侍犬エクスマキナ

犬ヌヌヌ犬

第1話 融合

空が裂けたのは、葉擦れひとつ聞こえぬ夏の昼下がりだった。

風が止まり、鳥が沈黙し、ただ、高周波音だけが天から降ってきた。次の瞬間、空が音を立てて裂けた。白銀の稲妻が大地を貫き、空に黒い穴が開いた。

その向こう側には、空を泳ぐ魚、空中に浮かぶ城、三つ首の竜の影。

——異世界が、この戦国の地にぶつかってきたのである。


辺りに広がる地獄の光景。

騎士と魔術師が城を侵し、槍衾が魔物に蹂躙され、凄惨さに仏も神も沈黙する。

血飛沫が高く上がり、誇らしげに首を掲げる鬼。

腕で鎧を貫き、血を啜る腐敗した鰐。


そんな時、一匹の犬が、天を見上げていた。毛は暗蒼、背に背負うは火縄銃「雷牙」、腰には名刀「鏡ノ剣」。

その名は——犬ヌヌヌ犬。


「ふむ……昼になったから起きてみればこれは一体どういうことか。とんと見当がつかぬ。」


彼は犬である。だがその脳には、人十人分の知識が詰まっている。

戦国随一の科学者たる妖。気高き侍の誇りが魂を得たのだ。


「お前たちの"魔法"、すべて斬り捨ててやろう!!」


彼が立つのは、焼け落ちた近江の地。眼前には、見るもおぞましい魔物たち。

刀を抜き、火縄銃を構え、

暗黒の毛をたなびかせて、犬ヌヌヌ犬は走り出す。

犬ヌヌヌ犬の耳がぴくり、と動いた。

忍び足を察知する。

「……仕方ない、やるか」

気づかれないよう間合いを測り、居合抜き一閃。

犬ヌヌヌ犬はまだ若く、技術は不十分であった。

しかしその刀は確実に魔物の喉笛を捉えた。

鮮血が迸る。

そこにあったのは、相撲取りほどはあろうか、異様に大きな溝鼠の死骸だった。

それを一瞥すると、犬ヌヌヌ犬は走り去った。

しかし、途中でふと何かを思い出したように止まる。


「……待て、猫ネネネ猫はどうした?どこにいる?」


周りにいた同僚の兵士に尋ねる。

猫ネネネ猫は、彼の妻であった。


「……おそらく城の中だと思うぞ」


犬ヌヌヌ犬は驚いた。猫ネネネ猫なら、城下町に買い物へ出たはずではないか。


空の裂け目より、再び降るは灰と光。奇怪なる魔導の雨が、地を腐らせ、兵の鎧を溶かしていくもぺぬぬぬんぬんぬぬぬん。


「猫ネネネ猫……!おぬし……なぜ、城に……!」


犬ヌヌヌ犬の瞳が怒りと焦燥に染まり、尾がピクリと波打つ。鼻孔を震わせ、風の匂いを探るもぺ……そこに、微かなる花の残り香……ネネネ猫の香りである。


「ぬぐっ……これは罠の香り……」

ぬっ、と地を蹴る。ぐしゃり、焼けた草がその脚に従い潰れた。

犬ヌヌヌ犬の脚は風の如く、野を裂き、道なき道を奔る。


——ドゴォン!

遠方、城郭に雷鳴一閃!天の穴から飛び出すは、巨大なる黒翼の竜三体。

「問答無用っ!!」

犬ヌヌヌ犬の火縄銃「雷牙」が震えを見せる……その銃口から火花が走り、空を撃つ!

——ズドォン!!

一発!火花の矢が空を裂く!

竜の片翼を砕き、黒い竜が悲鳴と共に落下する……!


「にゃああああああああああああ!!」

聞こえた。空から、苦悶と怒りの叫び。

それは獣の声ではない。

猫ネネネ猫の声だ!!!


「ぬぬっ!?ワイバーンの背に……っ、まさか……連れ去られておる!!」


背筋を悪寒が駆け巡る。かつて共に茶を啜り、秋の月を見上げ、毛繕いをし合ったあの愛しき存在……今や異界の魔の手に落ちているだと!?

「うおおおおおおおおおおおお!!!」

怒りと共に地を蹴る!蹴る!蹴る!

その姿はもはや犬ではない!

——飛犬!!

鍛え抜かれた脚筋が、ついに重力を裏切る!風切る音!木々が悲鳴を上げ、大地が震える!


「雷牙——全力解放!」

銃が唸る!赤き光が溜まり、渦巻き、弾丸を放つ!


——咆哮せよ、破城弾"真雷"!!


空が閃く!白と蒼の大弾が雲を貫き、ワイバーンの背に炸裂!

爆音が響く!風が唸る!その隙に、犬ヌヌヌ犬は飛びついた!


がしっ!!!


「猫ネネネ猫ッッ!!!」


その脚を、確かに掴んだ!だが——落下!!

空を舞う二匹の獣!!風が耳を裂く、景色が逆転する!!


「離すな!猫ネネネ猫、我らはまだ……名月を見ていない……!」


猫ネネネ猫の瞳が涙に濡れ、頷く。その手には、買い物袋。中には、みたらし団子、そして——二つ分の茶碗。


——ドォオオン!!


彼らの着地を、爆風が包み込む!

草原が抉れ、焼け焦げる。

地面に背中から激突した。

鮮烈な痛みを感じる。

だが、犬ヌヌヌ犬は、妻を守り切った。

軽く溜息を吐く。


「ふぅ……」


風が戻る。鳥がさえずる。

だが、空はまだ裂けたままだ。

これは、ほんの序章に過ぎぬ。


刀を抜く。血が滴る。

火縄銃を背に、再び犬ヌヌヌ犬は歩き出す。隣には、猫ネネネ猫。

犬と、猫。

その背中には、武家の誇り。

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