第46話 エリアス、宝剣を抜く

「エリアス!」


 息子が落下するのを見た瞬間、アスセナは呼吸を忘れた。


「エリアス! エリアス!」


「わんわん!」


 窓枠から身を乗り出したアスセナを、カナルが危ないと言いたげに体を張って止める。


 真下ではちょうどトリスタンがエリアスを受け止めたところだった。


 ほっと緊張がゆるみ、安堵がこみあげて、アスセナの心臓は再び鼓動を刻み始める。


「トリスタン……ありがとう……!」


 息子とトリスタンが固く抱き合う姿に、アスセナの中にあたたかいものが満ちた。


 何を話しているのかはわからないが、二人は何やら泣いたり笑ったりまた抱き合ったりしている。その光景を見るだけで、アスセナは胸がいっぱいになるのを感じた。


「くぅん?」


 カナルは三角の耳をピンと立てて、黒い鼻をひくひくさせた。それまでぴったりと守っていたアスセナのそばを離れて、素早く廊下に走り出る。


「わん! わん!」


 カナルが吠えて居場所をアピールすると、ガシャンガシャンという重たい金属音が近付いてきた。


「ええ、カナル。交代しましょう」


 重厚な鎧に包まれた全身がギギギと軋み、ガントレットをはめた指先がカナルの首元を撫でる。


「アスセナお嬢様! ご無事ですか!?」


 ソフィアだった。兜を脱いで顔を出したソフィアは、氷のように冷たい視線をホアンへと投げる。


「ごきげんよう、アホ王子様。ずっとブン殴ってさしあげたいと願っていましたわ」 




◇◇◇




「ごめん、トリスタン。僕……バカなことをして……」


 もう一度アスセナの元へと戻りながら、エリアスはしゅんと詫びた。


 アスセナを救い出すために乗り込んだのに、自棄やけを起こして自ら離れてしまった。


 ただただ目の前のホアンを見たくなくて、その場から逃れたくて、衝動的にしたことだったが、正しい行動かと問われれば否だ。高所から身を投げるなど、トリスタンが守ってくれなかったらどれだけ怪我をしていたかわからない。


 カナルがエリアスを追って飛び降りなかったのは、本来の役目を理解しているからだ。我を忘れて取り乱したエリアスよりも、カナルの方が冷静だった。


「……それだけ悲しい思いをしたんだろう」


 トリスタンは優しく言った。


 エリアスは賢い子だ。この子が自暴自棄になって破れかぶれな行動をとったのは、それだけ心が深く傷ついたからだと思うと、トリスタンの胸は痛む。


「だが、自分の身を粗末にするような真似はもう二度としないでくれ。おまえに何かあったらみんなが悲しむ」


「はい。ごめんなさい」


 トリスタンが念を押し、エリアスは殊勝に謝った。


「あれ?」


「どうした?」


「短剣がない……」


 エリアスは服の中を探って、困ったように眉を下げた。


 使い慣れた短剣を懐に入れていたのに、見当たらないのだ。先ほど落下した時に紛失してしまったのだろうか。


「どうしよう。どこかに武器がないかな……?」


「わん!」


 エリアスがきょろきょろとあたりを見回した時、聞き慣れた鳴き声がした。


「カナル?」


 カナルがしっぽを振りながら、まっしぐらに走ってくる。


 カナルが勝手にアスセナの元を離れるとは思えないから、きっとソフィアが到着したのだろう。ソフィアが来てくれたなら母は大丈夫だと、エリアスも安心できた。


「わぉん!」


 エリアスが突進してくるカナルを受け止めると、カナルはぺろぺろとエリアスの顔を舐めてから、服を噛んで引っ張った。


「カナル? どこに行くの?」


「わんわんわん!」


 カナルはぐいぐいとエリアスの服を引く。まるでどこか連れていきたい場所があるかのようだ。


「こっち?」


 カナルに導かれるままに、エリアスとトリスタンは宮殿の中を進んだ。


 警備は手薄だった。普段なら常駐しているはずの兵の多くが、騒動の対応に駆り出されているらしい。


 カナルはくんくんと匂いを嗅いで、人のいる場所を巧みに避けながら、エリアスをさらに王宮の奥深くまで案内していく。


「うぉん!」


 行き着いたのは、円柱で囲われた大広間だった。天井には豪奢なシャンデリアが吊り下がり、床には繊細なタペストリーが敷き詰められている。


 何かしらのセレモニーかレセプション用に準備されたらしいその部屋の一番奥で、それは待ちかねたようにキラリと光を弾いた。


 螺鈿らでん細工を彫り込んだ鞘に収められた、一振りの剣だった。


「あれは……?」


 エリアスは吸い寄せられるように手を伸ばす。


 立派なこしらえの長剣なのに、驚くほど軽い。エリアスがただグリップを握るだけで、剣はまるで自ら衣を脱ぎ捨てるかのように、するりと鞘から抜けた。


 美しい刀身をさらすのは、アンバル王家の国宝。


 レガリアの一つに数えられる、伝説の征服王の宝剣だった。

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