破れている。ガラスの目は、片方が取れて虚ろな穴になっていた。残った片方の目は、街灯の光を鈍く反射し、まるで私を見つめているかのようだった。ブロンドの巻き毛はもつれ、薄汚れている。着ているレースのドレスも、シミだらけで見る影もない。


誰がこんなものを捨てたのだろう。子供が飽きたのか、それとも、何か曰く付きのものなのか。どちらにしても、気味が悪い。


普通なら、さっさと立ち去るべきだろう。関わらないのが一番だ。分かっている。なのに、足が動かなかった。その人形から目が離せない。虚ろなガラスの目が、私の中の何かを捉えて離さないような気がした。


捨てられたもの。誰にも顧みられず、忘れ去られたもの。まるで、自分を見ているようだ、と思った。


周囲を見回す。人影はない。真夜中のゴミ捨て場で、人形を凝視している女。我ながら、不審者以外の何者でもない。


それでも、私はゆっくりとゴミ袋に近づいた。ネットを少しだけ持ち上げ、人形に手を伸ばす。指先が、冷たくて硬い感触に触れた。ガラスの目だ。ひやりとした感覚が、背筋を駆け上る。


躊躇いは、一瞬だった。


私は、その人形を掴み上げ、ネットの中から引きずり出した。思ったよりも重い。埃と、微かに甘いような、それでいて黴びたような匂いがした。


何をしているのだろう、私は。こんな気味の悪いものを拾って、どうするつもりだ?


分からない。ただ、この人形をこのままゴミの中に放置しておくことが、なぜかできなかった。それは、同情や憐憫といった綺麗な感情ではない。もっと、どろりとした、暗い共感のようなものだった。


人形を抱え直す。破れたドレスの隙間から、詰め物の綿が見えていた。私は、まるで壊れ物を扱うように、そっとそれを抱きしめた。人形の虚ろな目が、私の肩越しに、暗い夜空を見上げている。


エナジードリンクの缶は、いつの間にか空になっていた。それをゴミ袋の脇に、そっと置く。カラン、と軽い音がして、静寂に吸い込まれていった。


私は、拾い上げた人形を抱えて、再び歩き出した。自分の部屋に向かって。あの息の詰まるような部屋に、新しい同居人ができた。それが良いことなのか、悪いことなのか、今の私には判断がつかない。ただ、今夜は少しだけ、眠れるような気がした。あるいは、まったく逆かもしれないけれど。

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