第20話 エリアス、寝返りする

 へっへっへ、と低く笑う声が聞こえてきて、ラウルは眉をひそめた。


(ソフィア?)


 オズヴァルトの部下の男たちが、ソフィアを囲んで何やら取り引きをしている。


 彼らは舐めるような目でソフィアを見下ろし、地を這うような声で低くささやいた。


「お嬢ちゃん。本当にいいのかぁ……?」


「こいつを一度味わったら……戻れないぜぇ……?」


「ええ、覚悟の上ですわ」


 ソフィアが答え、男たちは懐から袋を取り出した。中身は粉のようだ。


(ソフィア!? 何を受け取るつもりだ!?)


「ほぅら、例のブツだぜぇ。麻……」


(麻!? ソフィア! やめ──)


 ラウルは反射的に駆け出した。


あさの実の粉末だ」


「くっくっく……健康にいいぜぇ……」


 麻の実を絞り、含まれる油を抜き、細かく擦りつぶしてパウダー状にしたものらしい。


 たんぱく質や食物繊維が豊富なため、栄養の補給や体力の増強に効果的なのだとか。


(プロテインみたいなものか……)


 ベルトラン領は筋肉がドレスコード。良質な筋肉の育成には余念がないが、違法薬物は許さない。


「ありがとうございます! 軍務伯領の方々はさすが筋トレのプロですわね!」


「おう。お嬢ちゃんは本当によく鍛錬してるからな。無理は禁物だが、手伝えることがあれば言ってくれ」


 外見は恐ろしいが中身は親切で、笑い方は凶悪だが行動は紳士な男たちに見守られて、ソフィアはますます筋力を育てていくのだった。




 ◇◇◇




 そんなベルトランで今、一人のスパイが侵入に成功しようとしていた。


(しめしめ……)


 スパイはどこにでもいる農夫を装い、採れたての野菜を愛想よく厨房に運ぶふりをしながら、首尾よく城の中へと潜入する。


(うまく忍び込めたぞ……)


 依頼主はホアン・アンバル王子。依頼内容はこの城にいるアスセナ・レジェスの様子を探ってこいというものだ。


 ホアンは一年と少し前にアスセナとの婚約を破棄した。にも関わらず今もアスセナに執心し、復縁を望んでいる。


 だったら自分から出向いて謝罪すればいいものの、ホアンは王族たる自分が頭を下げるなどできるかと言って梃子てこでも動かない。


(自分で婚約破棄したのに撤回したがって、殿下は何がしたいんだ?)


 王子の迷走ぶりにはあきれるが、仕事は仕事だ。


 ベルトランに軍事侵攻することは困難だが、内情を探るくらいなら難しくない。スパイの男は周囲に気を配りながら、慎重に進んでいった。


 すんすん


(……何の音だ?)


 すんすんすん


 ある部屋の中から不審な音が聞こえてきて、男は立ち止まった。


 ドアのすき間からそっと中をのぞく。かろうじて見えるのは城主のオズヴァルトと、アスセナの父ラウルの背中。


 二人は肩を並べて、一心不乱にくんくんと何かを吸い込んでいる。


(何だ? 二人とも何を吸っている……?)


 そういえば先ほど城内で怪しげな粉が取り引きされているのを見かけたのだった。


(恐ろしい……! これは闇が深いかもしれんぞ……!)


 思った以上に犯罪の香りが濃くなってきた。


 スパイが気を引き締めた時、ラウルとオズヴァルトが白熱した声援を送った。


「がんばえ!」


「がんばえぇ!」


(何を応援している? やけに熱が入っているな……?)


 わずかな扉の間から見える視界は狭いが、二人は何やら一点を凝視して、必死に激励しているようだった。


「いいぞ! そのまま寝返るんだ!」


「ああ、もう少しで寝返りが成功だ!」


(ね……寝返り……? レジェス家とベルトラン家が寝返ろうというのか……!?)


 レジェス宮中伯とベルトラン軍務伯が共謀し、国家への反逆を企てているということか。


(何という不敬! 断じて見逃すことはできん……!)


 スパイが戦慄した時。こてんと軽い音がして、二人は喝采に湧いた。


「「寝返ったーーっ!!」」


(寝返った? 謀反の用意が整ったということか!)


 スパイが震えていると、ラウルが焦ったように言った。


「も、戻れないのか! エリたん!」


(戻れない? もう引き返せないということだな……!)


 一度反逆の狼煙のろしを上げる以上は、不退転の決意を固めているらしい。見上げた覚悟だ。


「次の目標は寝返り返りだな!」


(寝返り返り? 寝返っておいてまた裏切る気か? ややこしいな!)


 複雑な作戦を聞いたスパイはごくりと息を飲み、ラウルは身をかがめて何かを抱き上げた。


「エリたん、がんばりまちたねぇ!」


(あれは……子供? この二人のうちどちらかの子か?)


 ラウルは寡夫かふで、オズヴァルトは妻子に捨てられたと聞く。独り身の寂しさに耐えかね、妾でも作って子をもうけたのだろうか。


(いい歳のおっさんのくせにお盛んだな……)


 あきれた直後、スパイの目に映ったのは、ラウルに抱かれた赤ん坊の後頭部だった。


(……金の……髪……?)


 赤子の髪はまだ短いものの、遠目にもはっきりとわかるほど明るい金の色をしている。


(なぜ……この地に金髪の子が!?)


 金髪はアンバル王家にしか生まれない。アスセナはホアンの婚約者だった。二人が破談になってから一年と少しで、目の前の子供は生後数ヶ月に見える。


 以上の情報が脳内を駆けめぐり、スパイは瞬時に答えをはじき出した。


(まさか、アスセナ嬢はホアン殿下の子を産んでいたのか!?)


──ベルトランの地に金の髪を持つ子供がいる。


 これは国を揺るがすほどの大ニュースだ。


(すぐ王都に戻ろう! 王家にこのことを報告しなくては!)


──ズンッ!


 急いできびすを返した刹那。スパイは肩に凄まじい重みを感じた。


 おそるおそる背後を振り返れば、肩に置かれているのはカッチカチの固い腕筋。

 

「ソフィアと申します。ただの平凡なメイドでございますわ」


 誰もが認めるであろう美少女の顔の下に、誰もが恐怖するであろう隆々とした筋肉が盛り上がっている。

 

 首から上と首から下のアンバランスさに、スパイは言葉を失った。


「容易に侵入できたと油断していたようですけれど……ベルトラン領は別に外界と断絶しているわけではありません。外交も交易も必要ですし、来る者は拒まず受け入れています。ただ──」


 ソフィアの指が鳴る音が、バキッボキッと響きわたった。


「──不審者は決して逃がさない、というだけですわ」


 その後、彼の姿を見た者はいなかった。

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